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現役を退いて暇になると、何かにつけて過ぎし日を思い出し、また、いろいろと考えごとをしてしまう。こうした折々の想いをインターネットに公開して、多くの方々と分かち合おうというのがこのサイト。
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わが教会音楽との出会い

by P.Itonaga posted at 2008-02-12 15:21 last modified 2008-02-15 11:27

わたしのチャペルで捧げられる週日のミサには近隣のシスターたちがオルガン数人参加して、美しい聖歌を聞かせてくれる。その一人が先日、「下手な歌を聞かせてすみません」と謙遜していたが、とんでもない。私は満足している。

さて、教会の典礼において音楽は切り離せない。「歌う者は二倍祈る」という聖アウグスチノの言葉は今も生きている。また、音楽など芸術の極致は美の本源である神への賛美にありと古くから信じられてきた。そこで、この機会に、わが教会音楽との出会いを回顧しながら、その意義や効用など考えてみたい。

1)わたしは幼児の時から母に連れられて日曜日のミサにあずかっていた。ラテン語のミサの時代だから退屈していたのだが、ミサが終わると、途端に祭壇のローソクの灯が増え、楽楼からは妙なるオルガンの音とともに歌声が流れてきたことを子供心にかすかに覚えている。小学生になってこの体験はもっとはっきりするわけだが、当時は「ごみょうが(冥加か)」と呼んでいた今の聖体賛美式がわたしの教会音楽との最初の出会いだった。

当時、主日にはミサに続いて聖体賛美式が行われていたが、第2バチカン公会議によって聖体賛美式はミサから切り離される。ミサにおける聖体の奉献と拝領は主の現存を記念する「もっとも優れた」聖体祭儀であって、何も付け加えるものがないからである。しかし、聖体における主の現存を霊的に記念する聖体賛美式の意義は変わらない。わたしは主任司祭時代、公会議後も日曜日の夕べに聖体賛美式を続けた。聖なる主日を意義深く締めくくるためである。義務ではなく、あずかれない信者もいたが、それでも比較的大勢の信者たちが家族ずれでこれに参加していた。最近、聖体賛美式がなくなったのは淋しい。だが、世の中が忙しくなり、スピードアップされればされるだけ、朝の聖体祭儀に始まり、夕べの聖体賛美式で締めくくる落ち着いた日曜日の過ごし方は貴重ではないだろうか。「教会の祈り」(聖務日課)の晩課と合わせて行う聖体賛美式など奨励したい気持ちだ。

2)小神学生時代には聖歌との出会いがあった。この聖歌は、長年長崎神学校の校長を務めた浦川和三郎神父(後の仙台司教)がフランスの聖歌から翻訳したもので、ガリ版刷りの手作り歌集ではあったが、長崎の風土にマッチしたなじみ深い歌詞とともに、聖歌を歌うことの喜びと習慣を養い、信仰と信心を高め、典礼の心に触れる忘れ難い歌集であった。カナダ留学時代、神学生のための夏の家で、小神学生時代になじんだ同じメロディーがもともとのフランス語で歌われるのに出会い、懐かしくて感動した覚えがある。

わたしが勝手に「浦川聖歌集」と呼ぶあの聖歌集の中の幾つかは、その後「公教聖歌集」(1948年・光明社)に歌詞を替えて収録され、現在の「カトリック聖歌集」(1966年・同社)に引き継がれているが、その格調高い歌詞には当初、いささか違和感があった。この浦川聖歌集は今もどこかに残っているだろうか。

 3)終戦の翌年、1946年4月に長崎大神学校が、台湾教区長の任を終えて帰ってきた里脇浅次郎神父(後の枢機卿)を校長に開校し、わたしは哲学科生として入学した。サツマイモでお腹を満たしながら里脇教授の形而上学のラテン語の講義を聴講していた時代。この時代にわたしが出会ったのは男声合唱とその楽しさである。先輩の村岡正晴神学生(後の神父)は教会音楽に生涯情熱を傾けた方で、その指導の下に、神学科、哲学科の神学生の大半が参加して練習に励み、めきめき上達して、当時の長崎では男声コーラスは珍しかったので、ちょっとした評判を取ったものである。レパートリーはミサ曲のほか、ラテン語の聖歌も数々あり、ピクニックなどの折には楽譜なしで三部合唱のハーモニーを楽しむほどであった。遂には、NHK長崎放送局のスタジオでヘンデルのハレルヤコーラスをラジオ放送するなど、思い出は深い。

教会音楽の伝統の中ではグレゴリオ聖歌が筆頭であることは言うまでもないが、ポリフォニーも大事にされてきた。インカルチュレーション(文化の福音化)が叫ばれる今、わが国の教会では詩篇唱和を含む日本語の「典礼聖歌」が多く歌われていて、それも大いに結構だが、荘厳な合唱が聴きたいという思いも募る。(続く)

 

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教会音楽との出会い(続)

by P.Itonaga posted at 2008-02-25 00:00 last modified 2008-02-22 18:09
グレゴリオ聖歌の四線楽譜

わが生涯における教会音楽との出会いの旅の回想は何となく楽しい。今回もまた、その楽しい旅を続けよう。

4)1948年(昭和23年)4月、サンスルピス大神学院が福岡に開校し、わたしは神学科1年に編入された。ちなみに、今年は福岡大神学院の創立60周年に当たり、記念祭が予定されている。

さて、福岡大神学院ではグレゴリオ聖歌を中心とした正式の典礼生活との出会いがあった。

典礼生活において音楽は重要なパートを占める。従って司祭は典礼になじむと同時に典礼音楽にも通じていなければならない。そういう意味で、福岡大神学院時代は極めて重要な機会であった。その上、入学の年の12月になって、突然、オルガニストを務めるよう命じられた。それまでのオルガニストが神学院を去ったためである。正式なレッスンを受けたこともなく、興味本位に我流で身につけた技術ではどうしようもなかったが、仕方がない。カナダに移るまでの3年近くも未熟なオルガニストを務めた次第。

神学院における典礼生活の中心は主日の朝の歌唱ミサと午後の聖務日課の晩課が中心であった。いずれもグレゴリオ聖歌一辺倒で、その伴奏は決して楽ではなかった。周知の通り、グレゴリオ聖歌は独特の旋律であり、その流れるようなリズムにオルガンを合わせなければならない。そしてここにもう一つの出会い、すなわち、グレゴリオ聖歌の正式な伴奏譜との出会いがあった。それは、正調グレゴリアンで有名なソレム修道院など、グレゴリオ聖歌の本場フランスで発行された伴奏譜で、詳細は忘れたが、そこでわたしはグレゴリオ聖歌伴奏の極意を学んだような気になった。

それともう一つ、発見したことがある。グレゴリオ聖歌は通常四線譜に記されるが、四線譜だと音程を自由に上げ下げして演奏できることである。神学生たちの歌は、特に早朝は時々音程が下がることがある。そんなときは半音ないし一音ほど音程を簡単に下げて演奏することができた。五線譜だとそうは行かない。

 5)カナダ留学時代にはパイプオルガン(仏語では単にオルガン=l’Orgue)との出会いがあった。今でこそパイプオルガンなど珍しくないが、当時のわたしにとってその出会いは感動的でさえあった。モントリオール大神学院のチャペルはもちろん石造の立派な建物で、天井はカナディアンロッキーから切り出されたマツで見事に組まれていた。そして、四段の鍵盤を備えたかなり大きなパイプオルガンが後方の二階に取り付けてあった。オルガニストはクラスメイトのデジレ君で、バッハのフーガだってやすやすと弾きこなす名手であった。彼はフランス系アメリカ人(Franco-Americain)だが、小さい時からピアノを学んだという。母校の校友誌によれば先年亡くなったそうだ。今彼は天使たちの歌声に包まれているのだろうか。

パイプオルガンの音色は絶妙である。中でも石造の大聖堂をも揺るがすような低音の迫力は絶大である。わたしは院長の許しを得て誰もいないときにこのパイプオルガンを弾かせてもらっていたが、演奏するというよりは音を出して聞いているだけで感激したものだ。デジレ君の伴奏のもと、二百人を超える同僚の神学生たちと典礼に参加した日々は生涯忘れることができない。それに、モントリオール近郊にあるカザヴァンのパイプオルガン工場を見学したことも思い出。一流の音楽家たちが何千本という大小さまざまなパイプを調整している様や、パイプ組み立ての複雑な作業など興味深いものがあった。

カナダではもう一つの教会音楽との出会いがあった。ボーイ・ソプラノである。かつて福岡に来日して司牧や小神学校指導に当たっていたことのあるモントリオ-ル大司教、レジェー枢機卿の手によって助祭に叙階されたわたしは、由緒あるノートルダム大聖堂の日曜日のメインのミサに助祭として奉仕するため、同僚で副助祭のフィリオン君とともに半年あまり通った。そこでわたしは始めてボーイ・ソプラノの歌声を聴いたのである。当時は今と違い、まだ正式の聖歌隊に女性はいなかった。だから、それは伝統的な教会聖歌隊との出会いでもあった。同時に、神学校のチャペルとはまた違った大聖堂における歌唱ミサではパイプオルガンに支えられた大合唱にも圧倒された。腹の底から揺すぶられて、身も心も祈りになりきったような体験だった。(続く)

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