教会音楽との出会い(続々)
6)カナダから帰国したわたしは長崎司教館勤務となったが、当時まだカテドラルであった大浦天主堂の主任司祭の依頼で聖歌隊の世話を引き受けることになった。聖歌隊には若い男女のほか女子修道会の志願たちも加わっており、日曜日のミサと聖体賛美式のほか、大祝日には司教荘厳ミサにも奉仕しなければならなかった。あれから40年ばかりたったある日、「元大浦聖歌隊の集い」を呼びかける者があり、10人あまりが長崎に集まったのだが、いいおじさんおばさんたちに混じって幾人かの修道女の姿もあった。わたしはすっかり忘れていたのに、みんなは覚えていてくれたのだった。
大浦聖歌隊時代にはもう一つの出会いもあった。フランス製リードオルガンである。このオルガンは、「パリ在住のオルガン勢作技師、アルフォンソ・ロドルフ父子が製作したもので、1879年、万国博覧会に出品し、金賞を受賞したものと同一製品である。音色は重厚で荘重、その上、張りと粘りのある、頼もしい感じのするものである。42鍵で15個のストップがついており、(中略)本体の大きさは高さ95cm、幅125cm、奥行75cm、重量は200~250kgもあった」(中島政利著『福音伝道者の苗床―長崎公教神学校史―』)。このオルガンの特徴の一つは、鍵盤だけを上下し、音程を替えて演奏できることであった。とにかくすごいオルガンだったが、当時として一流のオルガンを持ち込んだパリ・ミッション会の教会音楽に対する思いの程が偲ばれる。国宝級のそのオルガンは今も国宝・大浦天主堂に保管されているはずだ。
7)わたしは司教館勤務を解かれて1962年、新設の長崎八幡町小教区の主任司祭に任命された。第2バチカン公会議が開会した年である。時代は変わり、教会は聖歌隊中心の時代から信者共同体全体が聖歌を歌って典礼にあずかる「意識的、能動的参加」(典礼憲章)の時代に入っていた。こうして、主任司祭時代の教会音楽のテーマは「みんなで歌う元気の出るミサ」である。幸い所属信者の中にピアノの名手、高校の音楽教師がいた。楽器はどこにでもあるリードオルガンだったが、名手にかかればこうも違うものか思われるほど華やかな音色を響かせていた。共同体の中には幼稚園のシスターたちや先生たち、美声の娘たちもいた。そして、日曜日には聖堂いっぱいの会衆が老いも若きも腹の底から声を出して歌う習慣がだんだんとできて行った。さわやかな思い出である。
8)鹿児島教区司教時代は、いわゆる「典礼聖歌」(初版1980・あかし書房)の時代であったといえよう。1970年に始まるわたしの司教としての仕事は、第2バチカン公会議(1962-64)による典礼改革によって、「教会生活の源泉かつ頂点である」聖体祭儀(ミサ)を中心とした教会づくり、教区づくりであったが、これを支えたのが、子供から年寄りまで歌える、全く新しいタイプの典礼聖歌で、すぐに教区中に広がった。
わたしの教会音楽との出会いの締めくくりは、世界的に活躍しているオルガニストの児玉麻里さんの骨折りによって、新司教座教会にパイプオルガン(写真)を設置したことである。この設置について教区民の理解を得ることは決して容易ではなかったが、いささか強引にわたしの願いを聞いてもらった。その主たる動機は第2バチカン公会議の勧めである。「パイプオルガンは、その音色が、教会の祭式に、くしき輝きを添え、心を神と天上のものへ高く揚げる伝統的楽器として、ラテン教会において大いに尊重されなければならない」(典礼憲章120)。新カテドラルに念願のパイプオルガンが完成したのは2001年4月15日、復活祭であった。わたしはミサのはじめにこのオルガンを祝別し、説教において「老いも若きも、音痴なんか気にしないで、腹の底から歌いましょう」と呼びかけ、共同体が心を合わせて、パイプオルガンの音響に負けじと歌ったあの感激は忘れ得ない。
9)教会音楽との長い出会いの中で、一つだけ果たせなかった夢がある。それは、司教座教会にいわば「市民合唱団」を創れなかったことである。みんなで歌う典礼聖歌もよい。しかし、カテドラルを初め、大規模小教区において聖歌隊は欠かせない。会衆の歌声をリードすると同時に、折々に美しい聖歌を捧げて神を賛美し、共同体を敬虔な祈りの雰囲気に浸らせるためである。さらに、この聖歌隊を一般市民にも門戸を開いてその参加を促したかった。町の青少年たちの心に潤いのある宗教的情操を養い、彼らを創造主の賛美に誘うためである。こうした開かれた教会、開かれた聖歌隊の発想は、わたし個人に留まらず、全国の教会が共有すべき夢ではないかと思っている。
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イスラム教指導者、教皇と会談へ
去る3月6日、南日本新聞朝刊にローマ発の小さなニュースが載った。
「英国、ヨルダン、トルコなどのイスラム教指導者らが5日、ローマ法王庁(バチカン)でバチカン高官と四日に引き続き会談、指導者側代表が十一月に法王ベネディクト十六世と会談することで合意した。バチカンが発表した。キリスト教とイスラム教の融和をアピールするのが狙い。バチカン当局者は、「歴史的」な会談になると評価した。十一月四日から六日までローマで、双方の対話の場となる「カトリック・イスラム教徒フォーラム」が開かれる予定で、期間中に複数のイスラム教指導者の代表が法王と会談する。代表の人選は今後、イスラム教指導者側が進めると見られる」。
キリスト教と伝統的諸宗教との関係は、歴史上ではいろいろの確執もあったが、聖書をはじめ、キリスト教的伝統の根底には、人類はその起源と目的において一つであること、また、神は創造のはじめから全人類と契約を繰り返して人類をご自分に招いていることを確信してきた(教皇庁文書『対話と宣言』参照)。そして、歴史が進展し、世界が文字通り一つとなった現在、諸宗教間の対話は避けて通れない必然的な要請となった。こうして、第2バチカン公会議は伝統的諸宗教との対話路線を明確な形で確立したのである。こうした状況の中で、カトリック教会とイスラム教との本格的な対話がようやく実現しそうになったことは意義深い。わたしは大きな期待を持ってこの動きに注目したいと思う。
そこで、第2バチカン公会議がイスラム教に対してどのような理解と姿勢を打ち出したか、公文書を通して振り返ってみたい。まず、『教会憲章』は次のように述べる。
「福音をまだ受けなかった人々も、いろいろな意味で神の民へ秩序づけられている。まず、かつて契約ならびに約束が与えられ、またキリストが肉によりそこから生まれたもうかの民、すなわち選びにより太祖たちのゆえに最も愛された民(筆者注・ユデア民族)がそうである。(中略)しかし、救いの計画は創造主を認める人々をも包含するものであって、そのような人々のうちには第一に、アブラハムの信仰を保っていると主張し、最後の日に人々を審判される唯一にしてあわれみ深き神を、われわれとともに礼拝する回教徒(筆者注・イスラム教徒)が含まれる」(教会憲章16)。
このように、神の民、すなわち「救いの普遍的秘跡」である教会への人類の秩序付けにおいて、イスラム教徒はユデア民族に次ぐ第二の位置づけがなされている。次に、『キリスト教以外の諸宗教に対する、教会の態度についての宣言』においては、次のように述べられる。
「教会はイスラム教徒をも尊重する。かれらは唯一の神、すなわち、自存する生ける神、あわれみ深き全能の神、天地の創造主、人に語りかけた神を礼拝し、イスラム教の信仰がすすんで頼りとしているアブラハムが神に従ったのと同じく、神の隠れた意志にも全力を尽くして従おうと努力している。かれらはイエズスを神としては認めていないが、預言者としてあがめ、その母である処女マリアをたたえ、時には敬虔に彼女に祈る。かれらはさらに、よみがえったすべての人に神が報いを与えられる審判の日を待っている。したがって、かれらは道徳的生活を尊び、特に祈りと施しと断食をもって神をあがめている。
諸世紀にわたる経過の中で、キリスト教徒とイスラム教徒の間に少なからざる不和と敵意が生じたが、聖なる教会会議はすべての人に、過去のことを忘れ、互いに理解し合うようまじめに努力し、また社会正義、道徳的善、さらに平和と自由を、すべての人のために共同で守り、かつ促進するよう勧告する」(3項)。
なお、「イスラム教原理主義」について一言。「自分が正しい、良いと考えることを他人に押し付ける権利を主張するファナティシズム、ファンダメンタリズム(原理主義)の危険」(回勅『新しい課題』46)は多くの宗教的イデオロギーに見られるが、イスラム教原理主義者も、しばしば話題に上るとおり、対話を拒否し、自爆テロなどの暴力に走るのを見るのは悲しい。イスラム教徒との対話の発展を期待すると同時に、すべての原理主義者が一神教本来の愛の精神に立ち返るよう祈らなければならないと思う。
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コメント欄を活用して、対話の機会にすることができればと願っています。
ただし、記事や本サイトの趣旨と関係のないコメントはご遠慮下さい。
イスラムの聖職者とカトリック、中でもベネディクト16世教皇との会話実現は、とても喜ばしいものと思います。
私は、ごく限られた情報をもとにした「推測」ですが、今回の実現は、教皇の2006年9月12日、レーゲンスブルク大学で行った講義に、端を発していると思います。多くのメディアが教皇を叩き、日本のカトリック新聞まで明らかに教皇を批判する編集をしました。
http://www.nomusan.com/~essay/jubilus2006/10/061011.html
しかし教皇のあの「本音」発言が、心あるイスラム教導者の心に響き、今回の会談実現へつながっていったと思います。そのような動きはインターネットで情報として流れており、今回の会談実現は十分に予測できることでした。本来はカトリック新聞こそ、そのような動きをキャッチし、伝えなければならないのではないでしょうか。
ベネディクト16世は「もっともキツイ本音」を語る故に、枢機卿時代から、他宗教・宗派から、もっとも信頼されている、と聞いたことがあります。そういうことは十分にあり得ます。私たちの仕事の世界でもそうです。
このことにつきましては、前に以下で発言しました。
司教様のお時間を頂くほどの文章と思いませんが、余裕のできましたときに、覗いてみて下さいませ。
http://www.nomusan.com/~essay/jubilus2006/09/060916.html
http://www.nomusan.com/~essay/jubilus2006/09/060918.html
http://www.nomusan.com/~essay/jubilus2006/09/060921.html
うらやましいとの思いで、司教様の高邁なるブログを拝読させて
頂いておりますが、どこか違和感を禁じえないのは、何故であろうか。
>現役を退いて暇になると、何かにつけて過ぎし日を思い出し、また、いろいろと考えごとをしてしまう。こうした折々の想いをインターネットに公開して、多くの方々と分かち合おうというのがこのサイト。
司教様お暇なのですか?折々の個人的高等遊民的な雑感を述べるために
鹿児島の信者の皆様の浄財を浪費していらっしゃるのでしょうか。
現役を引退などと、まるで地方公務員のような感覚で、お仕事、職業として
信者をお導きになられたのでしょうか。宣教に現役も引退もないのでは
ないでしょうか。 日本のカトリックが伸び悩み減少傾向にあるのは
何も日本だけではないかも知れませんが、このような、職業宗教家意識が
原因のひとつではないでしょうか。心に染みる真面目な葬式と法事は仏教、
派手な結婚式はキリスト教。今や既に仏教と変わらない、否、仏教以下の
状況を作り出しているのは、職業宗教家であると思うのは、私だけでしょうか。
「お暇」云々は、司教様自らお書きになった紹介文から、
引用させていただきました。
司教様がどういうご活躍されているか存じません。
松村様がおっしゃるほど優れた司教様をして
「引退・暇」と書かせる状況を憂いているつもりです。
いずれにしても、司教様がお二人もいらっしゃることは、
うらやましいことです。定年になられた神父様が志願して
地方の小さな教会で、懸命に宣教されている話も聞こえて
くる中で、優れた司教様を待っている教区または教会は
ある筈です。きっと司教様も、宣教し続けるお気持で
このブロクを継続なさっていることでしょう。どうぞ
鹿児島の方、すぐれた司教様を全国に。
申し遅れました。若し、お怒りをかったのであれば、衷心より
お詫び申し上げます。
今後、二度と書き込みしないことお誓い申し上げます。