貧しい人々と連帯する教会
昨年の「年越し派遣村」の記憶はまだ新しいが、今年は、雇用情勢など決して改善されていない中、国や自治体による公設派遣村や、NPOの配慮などの民間の協力で何とか事態は改善されたようである。もちろん教会関係の協力も各地で行われたはずである。鹿児島のザビエル教会も年末・年始にも普段と変わりなくホームレスへのサービスを行った。
ところで、人生の様々な重荷を背負い、生きるために助けを求めている「貧しい人々」は遠い途上国にばかりでなく身近にも存在する。しかも、種々の理由でその数は増している。彼らを助けることは、社会的正義に基づく政治の重大な務めであるだけでなく、彼らが神の国において特別な地位を占めるという信仰上の観点から、教会の重大な使命でもある。『カトリック教会のカテキズム』は述べる。
「神の国は貧しい人々と小さい人々、すなわち、謙虚な心でこれを迎える人たちのものです。イエスは『貧しい人に福音を告げ知らせるために』(ルカ4,18)遣わされました。イエスはこのような人々は幸いだと言明されます。『天の国はその人たちのもの』(マタイ5,3)だからです。御父は、知恵ある者や賢い者には隠されていることを、これらの『小さな人々』にこそ示されるのです。イエスは、ベツレヘムの飼い葉桶から十字架に至るまで、貧しい人々の生活を体験されました。飢え、渇き、貧窮を経験されます。なおそのうえに、ご自分をすべての貧しい人々の立場に置き、こうした人たちへの積極的な愛を神の国に入るための条件となさいました」(n.544)。
こうして、キリストと深く結ばれた貧しい人々は、キリストの体である教会とも深く結ばれており、教会は自ら貧しい者となるばかりでなく、貧しい人々と連帯してこれに仕えることを使命とする。前教皇ヨハネ・パウロ2世は言われる。「貧しい人々に対する教会の愛は、教会にとって本質的なものであり、それは教会の不変の伝統の一部となっている」(回勅『新しい課題』57)。
貧しい人々と連帯する教会の務めは、具体的にはとくに日曜日のミサの集会そのものに表れる。『カトリック教会のカテキズム』は次のように述べる。
「エウカリスチア(聖体または聖体祭儀)は貧しい人々との連帯を強めさせてくれます。わたしたちのために渡されたキリストのからだと血をふさわしくいただくには、その兄弟であるもっとも貧しい人々のうちにキリストを認めなければなりません」(n.1397)。ここで、主ご自身の言葉が思い出される。「これらのわたしの兄弟、しかも最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしたのである」(マタイ25,40)。
さらに、主日ミサにおける教会の貧しい人々に対する務めは、ミサの献金(募金)を通して具体的に実行される。『カトリック教会のカテキズム』ははっきりと述べる。
「当初から、キリスト者はエウカリスチア(聖体祭儀)のためのパンとぶどう酒のほかに、困っている人々への施し物を持参していました。今も実践されているこの施し物を集める(募金の)習慣は、わたしたちを豊かにするために貧しくなられたキリストの模範から霊感を得たものです」(n.1351、一部筆者訳)。
古代教会においては、実際に聖体用のパンとぶどう酒を奉納し、同時に貧しい人々を助けるためのパンやぶどう酒などの施し物を持参していた。現在はそれらをお金に換えて奉納しているが、その意味は一貫して変わらない。この教会の伝統を受けて、前教皇ヨハネ・パウロ2世はその使徒的書簡『主の日』の中で大要次のように勧告している。
「週日の集会は、使徒たちの時代より、キリスト者にとって最も貧しい人々との兄弟的な分かち合いのときでした」と述べ、「施し」の意味については持てる者が持たない者との分かち合いの奨励であると述べている。教皇はまた、助けを必要とする貧しい人々はわたしたちの周りにいるのであるから、キリスト者は絶えず周りを見回して小さな兄弟たちを探し、日曜日の時間を利用して彼らを見舞い、交わりと分かち合いを実践するよう勧告している(『主の日』70-72参照)。
もしもこの明らかな教えが実際に生かされたら、小教区は地域社会により深く溶け込み、そこにいる小さな兄弟たちとの人格的な交わりと助け合いを通してキリストの愛を証しするという、地域宣教の新たな道が開けてくるのではないかと思う。
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Re:貧しい人々と連帯する教会
活躍するカトリック信徒たち
一般の新聞紙上にカトリック信徒の活躍のニュースが載ると大変うれしく思う。先日も千葉茂樹さんや緒方貞子さんのことが新聞に載った。もちろんすべての信徒が家庭や社会の中での生活で言葉と行いの証しを通して宣教に貢献しているのであり、そうした目立たない活躍を無視するわけではないが、社会の刷新に大きく影響する信徒オピニオン・リーダーたちの活躍に期待するところは大きい。
千葉茂樹さんと言えばマザー・テレサの映画製作ですでに知られているが、今回はその3作目となる「マザー・テレサと生きる」を披露するという。朝日新聞1月7日朝刊の「ひと」欄の記事を見てみよう。
「マザー・テレサ生誕100年に合わせて制作した映画「マザー・テレサと生きる」が、16日から2月14日まで記念映画祭(東京都写真美術館ホール)で上映される。
1979年のノーベル平和賞受賞の前から彼女を追い続けてきた。3本目の映画となる今回は、労働者の街、東京・山谷が舞台。81年に来日したマザーはここに「豊かな日本の中の貧困」を見た。映画はその遺志を継いで山谷で独り暮らしの老人をみとるホスピス経営者、隅田川河岸で炊き出しをする人々に寄り添う。インドでマザーが開いた貧困者のホスピスに、医学生を研修に連れて行く鹿児島の医師も紹介する」
次に、千葉さんの言葉を紹介している。「没後13年になる彼女の生き様が宗教を超えて日本に何を残したか伝えたかった。日本全体に閉塞感が広がる中、マザーを過去の人物ではなく、今も生き続ける指針にしたい」。まったく同感である。マザーの精神と行動はいつまでもわたしたちの手本としなければならないわけだ。新聞記事は最後に千葉さんの洗礼について紹介している。
「マザーに会ったのをきっかけに44歳でカトリック信者になった。「人の道」を説く映画を作り続けるのは、自分には決して出来ない生き方にあこがれるからでしょうね」
一方、国際協力機構理事長の緒方貞子さんについては特に紹介するまでもなく有名であるが、こちらも朝日新聞1月4日付の記事、「対中援助」に関するインタビュー記事が掲載された。その中で、次のような問答に注目したい。
――30年にわたって援助してきた中国は近く、国内総生産(GDP)で日本を抜き、「世界2位の経済大国」となります。
「世界2位とか3位とか、かけっこじゃないのだから、私たちはそんな看板のために生きているのではない。ばかばかしい。今の世界はネットワークの時代だ。各国が持ちつ持たれつ動いている。軍事力で立たないことを決めた日本は人的、文化的な貢献にさらに力を入れるべきだ」
わたしはこの歯切れのよい言葉が大いに気に入った。第一に、多くのメディアが指摘するところの、経済大国世界第2位の日本が中国に抜かれる、という心配を「ばかばかしい」と切り捨てるところがなんとも痛快だ。経済大国とは世界の富を独占している様を言うのだろう。とすれば、多くの途上国を犠牲にし、貧しい人々を搾取していることを意味しよう。そんな経済大国論をナンセンスと切り捨てるところは、まさに世界の富は奪い合うものではなく、分かち合うべきものとするキリスト教的価値観を強調した言葉に違いないのである。
さらに、「今の世界はネットワークに時代だ」という指摘も素晴らしい。グローバル化した世界は今や一つであり、国益という国家エゴを克服して、人類全体が一体化して助け合う時代であるという緒方さんの指摘は当を得ている。加えて、「人的、文化的な貢献にさらに力を入れるべきだ」という指摘もまた、傾聴すべき意見である。これからの日本は、経済大国であることを誇りとするのではなく、エコノミック・アニマルから神の似姿である人間の顔を取り戻しつつ、人道的かつ平和的な民生支援に力点を置いた国際貢献の道を進まなければならない。そうした姿勢を打ち出す緒方さんの信念の背景に、キリスト教的な普遍的価値観の重要性の主張が隠されていないと誰が言えよう。
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Re:活躍するカトリック信徒たち
いったいあなたはどこの国の人でしょうか。信者から寄進を受けているあなたにはお金を稼ぐ大変さは分からないでしょうが、今、日本国民は、未曾有の苦しみを味わっています。この経済危機は、アメリカというキリスト教国からもたらされました。仕事を失い、日々の生活費にすら不安を覚えている日本国民に対する共感が全くないのに驚きました。
その日本国民に対し、エコノミックアニマルだの、発展途上国を搾取しているだの批判を浴びせる。今途上国いや世界が苦しんでいるのは、アメリカがサブプライムローンをいう詐欺をやったからでしょうが。
また、途上国を搾取しているのは、アメリカとヨーロッパというキリスト教国でしょう。あなたは知らないでしょうが、日本は途上国に進出し、雇用を進め、技術移転をし、その国の経済発展に貢献している。日本が技術移転をしないというのはマスコミの嘘です。日本とつながりの深い国ほど経済も文化も発展している。そして、人間らしい生活をしている。タイ、インドネシア、マレーシア、インドこれらの国は、日本との関係が良く、おかしな反日感情もない。比較的治安も安定している。そして、日本との関係が深くなるほど、経済も発展し、文化も栄えている。キリスト教徒のあなたには、キリスト教文化しか認められないでしょうが。
中国の経済が発展しているのはなぜか、日本、アメリカ、ヨーロッパの企業が、進出したからでしょう。日本などの外国企業は、正当な賃金を支払っている。しかし、中国企業は(いや中国政府は)、出稼ぎ農民、そして、少数民族を弾圧、搾取して外国に低価格で商品を輸出している。おかげで、ほかのアジア諸国は、価格競争に勝てず輸出産業が打撃をうけ、国民生活が窮乏している。つまり中国は失業を輸出している。日本を批判する前に、なぜ中国を批判しないのか。
またキリスト教徒のあなたには心になんの痛痒も感じないでしょうが、仏教徒のチベット人、イスラム教徒のウイグル人が、どれだけ殺戮されているか考えたことが有るのでしょうか。
最後に言います。この日本国を築き上げてきたのは誰でしょうか。2千年以上の歴史から、優れた宗教、文化、芸術、学問を築き上げ、そしてこれらに基づいた高度な倫理、道徳、精神的物質的豊かさを築きあげてきたのは日本人です。キリスト教徒では有りません。これらの財産を享受しながら、政教分離の原則を盾にとり、日本人の宗教心を失わせ、精神を破壊してきたのはいったいどこの誰だ!
それほど、日本が嫌いで文句が有るのならば、日本から出ていってから批判するのが道理だ。あなたの住んでいるところの道路、水道等公共サービス、治安の良さ、安全保障。これらは、日本国民の税金によって賄われている。0,8%のキリスト教徒が築き上げているものではない。恥ずかしくありませんか?なぜキリスト教徒の心はここまで卑しいのか。キリスト教徒が全員日本から出て行くことを希望します。
Re:活躍するカトリック信徒たち
キリスト教は天啓の普遍的宗教ですから、この世のどこの国にも属しませんが、しかし、どこの国にも受肉してその使命を果たします。わたしはキリスト教信仰がわが日本に広がることを願い、働いています。それが日本と日本人に本当の幸せをもたらすと信じるからです。日本人もキリストの救いを必要としているのです。
教会は経済活動を否定せず、かえってこれを奨励しています。天地創造の神は人間が働いて自然を開発し、人類が発展するよう人間に知恵と自由とともに使命を与えました。教会が財産の私有権を認めているのも、自由な経済活動を支持するためです。しかし、無制限の自由は他人の自由を侵す恐れがありますから、正義と愛に基づく一定の制限が必要です。また、この世の富は人間を堕落させる機会にもなりますから、教会はその霊的な務めにより、お金の乱用に警戒を促します。
わが国における素早い戦後復興と驚異的な経済発展は、国民の能力と真摯な努力のたまものであり、内外に大きな恩恵をもたらしたことを誰も否定しません。しかし、経済発展とともに環境破壊や経済格差が広がり、精神面でも大きな弊害が生じました。また、一昨年来の金融・経済危機は、新自由主義や市場原理主義の反省と、世界中が共存する新しい経済秩序構築の必要性に目覚める機会を提供したのではなかったでしょうか。わたしは日本が率先してこの新しい課題に取り組むことを願っているのです。
神父様、よろしくお願いします。
それは、大量生産、大量消費の時代で、ヨーロッパでは、中世の信仰の時代と違い、人間中心、見えるものしか信じない合理主義的物質文明の世界。
そこで必要なのは、お金という万能感のあるものである。
そのお金、富の分配方法の違いが、資本主義、共産主義というわかりやすい対立構造で、最近まであった。
中世のヨーロッパの秘蹟の代わりが、現代では、お金である。
お金は現代の秘蹟である。
そして、日本は、信仰の時代、ヨーロッパにおける中世がなく、伴天連=カトリックでないことを証明するために、時の権力、徳川幕府によって、日本人全員が、個人の信仰告白なしに、このものは伴天連でないというお墨付きをもらる檀家制度という官製の管理宗教という世界でも類のない珍しい宗教事情にあって、その土台の上に、近代社会が構築された。
そして、その唯物的刹那的人間中心的思考が、近代化の思考と一致して、戦争に負けて焼土となってもバブル崩壊までは、未曽有の経済大国になった。
日本人に、あなたの宗教はと問うと、家は、真言宗で葬式をやり、お墓が真言宗のお寺にあるから、多分(^o^)私の宗教は、真言宗、つまり仏教なんだろうという(^o^)
世界的に見れば、日本の宗教事情は、16世紀という中世時代に、反カトリックというだけでできた檀家制度を超えられなく、ある意味では、それに胡坐をかいていると思う。
だから個人の信仰告白がなく、ともかく、生きることが大切で、そこの意味を考えない。
日本人にとっては、自分の生活、世間と次に来るのが、人との付き合いとしての宗教ではないかと疑ってしまう。
そして、特に日本人は、いや、私は、お金があれば、健康、寿命、家庭の維持、愛情、生き甲斐、若さ、名誉、結婚、ある意味においてはカルト宗教の信仰さえ---等すべて買えると錯覚している。
那的価値観が、大量生産、大量消費の司祭役テレビで、垂れ流されますます人を、追いやっている。
ひとは、テレビで人生を学び考え、生きた人や教会や本にではなく、タレントに人生の生き方を学ぶ。 そのテレビで垂れ流される人生観は、お金、美貌、若さがあるものが、人生の勝者で、それらが獲得できないものは敗者というステレオタイプのものである。
そこには、有用でない寝たきり老人のいるところがなく、国という機関に預けたままだ。
人生とは、その万能なお金:秘蹟を得るための勝ち負けの戦いだ。
神なき日本人にとって、神様とは、
1にいのち 2お金、3に世間体、4に自分の権利の主張だ。
そんな価値観でしか生き得ない日本人は、いつもイライラしている。
日本社会は、巨大なwallmartのようなスーパーマーケットだ。
自分の心の空白を埋めようとして、人は、イライラして、スーパーに行く。
スーパーに行くと何でもある。
しかし、そこにあるのは、自分に向けて特化したものではなく、もちろん、永遠に造られた我を満たす永遠性のあるものはなく、大量生産、大量消費用の膨大な量のGOODSの羅列しかない。
物を買っても、それでは心が一時的に満たされても、真夏の喉のように、すぐからからになる。
何でもあるが、何もない。
本当に満足できないで、イライラしてスーパーから帰ってくる。
そして、このイライラは、スーパーのものを全部買えるお金がないからだとますますイライラする。
物質、見えるもの、お金に価値を置く人生観から、社会病理が見えてくる。
ちなみに、日本の昨年の自殺者3万人以上、カトリック極貧国フィリピン600人(^o^)
アウグスチヌスは、神は、人をご自分の似姿にお造りになった。
よって、神のもとに帰るまで本当の安らぎがないといった。
やはり同じような精神土壌の今年日本のGDPを超える中国の経済的台頭に、大きな津波が来ることを感じる。
でも、楽観的に考えると、中国に1億人いるというキリスト信者に、希望を、日本より感じることもある。(日本の檀家制度と同じく官製であり、バチカンと交流は表向きないがーー地下にはすごい数がいるといわれている)
大量生産、大量消費という現代の後に来るポストモダンに向けて、物質文明の最たる日本で、慈しみに満ち、生きることに意味を与えてくださる神様を知っている超少数派として召されている我々のやるべきことを、神父様、お教えください。
上から目線、一方的私見ですいません。
近くに、こんなこと話せる方がいませんので、よろしくお願いします。
Rerebunさま
いろいろ誤解、曲解がありますが、私個人的に気になったので、投稿させていただきます。
>信者から寄進を受けているあなたにはお金を稼ぐ大変さは分からないでしょうが
→神父さま方は、清貧、従順、純潔を守っていらっしゃいます。
スプーン一本ご自分のものでないし(清貧)この世で蓄えた財産を残す家族もありません(純潔)。
世界一の金持ちとされているローマ教皇も、その財産を受け継ぐ係累がありません。
死後の永遠という観点から見ないと、神父様の老後は、われわれから見ると、家族もなく、孤独です。
また、日本は、カトリックから見て、宣教国なので、実は、ほとんど外国の教会から資金援助を受けています。特に、ドイツのケルン教区。
>アメリカというキリスト教国からもたらされました。仕事を失い、日々の生活費にすら不安を覚えている日本国民に対する共感が全くないのに驚きました。
>また、途上国を搾取しているのは、アメリカとヨーロッパというキリスト教国でしょう
→アメリカ、ヨーロッパが、キリスト教国家になりきっていないのが問題であると思います。
またあなたは過去のカトリックの堕落行為を、ステレオタイプに述べられると思いますが、それも、実は、完全なのは、神様で、過去の教皇様でもいろいろな方がいたという認識です。
カトリックは、天国にいる教皇、地獄にいる教皇と言い切るflexbilityを持っていますよ。
太陽は完全でも、太陽をさしている指には、傷があると同じだと思います。
しかし、太陽を、指している事実を信じます。、
でもそうやって、教会に興味を持ってくれることに、神様が働いていらっしゃると考えちゃうのが、困ったわれわれです(^o^)
死後の世界の問題、生きる意味抜きに、カトリック、信仰を考えたら、あなた様の言うことはには、一理あります。
rebunさま2
★信仰を得ると、思考方法まで変わってしまいます。
ひとは、その事実だけをみると、洗脳されたといいます。
われわれは、客観的に、神様がいて、それに触れた故に変わったと、信仰で信じます。
信仰的思考は、機能的科学的思考と違い、啓示的演繹的思考になります。
まず、我らが所属する神の国は、今だ地上にない。
われわれは、神の国に所属しているが、そこから、たまたま日本という国に使わされたと信じている、神様抜きに見ると、困った人々なのです。
Re:活躍するカトリック信徒たち
では、私の自己紹介を致します。私は、中年男です。中学高校はカトリック系、大学はプロテスタント系に通いました。キリスト教徒では有りません。実際に多くのキリスト教徒と接してきました。社会に出てからも、キリスト教徒と接する機会が多くあります。私の話はステレオタイプでも観念論でも有りません。実体験に基づいて論じています。
まず、paolo12様の論述に関して述べます。全般として、俗信仰、御利益信仰、拝金主義、精神の荒廃、これらは、戦国時代から宣教師が批判してきた有色人種、異教徒蔑視のステレオタイプの日本人批判、日本の宗教批判です。誠に申し訳ないが、これについて論ずる価値を見いだせません。
ただ、二つ気になることが有ります。>やはり同じような精神土壌の今年日本のGDPを超える中国の経済的台頭に、大きな津波が来ることを感じる。
でも、楽観的に考えると、中国に1億人いるというキリスト信者に、希望を、日本より感じることもある。(日本の檀家制度と同じく官製であり、バチカンと交流は表向きないがーー地下にはすごい数がいるといわれている)
このように中国対して若干の批判は有っても肯定し、礼賛する。文化大革命当時の反日左翼、反日クリスチャンから何も変わっていない。なぜ現実をしっかりと見ないのか。
次に、>物質、見えるもの、お金に価値を置く人生観から、社会病理が見えてくる。
ちなみに、日本の昨年の自殺者3万人以上、カトリック極貧国フィリピン600人(^o^)
アウグスチヌスは、神は、人をご自分の似姿にお造りになった。
よって、神のもとに帰るまで本当の安らぎがないといった。
自殺を論じている文章に笑顔の絵文字を入れる神経には、首をひねらざるを得ない。3万人で有ろうが、600人で有ろうが、人が亡くなっているんですよ。カルトにはこのような者がいるが、カトリックにいるとは。
次にAnonymous User様より、>→神父さま方は、清貧、従順、純潔を守っていらっしゃいます。
スプーン一本ご自分のものでないし(清貧)この世で蓄えた財産を残す家族もありません(純潔)。
これに関して、ブログという公の場に書くべきではないし、人にはあまり話をしたことがないので、書くのを止めようと思っていましたが、あえて書くことに致します。私は、アル中になっている神父を数人知っています。酒を飲むのは構わない。しかし、アル中になるまで飲むのはいかがなものかと思います。宗教者ならば、自己管理ができなくてはなりません。
また、風俗に通う神父も知っています。暴露ネタにはしたくはありませんので、ここまでにします。
次に>アメリカ、ヨーロッパが、キリスト教国家になりきっていないのが問題であると思います。
かつて、ソ連が崩壊したとき、日本の左翼が、「ソ連の社会主義は間違った社会主義だった。だから失敗した。正しい社会主義が行われていれば、このようなことにはならなかった。」といったのと全く同じです。このような詭弁を弄するからキリスト教徒は信用されないのです。
次に、>またあなたは過去のカトリックの堕落行為を、ステレオタイプに述べられると思いますが、それも、実は、完全なのは、神様で、過去の教皇様でもいろいろな方がいたという認識です。
これについては、ブログ主様も論じておられるでしょうが、カトリックの堕落行為を「過去」にあった、と決めつけていいものでしょうか。近年、カトリック教会で神父が、十代前半までの子供を性的虐待していたとアメリカで問題になりました、正確な人数は分かりませんが、一万人を超える児童が被害に遭ったと考えられます。また、アフリカでは、神父が修道女をレイプする事件が多いとマスコミの報道がありました。日本でも大阪のカトリック茨木教会でセクハラがあり、神父が警察に逮捕されました。容疑不十分で釈放されましたが、大阪教区の代表が謝罪しました。ということは実際にあったということです。
これは、プロテスタントですが、近年韓国人牧師の日本人信者に対する強姦事件が増えてきていると報道がありました。隠ぺい工作が行われ、被害者が泣き寝入りすることが多いと聞きます。
キリスト教が過去の過ちを反省しているとは到底思えません。
>信仰を得ると、思考方法まで変わってしまいます。
ひとは、その事実だけをみると、洗脳されたといいます。
われわれは、客観的に、神様がいて、それに触れた故に変わったと、信仰で信じます。
>信仰的思考は、機能的科学的思考と違い、啓示的演繹的思考になります。
まず、我らが所属する神の国は、今だ地上にない。
われわれは、神の国に所属しているが、そこから、たまたま日本という国に使わされたと信じている、神様抜きに見ると、困った人なのです。
頭の悪い私には内容が理解できません。ただ、機能的科学的思考とは、物質中心の考え方、啓示的演繹的思考とは、カミの意思に従うととらえてよろしいでしょうか。ブログ主様がよく論じられていることと同じように思います。さて、昔仙人は霞を食って生きているといいました。
キリスト教徒も霞を食って生きられるならば、物質中心の思考生き方を批判するのもよろしいでしょう。しかし、生命を維持するには食べるものがいる。さらに現代はエネルギー、動力機械、道路、その他あらゆる文明の利器がなければ、食べ物さえ手に入れることができない。過度の物質文明批判は、石器時代にもどれ、ということになる。現実を見てから精神を論ずることができないようでは話にならない。
なぜ、精神と物質を反比例の関係で見るのでしょうか。精神と物質とを調和させ、共に高めていくという考え方がなぜできないのか不思議です。
さて、ブログ主様の論説について、考えたく思います。細かく見れば、同意できない点もありますが、まず、正論であると思います。しかし、これまでの論説と矛盾するのではないでしょうか。戦後日本は富を独占して罪をおかしている。日本人はあくせく働き金銭欲におぼれ、精神を自ら破壊している。このような内容だったと思います。
まず、深刻な格差はいつごろから始まったのか。小泉改革からでしょう。仰る通り新自由主義が格差を生みました。それまでの日本は、一億総中流といわれ、だれもが、程々の豊かさを楽しみ、会社も終身雇用制、年功序列で安心して働ける環境、また会社の社員も仲間意識があり、協力しあって仕事をしていたものです。
一つの目的に向かって、仲間がともに協力し達成していくのは、これも精神的豊かさの現れであると思います。
しかし、新自由主義はこれを壊した。だから、格差だけではなく精神の荒廃も引き起こした。
これまでのブログ主様の言では、終戦後から精神の崩壊が始まっているとあります。確かにないとはいいませんが、まだまだ江戸、明治、大正、昭和初期からの貯金がありました。
ここまで、ひどくしたものは、アメリカ仕込みの新自由主義です。これが日本人の美徳をことごとく破壊した。では、新自由主義とは何か。マルクスの裏返しという学者がいれば、キリスト教の完成された形という学者もいる。この思想は、最も熱心にキリスト教を信仰しているアメリカでできた思想です。キリスト教が無関係とは絶対に言えない。
キリスト教徒はこの思想をわが事として、見つめなければならないでしょう。
さて、全く話が変わりますが、某大物政治家が、「キリスト教は排他的、独善的宗教だ。」と発言しました。最初に断っておきますが、政治家としてこのような発言をするのは論外です。政治家が個別の宗教を批判すると冗談抜きで戦争になります。
某政治家に対する批判は置き、失礼ながら面白いと思ったのは、キリスト教の諸宗派の対応でした。私には図星をつかれて逆上しているようにしか見えませんでした。この発言で、キリスト教だけでなく、イスラム教も批判しているのに、私の知る限りでは、イスラム教は某政治家を相手にしていませんでした。
そこで、私の実体験を述べたいと思います。先に申したように中学高校はカトリック系でした。そこで体験した排他的、独善的なことを申します。大学を進学するにあたって、推薦入学というものがあります。この学校では、推薦する生徒をキリスト教徒から優先に選んでいきます。
キリスト教の学校だから当然じゃないかと思われるかもしれません。それなら、最初からキリスト教徒ではない生徒を入学させなければよいのです。また、そのような不公正をするなら、憲法違反の私学助成金を返上するべきです。
大学はプロテスタント系でした。私が入学してまもなく、キャンパスにチャペルを建てることになり、OBに寄付を募りました。無事寄付が集まり、チャペルは完成しました。そこで、寄付をしたOBがチャペルの中を是非みたいと大学側にお願いしました。大学側の答えは「信者でない方は入れません。」これ以上は申しません。
以前に書き込みましたが、某カトリックの高名な作家夫婦が、貧乏人、頭の悪いもの、途上国を差別すると書きました。私の友人で、学生時代カトリックに入信したものがいます。入信した頃は「これで救われた!」と熱心にといて回っていましたが、数年後には、「カトリックは、金持ちが貧乏人を差別する。また、教会に行くと人間関係で苦しむ。」といって棄教しました。金持ちが貧乏人を差別するのは論外だが、世俗で人間関係に苦しむから、宗教に行くのであって、宗教に行って苦しむのはあべこべでしょう。
また、プロテスタントに入信した者は、日本人の価値観のすべてを否定されたといって棄教しました。
このように私は日本人にしてはキリスト教の内部をかなり知っています。ここにはかけないこともかなりあります。それを踏まえて申します。カトリック、プロテスタント双方は、日本人が2千年の歴史で築き上げてきたもの、優れたな宗教、学問、文化、芸術、またそれを踏まえた高度な知性、倫理、道徳これらを計画的に破壊しています。
日本とフランスにしかない野蛮な政教分離の原則、これを使って、日本の伝統宗教、特に神道を徹底的に攻撃し破壊する。法廷闘争を行う。宗教者にあるまじき行為です。
ゆとり教育という名の愚民化教育、これを推し進めたのは、キリスト教徒です。教育関係の諮問機関にカトリック、プロテスタントの信者が多数入り、実現させました。
キリスト教を知れば知るほど、日本にとって危険な宗教であると分かります。
キリスト教の信仰を捨てよとまでは言わない。しかし、日本から出ていってください。
罪という概念さえ、神様を知らないと持てません
キリスト教信仰を持つには、自分が、罪深く、どうし言うもないと、とことん思えなければ、持てません。
罪という概念さえ、神様を知らないと持てません。
あるいは、結果的に信仰をもつと、わたしという絶対的理性をもったと錯覚した個人が、相対的に、神を信じるのではなく(そんな私が信じる神は私のの作った偶像です)、神という客観的実在が、私に信仰をくださったと、思うのであります。
正確には、そう信じます。
宗教とは、私を絶対化しないことだと思います。
私が、いかに絶対化できない存在だと知ることが、一歩目です。
そして、私をはるかに超えた法則性(啓示性)に、自分を委ねるのだと思います。
信じてるものからすると、そこに花があるように、神様は、実感、体験なのです。
そんな非宗教者から見ると、行っちゃってる人が書いた書物が、聖書だと思います。
行っちゃった最初の人が、イエスということに、はたから見ると、そう見えるのでしょうな。
でありますから、非キリスト者からすると、完全に行っちゃってる(^o^)、自己決定を他人に預けた非近代的盲目者として映るのだと思います。
しかし、それは、個人的宗教体験にもとずいているから、殉教してまで信じることができます。
かみさまが客観的のおわせねば、イエスの復活がなければ、殉教、司祭の独身制は、馬鹿らしい、空しいものです。
たとえば、私は、
★人がこの世に生れて来たのは、天主を知り、天主を愛し、天主に仕えて、
遂に天国の幸福を得るためであります。
「人全世界をもうくとも、若し魂を失わば何の益かあらん」(マテオ16-26)
★人とは、肉身と霊魂とを合わせたものであります。
★死とは、霊魂が肉身を離れることであります。
と信じています。
まあ、つきはなした、行っちゃってる言い方、に聞こえると思いますが、rebun様が、いま、これを読んで、憤慨される自我は、霊魂に属し、人間にしか付与されていないと信じます。
よって、死を迎えたときに、多分、意識する自我=霊魂があることを実感されて愕然とされると思うと、私は信じます。
その時すべてがわかると思うのです。
キリスト者になって、一つ言えることは、何時死んでもいいという覚悟ができます。
キリスト教とは、哲学でも時評でもなく、個人のいのちそのものだと信じています。
さらに反論させていただきます
他宗教を批判するのは、その宗教を信ずる者の言動、行為までに抑えておくのが礼儀であると考えています。
次に、キリスト教は、独善的、排他的であることについて。キリスト教は独善的、排他的であると批判をすると、キリスト教徒はヒステリックに反応します。キリスト教の独善性、排他性の証明は、皆様の文章のなかにあります。その趣旨にはキリスト教以外の価値観を全く認めないと、はっきりと述べられています。神道、仏教、儒教、イスラム教、ヒンズー教にはそのような考え方はありません。それぞれ自分たちの要求があり、衝突することはありますが、根本的に他宗教を完全に認めないという考え方はありません。
キリスト教ほど度し難い独善性、排他性のある宗教は世界にありません。
ここまで書くのは止めておこうかと迷いましたが、一連のやり取りから書かざるを得ないと考えました。気が重いですが、書くことにします。
皆様(カトリック)だけでなく、私がこれまで関わってきた、キリスト教徒(カトリック、プロテスタント)の論説からはっきりと分かることは、日本並びに日本人に対するおぞましい憎悪、嫉妬、呪いの情念をはっきり感じ取れることです。
これに対し、中国、アメリカ、ヨーロッパに対して、おざなりの批判をするだけです。日本と中国、アメリカ、ヨーロッパのどこが違うのか。日本は、キリスト教を全く相手にしなかった国、アメリカ、ヨーロッパはキリスト教国、中国はキリスト教を受け入れつつある国であることです。フィリピン(カトリック)のような救いようのない国を擁護し、インド、タイ、インドネシア、マレーシア、台湾(ヒンズー、イスラム、仏教、道教)に対しては冷淡である。これら五カ国は、日本と同じくキリスト教を受け入れない。そして、日本と協調しつつ、自助努力で発展してきた国です。だから認められない。
幼稚かつ狭量な心です。
では、アメリカはどのような国か、映画監督マイケル・ムーアの一連の作品を見れば分かるように、お金がすべての非人間的社会です。現代にこのようなおぞましい国家が存在するのか、と驚愕します。今の日本が格差社会といってもアメリカほど人格を否定し生存権を認めないことはありません。日本とは比較することができないほど、お金がすべてを支配する社会です。
ヨーロッパはどうか。アメリカほど酷くはないが、日本より遥かに格差社会です。ヨーロッパのどこの国でも、いわゆる下層階級の若い女の子が、コールガールになって、家族を養っています。その現実を私は知っています。こちらも、アメリカほどひどくはないが、お金が最も高い価値を持つ社会です。
中国はどうか。一つの国にヨーロッパとアフリカが同居しているといわれるほどの格差社会。売春、人身売買は当たり前、人殺し家業も大繁盛、役人に賄賂を渡さなくては生きていけない。言論の自由、基本的人権なんぞあるわけがない。チベット、ウイグルだけではなく、少数民族への弾圧、搾取、殺戮、外国のテロ組織に支援をする。そして、中国人は日本だけではなく、世界中へ出国して、その国で凶悪犯罪を犯す。世界の癌です。これは中国共産党だけが悪いのではない。一人一人の中国人が、様々な常軌を逸した問題を起こしている。この国もすさまじい拝金主義の国です。
これら人心の荒廃した国々が富を得てもさほど批判はしない。むしろ、中国のGDPが日本を越えるといって喜ぶ。しかし、キリスト教を受け入れずに豊かで高度な精神文明を築き上げた日本人が富を得ることを絶対に許せない。いや
、度し難い「罪」を犯しているから、日本人は富を得ていると考える。だから、日本人が、アメリカ人、ヨーロッパ人、中国人と比較してお金に執着せず、道徳を守り、法律を遵守し、安寧な社会を築いても、日本は、精神的に荒廃している。お金の価値がすべてといった罵倒をする。経済大国よりも文化大国を目指せという。
ではその「文化」とは何か?キリスト教である。これまで築き上げた精神的、文化的、経済的豊かさ、高度な技術、学問、神道、仏教等の伝統宗教、それに基づく、文化、伝統、習慣、しきたり、知性、倫理、道徳、慣習、これらをすべて捨て、キリスト教に服従し、これまでの「罪」を認め、「カミ」に赦しを請う。これが、あなた方のいう「文化大国」なのでしょう。
あなた方キリスト教徒にとって、非キリスト教徒の日本人が、精神的、宗教的、倫理的、道徳的、文化的、特に経済的に豊かになるのは、「カミ」に対する赦しがたい背徳なのでしょう。そして、あなた方キリスト教徒は日本国籍を有していても、日本人、日本国民という意識は全くない。「カミの国からたまたま日本に派遣されている」の言葉でも分かります。
では、キリスト教が、日本人が築き上げてきた叡知を捨ててまでも価値のあるものでしょうか。
来日外国人刑法犯検挙人員。1位中国48,2%、2位ブラジル12,5%、3位韓国6,9%、4位ベトナム6,5%、5位フィリピン4,0%、6位ペルー、7位ロシア2,5%、8位アメリカ1,5%、9位コロンビア1,0%、10位台湾1,0%、その他12,1%(平成16年)。このように、ベトナム、台湾以外はすべてキリスト教国、もしくは、キリスト教徒急増国です。しかも、韓国、ロシア、アメリカ以外はカトリック教国です。また、ベトナムは植民地支配の影響で約10%はカトリックです。さらに、OECD加盟26カ国(日本以外すべてキリスト教国)の強盗、暴行、恐喝の各国の被害者率は日本が最も低い結果になっています(2005年)。
そして、アメリカ等、白人キリスト教国は、金融危機以前法律に規定がなければ何をやっても良い、として道徳から外れることを多々行ってきました。
日本にはキリスト教国以外から多くの外国人がきているが、なぜ、「罪という概念さえカミ様を知らないと持てません」というキリスト教徒の犯罪性向が高いのか、考えてみてください。どの宗教でも、高い宗教的境地に達するため、到底守りきれぬほどの次元の高い掟があります。その掟を一般社会に適用することは不可能です。そこで、どの社会でも社会を円滑に営むため、最低限の道徳、倫理、法律(刑法、民法、商法等の一般法)を規定します。この最低限の道徳、倫理、法律を守れぬキリスト教徒に高度な宗教的掟を守れるわけがありません。日本人の知的水準をキリスト教徒の知的水準まで下げるわけには行きません。
やはり、キリスト教徒には、全員日本から出ていってもらわなければなりません。
Re:活躍するカトリック信徒たち
を目指して行なった十字軍遠征や、現代のアイルランドにおけるカトリック教徒とプ
ロテスタント教徒との対立、またとかく宗教がらみの中東戦争などをさして、多くの
人がそのような疑問を持ちます。
問題は、これらの争いが本当に「宗教戦争」だったか、ということです。
たとえば、ある人がキリスト教の教典である『聖書』を持っている、としましょう。彼
は聖書を読んでいるでしょうか。
読んでいるとは限らないでしょう。読まないで聖書を「積ん読」するだけの人は、
たくさんいます。
では、ある人が聖書を読んでいる、としましょう。彼ははたしてクリスチャンでしょ
うか。
いや世の中には、クリスチャンでなくても聖書を読んでいる人は、たくさんいます。
またある人が、教会に毎週通っているとしましょう。彼は、聖書の教えにつねに従
って生きているクリスチャンでしょうか。
そうとは限りません。欧米などでは、単に社交的に教会に通う人や、教会通いが
単なる慣習になってしまっている人々も、少なくないのです。
同様に、ある人が自分を「キリスト教徒」「クリスチャン」だと自称していたとしても、
その人が必ずしも神と聖書を信じている人であるとは、限りません。
単に「先祖代々の宗教がキリスト教だから」という理由で、自分を「キリスト教徒」
と呼ぶ人々は、とくに欧米などではひじょうに多いのが実状です。
このように、「聖書を持っている」「聖書を読んでいる」「教会に通っている」また
「キリスト教徒と自称している」からと言って、その人が必ずしも聖書の教えに生き
ようとしている真のクリスチャンであるとは、限りません。
また、キリスト教徒の多い、いわゆる「キリスト教国」に生きているからと言って、
その人が「キリスト教徒」であるとも言えません。
「キリスト教徒」であるか否かは、ひとえに、その人が聖書の教えに従って生きよ
うとしているか否か、にかかっているのです。
聖書の教えは、あくまで、
「殺すなかれ」(申命5:17)
であり、
「自分で復讐をしないで、神の怒りに任せなさい」 (ロマ12:19)
です。
欧米などの歴史において、「キリスト教徒」や「キリスト教国」の名のもとに行なわ
れてきた悲惨な争いは、本来、聖書の教えに全く逆行したものです。
彼らがみな真に聖書の教えに生きていたなら、あのようなことは、決して起きなか
ったでしょう。
あなたは、1990年にイラクがクウェートに侵攻した際、フセイン大統領がアッラー
の神に礼拝している光景を、きっとテレビで見たことがあるでしょう。フセイン大統領
は、「イスラム教徒」を自称しています。
では彼は、イスラム教の教典『コーラン』の教えに真に従って生きているかというと、
そうではないでしょう。
クウェート侵攻や、クウェート人に対する虐殺行為は、『コーラン』の教えに全く逆
行するものでした。
フセイン大統領は、真のイスラム教徒ではなく、自分の行為を正当化するために
「イスラム教」を持ち出してきただけなのです。
ある日本人が、アメリカ人に、「キリスト教国であるアメリカが、なぜ日本に原爆を
落としたのですか」と聞いたところ、そのアメリカ人は、「では、なぜ仏教国である日本
が、真珠湾を攻撃したのですか」と聞き返したとのことです。
あなたは、これに何と答えますか。
「日本は仏教国だといっても、日本人全員が仏教の教えに忠実に従って生きていた
わけではない」と答えるのではないでしょうか。
日本国民は太平洋戦争の時、ほぼ全員が、日本政府の戦争行為を支援しました。
戦場に行った兵士の中には、仏教の影響を受けた人々や仏教の信者も、数多くいま
した。
だからといって、日本の戦争が仏教の教えによるとはいえないでしょう。
このように、すべての戦争は、本質的に人間の罪深い性質や、政治的対立に基づく
ものであって、決して宗教自体の産物ではないのです。(
Re:活躍するカトリック信徒たち
問題は、キリスト教国家といわれる国が、真にキリスト教国家足りえないこと。
ご指摘の日本のクリスチャンの責任も、われわれにあることです。
天の父よ、
我らをお許しください、
我らも人を許します
彼らは何も知らないのです
われらの責任です
Re:活躍するカトリック信徒たち
私に、愛がありません
騒がしい鐘と同じで、真理を言っても、愛がないので、キリスト教に反発という形で、永遠を、天の父を求めている方に、あなたのあふれる愛とこの方の立っている客観的実存をお教えできません。
インターネットの限界もあると思いますが、この方が、自己絶対化を脱出されて、あなたを受けいれるようになるように祈ります。
Re:活躍するカトリック信徒たち
Re:活躍するカトリック信徒たち
二重になった部分を削除しましたが、誤って自分の文章も削除してしまいました。他意はありません。
Re:活躍するカトリック信徒たち
もちろん、実体験に基づいて書かれてある箇所は、所詮1つの経験に過ぎないとも言えます。それで「私はキリスト教を分かっている、私は知っているんだ」と言い切っていいとは思えません。※あと、井上神父の件は「容疑不十分で釈放ということを受け、教区代表が謝罪→ということは実際にはやっていた!」はおかしいです。事実は分からないままです。
しかし、rebunさんは1つの大切な悲しい事実なのではないか(学生時代のこと、OBとしての経験)…とも思いました。ちゃんと受け止めるべきことだと思います。書くのをためらうような内容(暴露ネタっぽいこと)については私も知っていました。
でも、こういう一部の現実を知ってよかったかもしれない。もしかすると、こういう理由で私より先に洗礼を受けた方々が来ないのかも…ちっとも実質的信者は増えません。私の知人も「白い目で見られる」と言ってまして、その後来ません。あまり人には言えない職業をしていることで傷つけられたと…。クリスチャンが教会に来ない、クリスチャンになる人がいないか…当然だろうなぁ。
結局、教えと人間は大きく乖離しているからね…。
人間というのは聖職者も信徒もってこと。
所詮は人間だもんね。
rebunさんに反論しているような人たちは反論になっていないと思います。クリスチャンなので反論とかはしないのでしょうかね?話をごまかす方向に向いていると感じました。
Re:活躍するカトリック信徒たち
また、その神父様が、ミサをされても、もちろん私たちはあずかると思います。
完全なのは、三位一体の神様だけでしょう。
カトリックのリアリズムは、過去の教皇に対し、天国にいる教皇、地獄にいる教皇という本があることにもあります。
Re:活躍するカトリック信徒たち
Re:活躍するカトリック信徒たち
>アメリカがサブプライムローンをいう詐欺をやったからでしょうが。
rebun様はその詐欺のしくみや、アメリカ経済の事情を踏まえた因果を考えたことはあるのでしょうか?
サブプライムローンの発生のしくみを1つ1つについて見ていけば、ごく普通の出来事であるのですが、全体を俯瞰すると、地獄への道は善意で踏み固められている、という経済現象です。
>また、途上国を搾取しているのは、アメリカとヨーロッパというキリスト教国でしょう。
rebun様、G20の先進国がすべてキリスト教国なのでしょうか。
もちろん、キリスト教徒がこの世で一番おおいのですから、悪人をしょっぴいてきたらキリスト教徒である確率が一番高いのは中学生でも分かる話です。
>それほど、日本が嫌いで文句が有るのならば、日本から出ていってから批判するのが道理だ。
数学的にまっすぐな直線を見たことなんてないデカルトがそれを2本つかって平面座標を考案したことは大変有名です。
xxに反対の立場であったりxxを体験したことの無い人はxxから無縁の場所にいなければならないとするならば、数学的にまっすぐな直線を体験できない我々は自動車や電車に乗ることすら叶わないことでしょう。
踏み絵で死んでいった隠れキリシタンのご先祖が多い長崎県を
日本から切り離さないといけないのかもしれませんね(笑)
rebun様、それは道理といえましょうか?
木を彫刻できる道具はノミであるように、人の世を彫刻できる道具は論理ではないかと考えます。
人の世を彫刻するのに、rebun様のように感情という道具を用いてもあまりいい彫刻はできないでしょう。
それこそお釈迦様のおっしゃる「業」に他なりません。
Re:活躍するカトリック信徒たち
>rebun様、G20の先進国がすべてキリスト教国なのでしょうか。
G20は先進国の集まりではありません。先進国に定義づけられているのは、日本以外では、すべてキリスト教国です。G7先進国首脳会議、G8主要国首脳会議(ロシアは先進国ではないため)、そして、この金融危機はもはや先進国だけでは対応できないため(キリスト教国の尻ぬぐいをするため)、新興国、発展途上国を含めたG20が結成されました。それからあなたのハンドルネームはdarmaですが、正しくは、dharmaです。
>もちろん、キリスト教徒がこの世で一番おおいのですから、悪人をしょっぴいてきたらキリスト教徒である確率が一番高いのは中学生でも分かる話です。
これについてはすでに論述しています。
>来日外国人刑法犯検挙人員。1位中国48,2%、2位ブラジル12,5%、3位韓国6,9%、4位ベトナム6,5%、5位フィリピン4,0%、6位ペルー3,9%、7位ロシア2,5%、8位アメリカ1,5%、9位コロンビア1,0%、10位台湾1,0%、その他12,1%(平成16年)。このように、ベトナム、台湾以外はすべてキリスト教国、もしくは、キリスト教徒急増国です。しかも、韓国、ロシア、アメリカ以外はカトリック教国です。また、ベトナムは植民地支配の影響で約10%はカトリックです。さらに、OECD加盟26カ国(日本以外すべてキリスト教国)の強盗、暴行、恐喝の各国の被害者率は日本が最も低い結果になっています(2005年)。
>
>そして、アメリカ等、白人キリスト教国は、金融危機以前法律に規定がなければ何をやっても良い、として道徳から外れることを多々行ってきました。
>
>日本にはキリスト教国以外から多くの外国人がきているが、なぜ、「罪という概念さえカミ様を知らないと持てません」というキリスト教徒の犯罪性向が高いのか、考えてみてください。どの宗教でも、高い宗教的境地に達するため、到底守りきれぬほどの次元の高い掟があります。その掟を一般社会に適用することは不可能です。そこで、どの社会でも社会を円滑に営むため、最低限の道徳、倫理、法律(刑法、民法、商法等の一般法)を規定します。この最低限の道徳、倫理、法律を守れぬキリスト教徒に高度な宗教的掟を守れるわけがありません。日本人の知的水準をキリスト教徒の知的水準まで下げるわけには行きません。
>rebun様はその詐欺のしくみや、アメリカ経済の事情を踏まえた因果を考えたことはあるのでしょうか?
サブプライムローンの発生のしくみを1つ1つについて見ていけば、ごく普通の出来事であるのですが、全体を俯瞰すると、地獄への道は善意で踏み固められている、という経済現象です。
経済理論を論じる場ではないので、詳しくは申せませんが、これは、アメリカの地価が永遠に上昇し続けるというあり得ない前提条件の下に、本来、家を買うだけの収入がない者に、「永遠に価格が上昇する土地」を担保に、高利で住宅ローンを貸し付けたものです。その債権を証券化(いわゆる細切れ)して良質な債権に複雑かつ巧妙に組み込ませ、多種多様な金融商品として世界中に売りさばいた。このためサブプライムローンが焦げ付いたとき、どれ位の損失が出ているかすら把握できなかった。推定では、世界の一年間のGDPの5倍くらいあるといわれます。詐欺以外のなにものでもありません。少なくとも欲のかたまりです。あなたは、合成の誤謬とおっしゃりたいのでしょうが、そのような次元のものではありません。法律的な意味の善意も、一般的な意味の善意もありません。
>数学的にまっすぐな直線を見たことなんてないデカルトがそれを2本つかって平面座標を考案したことは大変有名です。
xxに反対の立場であったりxxを体験したことの無い人はxxから無縁の場所にいなければならないとするならば、数学的にまっすぐな直線を体験できない我々は自動車や電車に乗ることすら叶わないことでしょう。
踏み絵で死んでいった隠れキリシタンのご先祖が多い長崎県を日本から切り離さないといけないのかもしれませんね(笑)
rebun様、それは道理といえましょうか?
>
>木を彫刻できる道具はノミであるように、人の世を彫刻できる道具は論理ではないかと考えます。
人の世を彫刻するのに、rebun様のように感情という道具を用いてもあまりいい彫刻はできないでしょう。
それこそお釈迦様のおっしゃる「業」に他なりません。
頭の悪い私には、おっしゃる意味がよく分かりませんが、業の意味を分かったうえで仰っているのでしょうか。生兵法は大怪我の基と申します。キリスト教徒は全員日本から出て行くようにといったことが、お気に障るのでしょうか。誠に申し訳ありませんが、感情的に申したのではありません。考えに考えた末、これしか我々日本人とあなた方キリスト教徒双方の幸福が得られないという結論に達したから申しているのです。
法の支配という言葉をご存じでしょうか。近代国家には、法治主義が必要ですが、さらに必要なものは、法の支配です。日本では法の支配と法治主義が混同されていますが、法の支配の「法」と法治主義の「法」は全く概念が違います。
法治主義の「法」は憲法をも含めた、一般的に言われる「法律」です。そして、法治主義とは、法律が国家権力の行使を厳格に定め、とくに行政と司法において法律に従って行われることを言います。
では法の支配の「法」とは何か。人間の意志から超越した古来(先祖代々)からの神聖な真理を言います。つまり、伝統文化、伝統工芸、伝統的技術、また伝統に基づく精神文化、習慣、慣習、知性、倫理、道徳、商習慣、しきたり、礼儀、礼節、一般的常識、日々の生活から生まれる知恵、先祖代々築き上げてきた精神的、物質的財産、そしてこれらの大本になる伝統宗教です。日本では神道と仏教になります。これらの叡智から見いだされるのが法の支配の「法」です。
では、法治主義だけではなく、法の支配がなぜ必要か論述します。
ヒトラーは、どのようにして独裁政権を作り、ユダヤ人を大量虐殺したのでしょうか。当時、民主主義のエッセンスを集めたといわれるワイマール憲法を破棄して行ったのでしょうか。違います。ヒトラーはワイマール憲法の規定に従って正式な手続きで法律を制定し、これに基づいてナチス独裁を果たし、ユダヤ人を大量虐殺したのです。つまり、法治主義に基づいて、もしくは守って行われたのです。ドイツには法の支配の概念がなかったのです。
法治主義のみですと、手続きが正当に行われればいかなる内容でも法律として制定できるのです。法の支配(倫理、道徳)があれば、神仏をも恐れぬ法律なんぞ制定できません。また、法の支配の下にある司法ですと悪法から国民を救済することができます。しかし、法治主義のみの裁判では、悪法を無効にすることができません。また、法の支配に反する法律は無効であると同時に、法の支配に反する法律解釈も認められません(憲法も含め)。近代国家は「法の支配」の下にある「法治主義」でなければならないのです。
なぜこのようなことをくどくど申したかといいますと、日本における法の支配の「法」とは、前述しましたように、神道、仏教に基づく叡智であります。日本国民はこれに従わなければなりません。また、日本国内に住居する外国人も従わなければなりません。勿論宗教行為をしろというわけではありません。神道、仏教から流れ出た、道徳、倫理、伝統文化、しきたり、常識、礼儀等々に従えというものです。キリスト教国はキリスト教から流れ出た叡智に従う。イスラム教国、ヒンズー教国等々も同じです。そこの国の伝統宗教から流れ出た叡智に従わなければなりません。
しかし、日本国におられるキリスト教徒の方々は、日本における法の支配の「法」に従う気持ちが全くない。神道、仏教等、日本の伝統宗教を全く認めない(信仰するという意味ではない)。それに基づく伝統的価値観も認めない。これではどうしようもない。キリスト教の信仰を認めないといっているわけではありません。自分の信仰したい宗教を信仰するのは自由です。しかし、自分の国の価値観に(外面的には)したがわなければならない。どこの国に行っても同じです。
こう言いますと日本人がすべてキリスト教に改宗すれば問題は解決すると言われるでしょう。しかし、これは絶対に不可能なことです。たとえ、日本人がすべてキリスト教に改宗してもこれまでの伝統的価値観と完全に切り離されるため、法の支配は成り立たないのです。
ではどうすればよいのでしょうか。日本が近代国家、自由主義、民主主義国家として営んでいくためには、法の支配に基づく法治主義を捨てることは絶対にできません。しかし、キリスト教徒の方々は、そのような気持ちは全くない。
最後の手段として、キリスト教徒の方々に、もっとも適した国に移住して頂くのが一番良いのではないか。カトリック信者ならカトリックの法の支配のある国、プロテスタント信者の方なら、各宗派の影響力の強い国に移住して頂く。そうすれば、キリスト教徒の方々も、日本で感じる不満、苦労、いらだち等、苦しみから脱して、自分の信仰にあった「法の支配」の下で幸福かつ充実した人生を送れるのではないか。このように考えたのです。
胸を張って、誇りを持って、もっとも適した国に移住されることが、キリスト教徒の皆様の幸せになり、信仰に基づく満ち足りた人生になると確信しております。
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