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現役を退いて暇になると、何かにつけて過ぎし日を思い出し、また、いろいろと考えごとをしてしまう。こうした折々の想いをインターネットに公開して、多くの方々と分かち合おうというのがこのサイト。
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最近の一連の書き込みについて

by P.Itonaga posted at 2010-03-10 15:20 last modified 2010-03-10 17:44
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わたしのホームページやブログは一般に公開されており、ご意見の書き込みも自由で、暴露記事以外はこれを歓迎しています。それはあくまで対話のためであって、論争のためではありません。そこで、最近の書き込みについて少し整理した方がよいと思いましたので、いくつかの点を指摘しておきます。

キリスト者は主キリストより全世界への福音宣教の使命を受けていますから、わたしの記事もキリストを述べ伝えることを目的としています。しかし、信じるか否かは本人が決めることです。従って、諸宗教に対してはあくまで「対話」方式をとっています。対話とは、論争でもなければ妥協でもなく、すべての宗教を尊重しつつ、互いに信仰内容を主張し合って、ともに真理を追究しようという姿勢です。

諸文化については「インカルチュレーション」を旨としています。それは、それぞれの民族や国の文化を否定せず、かえってこれを尊重しつつ、その中に入ってその浄化と発展に寄与しようということです。従って、日本人を批判したり否定したりするつもりは毛頭なく、同胞の幸せだけを切に願っています。

科学や技術、あるいは政治・経済の分野については、ひとえに信仰道徳の観点から国際的な視野に立ってこれに論評を加え、間違っていると思われるものについてはこれを批判します。しかし、この論評や批判はいずれかの個人や国民に対するものではなく、誤った主義・主張などの価値観に関するものです。たとえば、経済大国主義批判は、世界の富は人類共同の遺産であり、従って奪い合うのではなく分かち合うべきものであるにもかかわらず、富の独占や寡占を目指し、労働者を使い捨てにするような世界の「抑制なき資本主義」や「経済第一主義」を否定し、またそこから導きだされてくる新自由主義や市場原理主義を批判しているのです。最近では社会的企業が評価されていますが、まじめな金融・経済活動を否定することはなく、かえってこれを支持します。

なお、新自由主義や市場原理主義がキリスト教国から来るといった議論は少し問題です。これは、「抑制なき資本主義」や「経済第一主義」と同様、近代合理主義の一つの帰結であって、キリスト教とは無関係であるばかりでなく、キリストの教えに反するとして、教会はしばしばこれを批判してきたからです。また、今日のような世俗主義化した社会において、純粋な「キリスト教国」が存在するどうかも疑問です。

 次に、教会内で犯される罪悪についてですが、教会は一般論としては教会内にも残念ながら罪があることを否定しません。聖なる教会は罪びとの教会でもあるのです。しかし、個人の罪については絶対にこれを暴露することはありません。第一の理由は人の名誉を守るためです。人の罪を、たとえそれが事実であったとしても、いわれなくこれを暴露することは名誉棄損の罪になります。第二の理由は、司祭や司教には「赦しの秘跡」における「告白の秘密」を守る重大な務めがあるからです。たとえ「教会は罪を隠すのか」と言われても、秘密は守らなければなりません。

教会は誰をも敵とはしませんが、しかし、自ら教会の敵となって教会を攻撃する人はいるようで、時として教会や教会人の罪悪を暴いてこれを非難することがありますが、それは、自分を正当化するための卑怯な手段にすぎません。今回の書き込みの問題点は、わたしの「経済大国主義」批判に対する反論として教会のスキャンダルを持ち出してこられたことですが、それは問題のすり替えで、反論にならないということです。

時として、自分の不信仰を他人のせいにする人がいるかもしれません。しかし、そうした行為は自分の不信仰を正当化するものではなく、かえって誹謗・中傷の罪を重ねることになります。だからと言って、つまずきの存在を否定したり、容認したりするわけではありません。

 なお、教会内の罪やつまずきについて語るとき、わたしたちは教会が罪の世にあってその使命をしっかり果たしていることを確信しなければならないと思います。教会の聖なる本質と使命を忘れてはならないのです。救い主キリストは、教会を通して「神と人との間の唯一の仲介者」(1テモテ2,5)の使命を立派に果たしておられ、そのおかげで、無数の聖性の模範が世に輝いているのです。

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