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現役を退いて暇になると、何かにつけて過ぎし日を思い出し、また、いろいろと考えごとをしてしまう。こうした折々の想いをインターネットに公開して、多くの方々と分かち合おうというのがこのサイト。
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「マス・メディアは神の賜物」(教皇ピオ12世)

by P.Itonaga posted at 2006-11-21 00:00 last modified 2006-11-25 18:35
ピオ12世

 インターネットにホームページを開いて三週間。隠居部屋から直接世の人々に話しかけることができるとは、不思議に思うと同時に、なんとも便利な世の中になったものだと、しみじみ思うこのごろである。そして思い出したのが、冒頭に挙げたピオ12世の言葉である。神の賜物を神の賜物として大いに活用することは現代教会の一つの義務であろうと思う。もしローマの囚人聖パウロが今日あれば、インターネットを利用するに違いない。

 ついでに、わたしがピオ12世のご尊顔を拝したのは一度きり、1953年の8月末、カナダからの帰国の途中立ち寄ったイタリアの、教皇の夏の別荘地カステルガンドルフォでの一般謁見のときであった。長身のパパ様が白衣に身を包み、両の手をまっすぐ横に広げて祝福を下さる神々しいお姿が、今も鮮やかにわたしの脳裏に焼きついている。

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『大江戸曲者列伝』にシドッチ神父 

by P.Itonaga posted at 2006-11-25 17:58 last modified 2006-11-25 17:59
シドッチ神父

 先日、新聞の書評を見てなんとなく興味をそそられ、買って読んでいる野口武彦著『大江戸曲者列伝』(新潮新書)の中の数ある「曲者」の中に、シドッチ神父が入っていたので驚いた。シドッチ神父はなぜ曲者の列に入るのか。一般の日本史の中であまり語られないからであろうか、それとも特別に興味ある人物だからであろうか。そういえば、日本の教会の中でもシドッチ神父はあまり知られていないのではないか。そこで、少し思い出してみよう。わたしはキリシタン史の専門家ではもちろんないが、シドッチ神父の上陸地が鹿児島の屋久島であり、現地では毎年、町主催の「シドッチ祭」があって、そこで講演を頼まれたこともあり、シドッチ神父来日の真相を知りたいと調べてみたことがある。以下はその一端。

たった一人の教区司祭宣教師

 ジョバンニ・バッチスタ・シドッチは1668年シチリアのパレルモ生まれ、若くしてローマに出て神学校に学び、ローマ教区司祭に叙階された。そして1703年、35歳のとき、時の教皇クレメンス11世より日本に行くよう命じられた。赤穂浪士の討ち入りのあった翌年のことである。

 キリシタン時代から潜伏キリシタン時代に日本にやってきた神父たちは皆修道会司祭であったが、シドッチ神父はただ一人の教区司祭であった。          

日本の教会を案じるローマ教皇

 シドッチ神父はなぜ日本に派遣されたか。シドッチ神父を尋問した新井白石の記録『西洋紀聞』などによれば、日本におけるキリシタン迫害に心を痛めていた教皇は、当時の支那及びシャムにおいて一旦禁じられたキリスト教が再び自由を回復したことに鑑み、日本においてもキリスト教解禁を期待し、正式使節の先触れとしてシドッチ神父を日本に派遣することにしたのである。のちに長崎で発見された潜伏キリシタンたちが、パパ様に派遣されるパードレ(神父)たちがやってくることを待ち望んでいたことが知られているけれども、ローマ教皇のほうも迫害下の日本の教会を案じていたことが、シドッチ神父の派遣はよく示している。 

将軍にキリスト教解禁を訴えるのが来日の目的

 こうしてみると、シドッチ神父は特別の任務を帯びて日本にやって来たのであり、ただの宣教師とは赴きを異にしている。また、キリシタン禁制下の日本でその使命を果たすためには、シドッチ神父ははじめから捕らえられることを覚悟していた風がある。取調べを受けた薩摩においても長崎においても、江戸に行って将軍に会いたいとしきりに訴えた。将軍に会ってキリスト教の解禁を訴えるのが教皇使節の先触れとしてのシドッチ神父の使命だったのである。それにしても、なぜ彼は侍姿で来たのだろうか。マニラの日本人町で侍の小道具を整えたというから、日本に入国するには侍姿がよいと勧められたのかも。

(次回に続く)

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シドッチ神父とキリシタン奪国論

by P.Itonaga posted at 2006-11-30 18:47 last modified 2006-12-01 16:41
シドッチ神父上陸記念碑

 シドッチ神父が屋久島に上陸したのは1708年10月10日、40歳のときであった。日本行きを命じられてから5年がたっていた。1ヶ月後の11月9日、長崎に護送されて長崎奉行の取調べを受け、翌1709年、江戸に移されて、6代将軍家宣の特命を受けた新井白石の取調べのあと、捕囚として小石川のキリシタン屋敷に幽閉され、1715年11月27日、47歳で獄死した。

なぜ、屋久島に上陸したか

 当時、鎖国状態にあった日本で唯一長崎港が外国船に開かれていたが、シドッチ神父は長崎を避けて屋久島に上陸した。一体なぜ。当時の密航者はすべて長崎に送られて取調べを受ける決まりであったのだが、長崎行きを頑強に拒んだことや、長崎ではオランダ人通訳をこれまた頑強に拒んだ事実を見れば、シドッチ神父が当時敵対関係にあったプロテスタントのオランダ人の妨害を恐れていたからだということは明らかである。
 なお、シドッチ神父は屋久島上陸の直前、乗ってきたスペイン船トリニダード号で友人宛に一通の手紙を書いたが、署名のあとに「種子島において」とあるので、種子島と間違えて屋久島に上陸したことは確かだろう。

シドッチ神父、キリシタン奪国論の疑いを晴らす

 まず、シドッチ神父の命がけの願いにもかかわらずキリシタン禁制は解かれなかった。白石は書いている。「キリスト教の社会秩序に与える影響は好ましくない。キリスト教の神が君父の上にあるとすれば、君を軽んじ、父を軽んずることは必定で大変なことになる。それにわが国民は異教を信じやすいときている。従って、キリスト教を厳しく禁じることは、決して過剰防衛にはならない」。
  キリスト教の「超越的人格神」を認めることが、かえって君主や父親の権威を高めることに白石は思い及ばなかった。「神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものです」(ローマ13,1)と聖パウロは言っている。人間は本質的に平等であるから、神から権威を授けられなければ、人の上に立ってこれを指導し、これに命令を下すことはできない。たとえば、命の創造者である神の協力者として子供を産んだ両親は、そのこと自体を通して子育てに必要な「教育的権威」を神から授かるのである。
  ここで注目しておきたいのは、シドッチ尋問の結果、白石が「キリシタン侵略説」または「キリシタン奪国論」の誤解を捨てていること。キリシタン奪国論とは、キリスト教の発展を妬む人々が幕府に進言した議論だが、白石はそれを否定して記している。「シドッチは、一国の侵略的であるか否かは宗教によらず、人にかかると言ったが、まさにそのとおりで、キリシタン宣教師がわが国に来るのは、キリスト教を広めるためであって、従来わが方が信じ込んでいるように、わが国を奪い取るためではない。そのキリスト教の本意ならびにその地勢等を考えれば、日本を奪うという謀略などあり得ないであろう」。  
 次回は、シドッチ神父が日本の近代化にどんな影響を与えたかについて述べてみたいと思っている。

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シドッチ神父が日本史に与えた影響

by P.Itonaga posted at 2006-12-04 15:25 last modified 2006-12-04 17:46

 シドッチ神父との出会いは新井白石にいくつかの影響をもたらした。シドッチ神父が持参した親指の聖母(国立博物館蔵)一つはすでに述べたように、「キリシタン奪国論」の疑いを撤回したことである。そのほかは、ヨーロッパの物質文明に目を開かれ、「蘭学(洋学)解禁」を唱えたことであり、もう一つは、残念なことであるが、「和魂洋才」への道を開かせたことである。

1) 「蘭学(洋学)解禁」    

  新井白石はシドッチ神父尋問の記録を『西洋紀聞』と『采覧異言』にまとめた。その記録の中で、白石はシドッチ神父の尋問中、天文・地理に関するその博識に感嘆すると共に、鎖国下のわが国の学術の遅れを痛感し、西洋の科学や技術を積極的の取り入れなければならないと説いている。しかし、白石のこれらの本は禁制のキリスト教の話しが載っていたために公開されず、一部の好事家の間で写本が読まれていたに過ぎないが、たまたまこの書を読んだ8代将軍吉宗は西洋に眼を開かれ、ついに蘭学(洋学)を解禁することとなったのである。

 洋学の解禁は明治における西洋文明の受け入れと文明開化の下準備が始まったことを意味する。日本の近代化につながっていくわけである。

 副次的な結果とはいえ、シドッチ神父の来日は日本の歴史に重要な役割を果たしたことになる。

2)「和魂洋才」への道

 一方、白石は先にも触れたように、キリスト教の受け入れに強く反対すると同時に、日本の国を生かし方向付ける魂としての宗教は日本伝来のもので十分であるとの主張をしている。不自由な言葉と突然のキリスト教の説明のためばかりでなく、当代一流の朱子学者であり、合理主義者であった白石は、超自然的啓示宗教であるキリスト教の本来の意味や価値を十分理解し得なかったのであろう。

 しかしこの白石の見解はずっと受け継がれ、幕末になって佐久間象山の「和魂洋才」という四文字に収斂され、その後のヨーロッパ文明の取り入れに関する基本原則となって日本の歩みをリードしていく。いつまり、キリスト教抜きでヨーロッパ文明を取り入れ、ヨーロッパでキリスト教が果たした役割を皇国史観に基づく国家神道を当てようというわけである。これがいわゆる「大和魂」であって、これが昭和の15年戦争を引き起こす原因になったことは周知のとおりである。

 この大和魂は太平洋戦争の敗戦によって破綻し、多くの国民が茫然自失して新しい生きがいを捜し求めた。一国家のイデオロギーが人類普遍の原理になり得ないことは明らかである。そんな時代に、鹿児島では、戦地から帰還して茫然自失していた一人の青年がザビエル教会の門をたたいてキリスト教に出会い、洗礼を受けて司祭にまでなった人がいた。

 しかし今、和魂洋才は再び息を吹き返し、しきりに「一神教批判」を唱える哲学者や有名人がいる一方、愛国心に名を借りた和魂礼賛運動が出てきたように見えるがどうだろう。「和魂洋才」は多くの日本人の骨の髄まで沁み込んでいるのだろうか。

 

 

 

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Re:シドッチ神父が日本史に与えた影響

Posted by roserent at 2006-12-10 15:11
初めて書き込みさせて頂きます。

実際に鹿児島に居られ、鹿児島の郷土史なども十分お調べになれるでありましょうお立場ともお見受けいたします。それゆえ、疑問に思う部分を数点投稿させてくださいませ。

まず、維新の頃、京都の天皇を担ぎ上げ「官軍」を名乗る必要が薩長土肥にはあったとは当方は考えます。と申しますのは、『維新』という美名はあるものの、実質、クーデター・内戦でありましたからして。ただこういったことがなかったら、戊辰役は長引いていたのではないでしょうか。実際、戊辰の敗者となった地方から、明治政府の高級官僚などとして出世した人間は薩長土肥よりかなり少なく、敗者となった側からの勝者への恨みというのは、地方によっては非常に根深いものがありまして、地方自治体レベルでも和解が100年後なんていうのはざらです。当時に於いて「国家神道」というイデオロギーなしにこのクーデターをやったとして、江戸城の無血開城ほか速やかな政権交代は在り得たとは考えにくいのですが?日本国内は混乱し、分裂、そして長期に渡って内戦状態が続いた可能性のほうが大きいと思われます。
当時、清朝・李朝下の中国大陸及び朝鮮半島でこのような動きがなかったのは、それぞれの地域事情、また列強国の植民地政策の巧みさにもあったことでしょう。が、日本で政権交代が速やかに行われた背景には、やはり生麦事件、薩英戦争などで実際に列強国の脅威を少なくとも薩摩藩士は身をもって理解をしたことも影響をしているとは考えられないでしょうか?つまり一番の問題は、維新後に政権運営をした中枢部にあるのではないかと考えますが、如何でしょうか?

また「和魂洋才」そのものの問題ですが、明治政府に派遣された留学生でかなり精神を病んで帰国した人があるようです。漱石あたりがそのようです。そういう方々は別段、その「和魂洋才」に縛られた犠牲者というわけではなくて、カルチャーショックの大きさだと思われます。またその世代の方々が果すことが出来た役目もあったし、出来なかったこともあったかと思われます。

最後に、司教さまの記事は、”あくまでカトリックの視点から論じられる史観”でありますし、もちろん「if」の問題だけでなく、今、そしてこれからをどうするべきかを見据えている部分にこのブログ全体の意義があるかと思われます。ただ、やはりイデオロギーの問題に触れた以上は「なら、どうすれば良かった?」という問いを発する方があると思われるのです。このシリーズ中に於いてどこかでこの部分についての司教さまのご見解をいただければ幸いです。

『戦前のもの』となると、一つ一つの事項・内容を全く吟味すらせず、「全てに於いてが日本の悪だった」といった幼稚な史観を披瀝されるキリスト者の方々が多いというのも、信徒でない友人からよく聞く声の一つです。実際、「キリスト者は是々非々で物を論じられないらしい」とか「感情的である」と言われ、何故なのか説明を求められて困った事があります。きちんと対話をしなくてはいけないときにしていない、こういったことも、保守層を説得できない一因なのではないかと憂慮いたします。

roserentさんへ

Posted by itonaga at 2006-12-13 09:59
シドッチ神父が日本史に与えた影響
「書き込み」への回答

 種々のご指摘、有難うございます。大雑把な議論の進め方ゆえに誤解を招いたかもしれません。
 わたしは明治維新およびその前後の内政、外交についてとやかく申し上げる立場にもなければその資格もありません。(ちなみに、わたしは今月もなじみの文芸春秋や中央公論、それに今回は論座を加えて読んでいますが、そこには日本の歴史や文化について語る識者たちの議論が満載です)。
 さて、ご指摘のプログで、わたしは次の二点を想定しています。すなわち、キリスト教排斥、特にカトリックに対する差別と不当介入(これは事実上昭和20年の終戦時まで延々と続いた)に関する「信教の自由」という基本的人権の侵害問題と、遅れてやって来た帝国主義とも言われる日本帝国主義による植民地政策、あるいは勝手に他国の領土を戦場にし、資源を搾取するなどの侵略の事実にかかわる、アジア諸国への「国家主権」の侵害問題の二つです。そしてこの二つの門題の背後にあった思想的根拠としての、傲慢で排他的な「国家神道」(または天皇を現人神として絶対化する皇国史観)を指摘したまでです。
 それぞれの国の歴史と文化には、常に光と影の両面があると思います。わが国においても、以上の歴史的教訓を謙虚に反省しかつゆるし合って、より人間的な、そしてグローバル化時代にふさわしい国づくりに励む必要があるのではないでしょうか。わたしは持ち前の宗教・道徳的な側面からわが愛する日本の健全な発展に寄与したいと望んでいます。

ご丁寧なご回答、有難うございます。

Posted by roserent at 2006-12-14 00:05
一つ一つの事象のピックアップで歴史を論じるという困難に挑まれる姿勢に敬服いたします。日本の文化の中におそらくキリスト者は闇を多く見ておられるのだと思われますが、闇の中の光がなかなかブログの中に見えてこないのが、読んでいて切ない思い致します。

日本の闇は深すぎるのでしょうか。

Re:シドッチ神父が日本史に与えた影響

Posted by antonian at 2006-12-15 23:02
司教様、roserent様>

司教様のブログいつも愉しみにしております。私は鹿児島県のもっとも最南端の島に在住しております。教会もない島で司教様のお考えに触れることが出来る。お話が可能であるというのはほんとにいい時代だなと思います。

さて、ここで司教様がおっしゃられる言葉の重みは奄美や琉球における悲劇的な歴史があるから故だとも思います。沖縄に今もおられる90半ばのカテキスタの女性は、当時弾圧され東京まで逃げたという話を聞かせて下さったことがあります。東京にいた時の母教会には奄美で弾圧され難を逃れた聖像が今も存在しています。当時の神父様が破壊を恐れ持ってこられたのですね。その神父様達も戦争が悪化した時代には収容所に入れられました。そういう話を聞くにつけ、司教様が目にしてこられた、或いは聞いてこられた悲劇の重さの片鱗を平和の時代に生きる私も感じることが出来ます。

他方、roserentさんが日本の闇にも光があるのだとおっしゃられるのも判ります。よくキリスト教徒。カトリックは弾圧された歴史ばかりを語る。と批判されることがあります。被害者意識を全面に出して、自分達はではどうなのだ?侵略者達だった歴史があるじゃないか。南米はどうだったのか?といわれぐうの音も出ない。まさにキリスト教奪国論による批判ですが。しかし南米の歴史において「カトリック教徒」達が侵した歴史的事実は闇の要素の数えられても仕方がないと思います。ただ、カトリックは闇ばかりではないんだ。光もあるんだよ。と言いたくなる場面ではありますよね。

司教様がおっしゃられるように、何事にも、光と影がある。カトリック教会も闇はあるし、日本の歴史にも闇はある、カトリック信徒である我々は二重にその闇を背負い、未来の子孫達に光を受け継ぐものにならないといけない。だから日本の光も、カトリックの光も歴史の中に拾う作業もこれから造る作業も同時に大切なのだ。などとは思います。

「美しい国」と「愛の文明」

by P.Itonaga posted at 2006-12-11 00:00 last modified 2006-12-20 14:53

 安倍首相の「美しい国」という表現には正直驚いた。しかし、考えてみれば、なかなか面白い発想であり、検討に値すると思う。これに対する教会の見方は何であるかとの質問もあるので、わたしの意見を述べてみたい。

 本文に入る前に、まず表題の「美」と「愛」に関する言葉の意味を整理しておこう。

 神は真・善・美そのものである。すべて存在するものは、神の思い(計画)に合致している限り真理であり、善であり、美しいものである。存在するもののうち、知恵と自由を備えた独立主体はペルソナ(位格)と呼ばれ、神と天使と人間に類比的に適用される。このペルソナとペルソナとを一つに結び、共同体としてこれを完成するものは愛である。この愛し愛されるいのちの中にペルソナの真の実現と喜びと幸福がある。神は人間を愛によって愛のために造られたのである。

 さて、「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」(新共同訳・創世記1,31)。

  聖書の中の最初の書物は創世記であるが、そこには、人間と世界の始まりと共に、そのありのままの実態が述べられる。それによれば、神が6日間で創り終えた天地万物をご覧になった神は、「極めて良かった」と言って満足された。つまり、神の業は完璧で美しかったのである。

 そのあと、創世記は人間の罪による堕落を告げる。醜くなったのである。それはわたしたちの現実の体験でもある。人間も世界も美しい。しかし、醜い面もあって、それはすべて人間の罪から生じたものである。そして創世記は、堕落して醜くなった人間と世界を救うために、救い主を約束される。これを「原始福音」と呼んでいる(創世記3,15参照)。そして実際、約束の救い主キリストによって人間と世界は救われ、美しくされていく。

 従って、聖書全体も、教会の全使命も、美しい人づくり、美しい国作りのためであって、この人類救済の計画の中に、政治も含めた人間の全活動が組み込まれているというのが、教会の見方である。

 では、教会の社会的教えは美しい国をどう表現しているか、見てみよう。

 「今日、わたしたちが連帯の原理と呼ぶものが、社会・政治機構に関するキリスト教的見方の根本原理の一つであることが明らかになります。この原理は教皇レオ13世によって、しばしば「友情」という言葉で述べられていますが、この概念はすでにギリシャ哲学に見出されます。ピオ11世は、同じ意味を持つ「社会的愛」という言葉でこれに言及しています。さらに、パウロ6世はこの概念を広げて、社会問題の多くの現代的側面を網羅するようにと、「愛の文明」について語っています」(回勅『新しい課題』11)(註1)。

 この「愛の文明」について、ヨハネ・パウロ2世は次のように説明している。

思い出のヨハネ・パウロⅡ 「教皇パウロ6世の『愛の文明』という表現は、その後教会の教えの中に取り入れられ、親しまれるようになりました。今日、愛の文明についての言及を含まない教会による、あるいは教会に関する記述を思い出すことは困難です。・・・語源的には、「文明」”civilisation”はラテン語の「市民」”civis”から来ており、すべての個人の存在の政治的次元を表しています。しかしながら「文明」という言葉のもっと深い意味は、単に政治的なものだけではありません。それはむしろ、正確には「人文主義的」なものです。文明は人間の歴史に属しています。なぜならそれは人間の霊的、道徳的必要にこたえるからです。神のかたどり、神の似姿として造られた人間は、創造主から世界をゆだねられ、さらにそれを神のかたどり、神の似姿として形作る使命を与えられています。文明が生まれるのはその使命の遂行によるもので、それは結局、「世界の人間化」以外の何ものでもありません」(『家庭への手紙』13)(註2)。

 教皇のこの言葉は、余計な解説を加えるより、じっくり味わってみよう。そして、わが日本社会に「愛の文明」の花開くときが近いことを祈りたい。

―――――――

註1. 

ヨハネ・パウロ2世の回勅『新しい課題』の原タイトル“Centesimus Annus”で、直訳すれば「百周年」である。これは、レオ13世の最初の社会回勅「レールム・ノヴァールム」の発布百周年を記念して1991年に発表されたヨハネ・パウロ2世の回勅である。

註2. 

ヨハネ・パウロ2世の使徒的書簡『家庭への手紙』は、1994年、国連の世界家族年にちなんで出されたもので、その拙訳はカトリック中央協議会のペトロ文庫『家庭―愛といのりのきずな―』(2005年)の後半に収録されている。

 

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「ゆるし」を体現した人の物語

by P.Itonaga posted at 2006-12-20 14:25 last modified 2006-12-20 16:16
生かされて。

 このほど、今評判になっている本、『生かされて。』を一気に読んだ(イマキュレー・イリバギザ著、PHP、2006)。十年余り前、アフリカのルアンダで吹き荒れた民族浄化の大量虐殺の時代、両親と兄弟二人を奪われた中で、肉親への愛情と共に、これに反比例するかのように繰り返し沸き起こる憎しみと復讐の情念に打ち勝って、「ゆるし」というキリスト教の恵みを文字通り身を持って体現した一人のカトリック信者の物語である。彼女が神のゆるしに与って救われたということは、彼女が真にカトリック信者としての教養を身に着けていたと同時に、本書の中で彼女自身が言うように、深く長い祈りの中で神の愛に触れたためだと思うのだが、このゆるしのゆえに、今、本当に平和であり幸せであると彼女は断言している。

 ところで、罪は、自由という能力を授けられた人間の、ある意味で、宿命である。

人間を自らの似姿として創造した神は、その本質的な要素として「自由」という能力を備えるものとしてくださった。この自由あってこそ、人は神の似姿として愛することができる。しかし反面、自由であるからこそ神に「ノー」と言って反抗し、罪を犯すこともできる。「自由」という能力は両刃の剣であって、人を生かすことも殺すこともできるのだ。

 しかし、神はあえて人間に自由を与えた。神の愛が無限であったからである。と同時に、その愛は「ゆるす愛」であったからである。たとえ人間が罪を犯して不幸になっても、ゆるしによって原状を回復し、愛のいのちへと救ってくださることが、そもそもの神の計画であった。だから、創世記において、人間が原罪を犯して堕落した直後、救いを約束されたのであり、そういう意味で、神は当初から、救い主キリストにおいて、キリストのために人間を創造されたといわれるのである。

 キリスト者は人間がもともと罪深いものであることを知っている。人間である以上、無罪ではあり得ないとキリスト教は教えてもいる。しかし、それは悲観すべきことではない。ゆるしを信じるからである。だから、この世に罪が満ちていることは悲しい。何とかして罪をなくしたいと思い、またそのためにベストをつくす。にもかかわらず罪深い世にあって、わたしたちは希望を失わない。主の苦難と死を記念する聖金曜日の典礼で、教会は「おお幸いなる罪よ」と歌う。神の御子を救い主としてこの世にお迎えできたからである。

  ところで、「罪を憎んで人を憎まず」(孔叢子)という言葉がある。これは、もともとは「犯意のある者を罰し、犯意のない者を罰さない」という意味らしいが、わが国の諺としては、文字通り「罪を憎んで罪を犯した人を憎まない」という風に理解されているようである。しかし、これはキリスト教的であるともいわれるが、実はそうでもない。これをキリスト教的に言うとすれば、「罪を憎んで罪びとを愛する」となる。この「愛」とは「ゆるす愛」であって、これがキリスト教の本質である。

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さらば2006年

by P.Itonaga posted at 2006-12-28 00:00 last modified 2006-12-22 18:46
 2006年もあとわずか。この2006年はわたしの人生にとって忘れることのできない年になった。ここに若干書き留めておきたい。

1)    教区司教を定年退職

 1月29日、鹿児島教区司教(教区長)を後任の郡山健次郎司教に譲った。彼は、わたしが鹿児島教区司教になって叙階した二人目の司祭である。教皇の指名(Nomination)を受けた彼に、私のこの手で「按手」して司教に叙階できたことは人間的にも大きな喜びであり満足であったが、それ以上に、初代教皇の聖ペトロを頭とする使徒団より二千年、連綿として引き継がれてきた「使徒継承」のバトンをこの手で無事に引き継ぐことができたことが最高にうれしかった。神に感謝!

2)郷里で故松永司教の追悼ミサ

紐差教会 6月2日、福岡教区の松永久次郎司教が亡くなった。彼は、小学生のころの「侍者」仲間から司教団の仲間に至るまで常にいっしょだった。それに、彼はわたしより二つ若かったから、ショックも大きかった。彼はこの12月に司祭叙階50周年を迎えるはずであったので、毎年恒例としている郷里出身司祭の会合を郷里で開催し、少し早いが松永司教の司祭金祝を祝う予定であった。それを待たず、神様は彼をお召しになった。

 そこでわたしたちは7月2日、金祝のお祝いに代えて、追悼ミサを故郷の紐差教会で挙げることとし、郷土出身の司祭たち13人が集まった。福岡教区の山頭原太郎、長崎教区の橋本勲、大山繁、平本義和、前田達也、大分教区の吉田繁、高松教区の松永洋司、コンベンツアル会の橋口佐五衛門、萩原栄三郎、藤沢幾義、山浦義春 、サレジオ会の松永国治の諸師とわたしである。(もう一人の郷土出身司祭、大分教区の大山悟師はローマ留学中のため出席できなかった)。

 この日、郷里の教会の信者たちを初め、近隣の司祭たちも駆けつけてくれて、思いで出深い追悼ミサとなった。そして、同じ紐差の教会で「信仰のいのちと召命」の恵みをいただいたこを改めて感謝し、その信仰をさらに豊かに生きて伝えようという使命感を分かち合った。

3)長崎教会管区司教の集い

 10月13日、長崎教会管区の「司教の集い」が福岡市郊外の二日市温泉であった。この集いは数年前から恒例になったもので、今年はわたしの引退慰労と郡山健次郎司教の歓迎を合わせた宴となった。集まったのは8人、すなわち現役の高見三明長崎大司教、押川寿夫那覇司教、宮原良治大分司教、郡山健次郎鹿児島司教の4人、引退の石神忠真郎司教、平山高明司教、深堀敏司教とわたしの4人であった。また、出身教区別に見てみると、長崎教区出身が5人、鹿児島教区(奄美大島)出身が3人であった。

 翌14日の朝、一同は福岡司教館を訪れ、故松永司教ゆかりのチャペルで追悼ミサを捧げ、次期福岡司教の任命の一日も早いことを祈願した。

 ちなみに、現代の教会は「教区」の重要性と共に「教会管区」を次のように強調している。「近隣の部分教会(筆者注・教区)は、人的及び地域的事情に応じ近隣の教区共通の司牧活動を促進し、かつ教区司教相互の関係を円滑にするため、一定領域に区分された教会管区を構成しなければならない」(教会法第431条)。

 皆さん、良いお年を!

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日本の闇は深いか

by P.Itonaga posted at 2007-01-05 00:00 last modified 2007-02-24 16:40
2007年初日の出

 「日本の闇は深すぎるのでしょうか」という嘆きとも問いかけとも取れる言葉が先月のプログの書き込みにあった。これを年の初めの話題にしたいと思う。

1)    日本には明るい光が輝いている

何よりも人間の心にはその本性の中に刻み込まれた「良心」という光がある。ザビエルが日本に来られたとき、日本人の自然徳の高さに驚かれた。第2バチカン公会議において教会は、人間の本性に生まれながらに備わっていて、人の行いを導く良心の声を「み言葉の種」と呼んでいる。

次に、日本にはすでに神の言葉そのものの「光」が輝いている。現行憲法によってキリスト教は完全に自由を享受しており、そのおかげで福音の光は日本中を照らしている。加えて、日本国憲法の公布に際して署名した閣僚の一人、田中耕太郎さんは、熱心なカトリック信者で当時の文部大臣であるが、人権の尊重や平和主義など、この憲法の基本理念はキリスト教的であると書いていた。日本の教会の働きぬきで、欧米のキリスト教の影響がそうさせたのであり、多くの日本人がこの半世紀、この憲法を認め、大事にしてきたのである。

このほか、日本の上に輝く光の特徴的な一例として、ボランチア活動の発展を指摘したい。かつてカンボチャでポルポトの大量虐殺が始まったころ、わたしは、タイ領内に作られたカンボチャ難民キャンプを訪問したことがある。そこには大勢の欧米のボランチアがいたが、日本人は一人もいなかった。今、日本人ボランチアは全世界で活躍している。日本国内でも、一旦災害が起これば、多くのボランチアが協力している。底辺には小さな親切運動がある。

2)    日本人の心には闇もある

とはいえ、日本人の心には闇があり、矛盾があることを正直に告白せざるを得ない。なぜなら、それは我々の日常の体験だから。日本人の自然徳を称えたザビエルは、日本人の不道徳も指摘している。時代が変わっても弱点は治らない。おまけに、世俗主義と個人主義は、カトリック時評の当初に述べたとおり、多くの日本人の堕落や野蛮化の原因にもなっていると思う。その特徴は、一方においては経済第一主義であり、もう一方では個人主義の蔓延であろう。先月17日の毎日新聞「余禄」によれば、日本の家庭の購買力は米国や英国を大幅に上回って世界最高だというが、それでも日本人はお金、お金、景気、景気と騒いでいる。驚くべきことに、わが国には貧困層が広がっており、その貧困すら金儲けの道具にされているという。いじめや暴力など、多くの野蛮化現象が多発していることも忘れてはならない。

聖書によれば、このような人間の心の矛盾と悪への傾きは原罪の結果であると教えている。そしてこれを癒すのは人類の唯一の救い主きりストであると告げている。

3)    「悔い改めて福音を信じなさい」

イエス・キリストは、宣教のはじめに、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1,15)と言われた。これはキリスト教のメッセージの中心であり、教会の宣教使命の本質である。このメッセージは二つのことを述べている。一つは、回心の勧めである。教会がいう闇とは罪であり、罪とは「神から離れて被造物に着くこと」(古来の罪の定義)であって、回心とは、この世のもの、特にマンモン(富)と自我への執着から神へと生き方を変えることを意味する。もう一つは、福音、すなわちキリストを信じてこれに従うようにという招きである。キリストこそ真の光であり、そのうちに「ゆるし」と「いのち」があるからである。

 ここで注意しなければならないことは、人間の自己矛盾と無軌道な欲望のほかに、人間を惑わす悪魔の存在があることである。聖書は悪魔の存在をはっきりと認めており、キリストの唯一の戦いは悪魔(サタン)との戦いであった。ヨハネ福音書は「悪魔は『うそつき』の父である」(8,44)と記している。つまり、悪を善と偽るのである。これが人を迷わす。原罪もサタンの騙しに始まった。だから教会は、人々が悪魔に騙されないように、はっきりと闇、すなわち悪を指摘し、悪魔の悪巧みを暴くことを使命とする。このことをもって直ちに闇が深いとは言えない。闇を暴き、闇を払うことが光の役割だからである。

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