韓国の太陽政策をめぐって
―拉致被害対策はこれでよいのか。ゆるしと和解が先決では―
韓国と北朝鮮の南北首脳会談が11月に延期されたと聞いて残念に思った。先代の金大中大統領の決断によって7年前に開催された第一回南北首脳会談は、まじめなカトリック信者といわれる金大統領の信仰がなさしめた決断として、わたしはこれを高く評価してきた。キリストは「敵を愛しなさい」と命じて次のように述べている。
「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられたのを、あなたがたは聞いている。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、あなたがたを迫害する者のために祈りなさい。それは、あなたがたが天におられる父の子であることを示すためである。天の父は悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、また、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる者を愛したからといって、あなたがたになんの報いがあろうか。徴税人(訳注・悪徳徴税人の意)でさえも、そうするではないか。また、自分の兄弟にだけ挨拶したからといって、何か特別なことをしたのだろうか。異邦人(訳注:信仰を異にする人)でさえも、そうするではないか。だから、天の父が完全であるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5,43-48)。
対北朝鮮融和政策は、例のイソップ物語の「北風と太陽」にちなんで「太陽政策」とも言われるが、分断された国として祖国統一への願いがあるとはいえ、韓国の柔軟な融和政策を見るにつけ、拉致被害問題の解決のためには人道支援をも拒絶するという、北朝鮮に対するわが国の強硬な対決姿勢には疑問に思うことが多い。拉致被害者家族の苦衷はわかりすぎるほどわかるし、決して同情を惜しむものではない。しかし、必要と思われる人道支援までもいっさい拒絶するというのは尋常ではない。まるで「北風」そのものではないか。この頑固な対決姿勢は、拉致被害問題の解決を永久に先延ばしする恐れがある。
ところで、国際問題の解決はすなわち失われた国際正義の回復であり、正義に基づく秩序の回復に他ならないが、そのための手段はおよそ三つ考えられる。一つは武力による解決策である。しかし、世界中の国が独立して領土が確定し、領土拡張や植民地獲得などの戦争目的が失われた今、国家間の戦争はおよそ意味を失い、第二次大戦後頻発する大国がテロ国家などに武力制裁を加え、これに特定の政治体制を押し付ける戦争も、アフガンやイラクに見られるように、憎しみや復讐の連鎖を生むだけで解決をさらに困難にしている。平和や民主主義のための戦争などナンセンスである。
第二の手段は「経済封鎖」などの経済制裁であって、現在も幾つかの国で見られるが、武力を使わないから正当化されるというのは早計である。経済制裁はその国民をさまざまな苦境に陥れる極めて非人道的な手段でしかなく、悪くすれば、暴発して悲惨な戦争やテロの引き金ともなりうる。
国際紛争解決のための第三の、そしてもっとも人間に相応しい解決手段は、言うまでもなく平和的な手段であって、いわゆる話し合いである。しかし、それには前提がある。つまり、話し合いが正義の回復の有効な手段になりうるには「ゆるしと和解」が先決であって、過失によって失われた相互関係は、仲直りしなければ、つまり敵対したままでは、完全に修復することはできないからである。われわれの経験が示すとおりで、個人の間でも主権国家の間でも同様である。「平和は愛の実り」(現代世界憲章78)、つまり、「ゆるす愛」、「無償で与える愛」の実りでもある。
だから、拉致問題の場合、北朝鮮側が拉致の事実を自ら認め、わが国の小泉総理が訪朝し、両首脳の話し合いによって一部拉致被害者の帰国も成ったのであるが、なぜこの平和的な対話路線を捨て、相手の非だけを責めるようになったのだろう。ひょっとしたら、かつての「仇討ち文化」の復活か、植民地支配時代の優越感の再現かも知れないが、この文明開化の世の中では、過去の植民地支配や拉致問題など互いの過失を詫びて心からゆるし合い、平和共生の道を開くべきではないか。まずは国家も民間も、北朝鮮への必要な人道支援から始めたらどうだろう。
「他人に対する赦しは、単に新しい人間関係に入るための前提条件であるばかりでなく、それを構成する基本的要素の一つである」(聖書思想事典)。
コメント欄を活用して、対話の機会にすることができればと願っています。
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ご返答
国交を正常化し、拉致問題など処置するために、武力行使はもとより、貧しい国民の生存を脅かす経済制裁もやはりいけませんね。ゆるされるのは「平和的手段」のみです。善い目的のために善い手段を選ぶ、これがモラルでしょう。対話と圧力と言いますが、口げんかに負けて腕力に訴える子どもに似ていませんか。それより、対話が進まないのは相手の物分りが悪いからではなく、わが国が植民地時代の賠償問題を棚上げして拉致問題だけを一方的に前提条件としているからではないでしょうか。つまり、対話では双方の主張をぶっつけ合うものですが、話しが一方的だから対話になっていないのです。
また、世界的に見て共産主義体制が破綻し、東西冷戦が終結した今、かつての共産主義脅威論はもう通用しないでしょう。今の平壌政府は覇権主義のためではなく、生き残りのために必死になっているようです。憎たらしいところもあるけれど、助けてやったらどうですか。友好関係が進めば、対話も進むと思いますが・・・。
今一度お伺い申し上げます。
政教分離で対策を考えましょう
なお、カトリック教会は、実効支配しているすべての政権を、拠って立つ政治的イデオロギーの如何を問わず、これを認めています。北朝鮮の加盟を許している国連も同じでしょう。
2)無神論及び共産主義国に対する教会の姿勢については、詳しく説明すればキリがありませんから、ここには第2バチカン公会議の次の言葉を紹介して説明に代えます。
「教会は無神論を絶対に退けるものであるが、信じる者も信じていない者も、すべての人が、共に生活しているこの世界を正しく建設するために尽くすべきであることを真心こめて主張する。これは真心のある慎重な話し合いなくしてはあり得ない。従って教会は、ある国家権力者たちが人格の基本的権利を認めずに不正にも信じる者と信じていない者の間に差別待遇を設けていることについて抗議する。そして、この世においても神の殿堂を建設することのできる実際の自由を信じる者のために要求する。なお無神論者に対しては、キリストの福音をとらわれない心をもって考察するよう、ていねいに招く」(現代世界憲章21)。
「無神論」について
「無神論及び共産主義国に対する教会の姿勢については詳しく説明すればキリがない」とおっしゃらずに、ぜひとも別に一コラムを設けて司教様のお考えをお示し下さい。
折角のご要望ですが・・・
いくつかの質問
1.金大中前大統領が臨んだ2000年の第一回南北首脳会談を、司教様は、信仰者としての決断として高く評価しておられます。しかし、この会談を含むいわゆる太陽政策については、北主導の赤化統一を目指す布石であるとの批判も根強くあります。
2000年の第一回南北首脳会談に臨んだ金大中前大統領は、韓民統(韓統連の前身)の結成以来の代表者でした。この団体は、北朝鮮の資金援助を受けており、実質的な運営者(裵東湖と郭東儀)も北の工作員であったことが韓国の裁判で既に明らかになっております。
参考文献:
http://www.onekoreanews.net/past/2006/200609/news-bunka01_060913.cfm
先般、民団と総連の和解が短期間で解消された背景にも、韓統連と北朝鮮との密接な関係に対する民団の強い警戒がありました。
http://www.pyongyangology.com/index.php?option=com_content&task=view&id=190&Itemid=32
また、金大中前大統領の太陽政策を継承した盧武鉉大統領が、自由と民主主義の原則に立つのではなく、無原則な親北政策に走っているとして、金寿煩枢機卿をはじめとする国内有識者から批判されていることはご存知の通りです。
http://www.onekoreanews.net/past/2006/200602/news-tokusyu01_060201.cfm
韓国の太陽政策が赤化統一へのステップの側面を持つとしたら、司教様はどのように評価なさいますでしょうか? 既にある共産党政権を認めるという教会の立場と、韓国が北朝鮮によって赤化統一され、独裁と圧制に支配されることを認めることとは違うと思うのですが、いかがでしょうか。
2.「世界中の国が独立して領土が確定し、領土拡張や植民地獲得などの戦争目的が失われた今、国家間の戦争はおよそ意味を失」ったとのご指摘ですが、領土拡張の戦争目的で行われた戦争は、現在も起こっているのではないでしょうか。
たとえば第一次湾岸戦争はイラクによるクウェートへの侵攻と占領によって始まりましたし、フォークランド紛争もありました。中国などは現在も領土や資源を求めて拡張的な政策を堅持しており、時に応じて領土拡大のための武力行使をためらいません(1974年の西沙諸島占領、1995年の南沙諸島占領、東トルキスタンおよびチベットへの侵攻など)。
3.拉致問題について司教様は、大田さんへの返答の中で次のように述べておられます。
<<引用はじめ
国交を正常化し、拉致問題など処置するために、武力行使はもとより、貧しい国民の生存を脅かす経済制裁もやはりいけませんね。ゆるされるのは「平和的手段」のみです。善い目的のために善い手段を選ぶ、これがモラルでしょう。対話と圧力と言いますが、口げんかに負けて腕力に訴える子どもに似ていませんか。それより、対話が進まないのは相手の物分りが悪いからではなく、わが国が植民地時代の賠償問題を棚上げして拉致問題だけを一方的に前提条件としているからではないでしょうか。つまり、対話では双方の主張をぶっつけ合うものですが、話しが一方的だから対話になっていないのです。
>>引用終わり
つまり司教様のお考えでは、対話が進まない原因は、すぐれて日本側にあり、日本が拉致問題について一方的に北朝鮮を責めてばかりいるからだ、ということですね。
これまでに何度か日朝交渉があり、拉致被害者に関する交渉も、小泉訪朝以前に数度ありましたが、
「雪解けを期待して援助を約束する」→「北が『行方不明者』の調査を約束する」→「援助が実施される」→「調査の結果見つからなかったと回答する」
というパターンでした。日本はこれまでに、日韓併合時代の償いも含めた合意をし、人道援助をし、その結果、拉致問題について全く誠意ある回答を得られなかったことが何度もありました。戦後の償いまでも合意に含めた1990年の連立三与党合意ですら、拉致問題の進展につながらなかった過去があります。(現在も、「拉致などない」と「行方不明者を調査する」の使い分けが「拉致はすでに解決した」と「調査を再開する」の使い分けに変っただけで、基本的パターンは変っていません。)
核兵器開発に関しては、
「経済援助や軍事的譲歩を報酬として、北が核査察に合意」→「報酬を得ると、ほどなく核査察を拒絶」
というパターンがありました。今は核査察のほかに、核実験実施のオプションが増え、北の約束違反がエスカレートしているのが現状ですが、それはともかく、
A.拉致に関する交渉のパターンと核疑惑に関する交渉のパターンとが私には非常に似て見えるのですが、司教様はどうお思いになりますか?
B.また、拉致問題は日本だけではなく、タイやルーマニアやレバノンなど、各地に被害者がいます。韓国からの拉致被害者もたくさんいます。しかし、最初から一貫して強硬に返還を要求したレバノン以外に全員を取り戻した国がないのはなぜだとお考えになりますか?
人道支援については、司教様のおっしゃるように、政治的状況とは独立に手を差し伸べるべきであると私も思います。ただ、北朝鮮に対しては、国境なき医師団やACFなど、国際的に定評のある団体が、援助を続けることがむしろ倫理的に問題であると判断して撤退した経緯がございます。一般の人々に対する緊急の人道支援が必要な状況はあるでしょうが、北朝鮮の飢餓や水害には、天災というより人災の面が多くあり、北朝鮮が国民の最低限の人権と生活の安全の保護に予算を使うよう、圧力をかけることが大切だと思います。そうでないと、善意の援助が核開発やテロ工作などを側面から支援する結果になってしまいます。また、きちんとモニターできるような方法で行わなければならないと思います。
ご質問に答えて
1)朝鮮半島の南北問題は大きく分けて、戦争状態を解消して国交を結ぶことと民族統一の二つだと思います。第一の点について、わたしが太陽政策を評価するのは人道支援と対話を積極的に促進しようとしていることであって、「赤化統一」を期待しているからではありません。第二の点については、自由と民主主義における統一を望みますが、一国の政治形態(従って憲法)を決めるのはあくまでその国民であって、教会でもなければ他国人でもありません。ベトナムの場合、共産化を防ぐために戦った大国アメリカでしたが、民族自決という大義の前に敗れ去りました。ただ、韓国民の場合、時代遅れの共産主義体制を望むはずもありませんから、希望が持てます。
2)第二次世界大戦のあと、約60年の間に戦争の種類も様相も大きく変わりました。まず、先進国の間の戦争は、日本を含めて皆無です。独立戦争は頻発しましたが、今は納まっています。現在行われている戦争は、ダルフールなど途上国における内戦(権力争い)か民族紛争です。唯一の例外は湾岸戦争ですが、これは世界が許しませんでした。問題は対テロ戦争と称するアメリカが仕掛けたアフガンやイラクの戦争で、今泥沼にはまっています。島々の領有をめぐる紛争は、フォークランドを除けば、戦争とは言えないでしょう。要するに、激しく変わる時代の流れの中で「時のしるし」識別することが肝心ですね(栗原優著『現代世界の戦争と平和』参照)。
3-A)6カ国協議は、ブッシュさんが軟化し、北朝鮮の言い分も聞くようになって、ようやく進展し始めたようです。でも、なぜ日本は拉致問題を執拗に核問題に絡ませようとするのでしょうか。あれは異常で、マイナスでしょう。一方、拉致問題は、国交正常化交渉全体の中に位置づけて慎重かつ誠実に進めれば、進展する可能性があります。
B)おっしゃるように、人道支援は権力者の都合に利用される恐れが常にありますが、それでも苦しんでいる人々を見殺しにすることはできません。工夫を凝らすべきですね。
太陽政策について
北朝鮮に対する「太陽政策」としては、クリントン政権のKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)が規模として最大のものでした。
(a)北朝鮮が、NTP締約国にとどまる他、IAEA保障措置協定上の義務履行を通じた核開発の検証、既存及び開発中の核施設の凍結・解体等を行うこととなり、その代わりとして、
(b)米国は、「国際コンソーシアム」を通じて、出力合計約2000メガワットの軽水炉(出力約1000メガワットの軽水炉2基)を北朝鮮へ供与するとともに、第1基目の軽水炉完成までの間、黒鉛減速炉の凍結に伴い失われるエネルギーの代替として、年間50万トンの重油を供与する。
という理不尽とも思えるほど寛大なものでした。
これが実現していれば工場の誘致も可能となり、日本も韓国も、アメリカも、協力したでしょう。北朝鮮人民の生活向上につながったと思います。
しかし金正日政権は裏切りました。何よりも自国民を。
2002.09.17「日朝平壌宣言」において、
“双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。また、双方は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認した。
朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく意向を表明した。”
と約束しましたが、これも破られました。ミサイルを飛ばし、核実験をやりました。
金大中氏の太陽政策が北の核開発の資金になったと、これは今度の韓国大統領選挙の大きな争点になっています。
日本の統治について、反省すべきは反省すべきです。事実日本は過剰と思えるほど「謝罪」してきました。しかしそのことと「拉致」は、まったく別のものです。非抑圧民族は、世界中にいます。東チモールにオランダは謝罪しましたか。東チモール人がオランダ人を拉致したら、その「拉致」に、かつてのオランダ支配がいかほどかの正当性を与えるのでしょうか。
日韓併合時代について、朴正熙大統領は、「日本の統治でなければ農民の子である私は学校へ行けなかっただろう」と語ったそうです。
他ならぬ『朝鮮日報』に下のような記事があります。
http://www.chosunonline.com/article/20040303000075
2004/03/03
「1920~30年代の成長率4.1%」
日本による収奪論は作られた神話
2004/11/20 09:48
http://www.chosunonline.com/article/20041120000000
http://www.chosunonline.com/article/20060218000015
2006/02/18 11:47:10
【歴史】日本統治時代の韓国人の平均身長
「“経済厚生悪化”“大きな恵沢あった”などの主張、妥当性欠ける」
日本の統治時代、かの国の経済は成長し、人口は増え、背が伸びたのです。特筆すべきは「教育の普及」でした。
すべてに光と影があります。光によって影を正当化できません。しかし光の部分をすべて抹殺するのが良い未来へつながるのでしょうか。
横田さんご夫妻をはじめとする拉致被害者家族が、もっとも強い「北朝鮮経済制裁」論者であることを、司教様はどうお感じになりますか?
正に骨肉に激痛を感じつつ「制裁を強めよ」と叫んでいるのです。
「盗人に追い銭」が世の中を良くするのか、北朝鮮人民の解放につながるのか、ということです。
長文、失礼致しました。
結びのメッセージ
三人の方でしたが、皆さんのご意見を伺って、いろいろの考え方があることをあらためて実感すると同時に、忌憚なく意見を述べてくださったことに感謝しています。これでもってわたしのメッセージは終わらせていただきます。もちろん、皆さんからの書き込みはいつも自由です。
わたしは皆さんと同じように、北朝鮮問題や拉致問題に強い関心を持ち、その成り行きを見守ってきました。植民地時代の功罪を含め、さまざまな世論があることを承知していますが、このところ、長年植民地支配を受けた民族の傷ついた誇りと、どんな恩恵をもってしても癒されることのない屈辱の痛みへの思いが募っています。そして、これは大切なことですが、世界も北朝鮮を取り巻く環境も激しく動いています。不可能と思われていたことが突然可能になったこともしばしばです。ソ連の崩壊などだれが予想したでしょう。
そうした中で、キリストを信じ、聖書の言葉を日々味わう者として、わたしはキリストの世界一新のメッセージを強く政治に反映してくれる人を待ち望んできました。北の横暴を容認せよと言うのではありません。横暴を封じながら、柔軟な暖かい心で対話のできる政治家を待っているのです。そういう願いを込めたわたしの提案が少しでも皆さんの興味を引いたとすれば、もう何も言うことはありません。あとは事に当たる政治家たちが最良の決断をし、成果を上げて拉致被害者とその家族を慰め、国民の期待にこたえてくれることを願うばかりです。
最後に、主の言葉(鹿児島ゆかりのラゲ訳)を記して感謝の祈りとします。
「汝の近き者を愛し、汝の敵を憎むべしと云われしは汝等の聞ける所なり。然れど我汝等に告ぐ。汝等の敵を愛し、汝等を憎む人を恵み、汝等を迫害し且讒謗する人のために祈れ。是天に在す汝等の父の子等たらん為なり。其は父は善人にも悪人にも日を照らし、義者にも不義者にも雨を降らし給へばなり」(マタイ5,43-45)。
「悪に勝たるる事なく、善を以って悪に勝て」(ロマ12,21)。
拉致被害者ご家族のこと
北朝鮮による拉致は、現に進行中の犯罪で、日本の主権侵害というだけでなく、重大な人権侵害ですが、これまで、カトリックの聖職者から、ご家族への共感や支援の気持ちが公に表明されることが少なかったことを、信徒のひとりとして大変残念に思っておりました。
ですから、司教様が、ご家族の苦衷はわかりすぎるほどわかるし、決して同情を惜しむものではないとおっしゃってくださいましたことは、大変心強く、ありがたく存じております。
横田滋氏が孫のウンギョンさん(当時はヘギョンさんという名前で報道されていましたが)に訪朝して面会したいというお気持ちがありながら断念なさったのは、強硬派の政治家にたしなめられたからというよりも、何より、奥様の早紀恵さんや息子さんがたをはじめとした、家族会の反対があったからでした。肉親の情につけこんで徹底的に利用する北朝鮮の工作を、拉致被害者のご家族たちはこれまでの経験でよくご存知だったのです。
http://nyt.trycomp.com/modules/news/article.php?storyid=991
ですから、その後、日本政府がウンギョンさんの訪日要請を検討していたときも、横田さんご家族は連名で、まさに断腸の思いで、慎重な対応を政府に願っておられました。(その要請書の中にも滋氏の訪朝断念の経緯が書いてあります。)
http://nyt.trycomp.com/modules/news/article.php?storyid=1874
また、拉致被害者のご家族は、ことあるごとに何度も、政府や各政党に対して、毅然とした制裁を求めてきました。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/news/20070916ddm041040034000c.html
http://beemanet.com/2003/peace/4peace/event/20031210.html
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200506/20050621-2.htm
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200509/20050905.htm
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-121.html
司教様の暖かいお気持ちが、さらに実りあるものでありますように、信頼できる情報源、できれば一次資料によって、ご家族のお気持ちを知ってくださいますよう、お願いいたします。
司教様の、長年植民地支配を受けた民族の傷ついた誇りと、どんな恩恵をもってしても癒されることのない屈辱の痛みへの思いは、貴重なお志と存じます。色々な考え方に触れて、私も勉強になり、感謝しております。また、司教様がひとりの宗教家として、金正日のような独裁者の心にも、神様がおつくりになった善が宿ることを信じ、敵をも許す心で回心の恵と和解を求めてお祈りになるのでしたら、それには全面的に賛同して敬意を捧げます。
日韓併合による民族の屈辱の痛みへの償いは、金正日政権を温存させることよりも、むしろ、今金正日政権下で苦しんでいる人の解放に向けて努力することのほうが正義にかなうのではないかと私は考えており、その結果、六者協議や日朝国交正常化について、司教様のお考えとは色々違うところがあるかもしれませんけれども、こうしてお話を伺えましたこと、また、お時間を割いてくださいましたことに感謝いたします。どうもありがとうございました。
「話し合い」という幻想
誠に無礼ながら、司教様は司教館に篭られて国際政治の現場をご存知ないと申し上げなければなりません。私とて同様ですが、いま少し世の俗界にあって現場を推察することができます。北朝鮮は「悪魔の枢軸」の一つとして、サタンの巧妙な業を駆使しています。無神論の共産主義イデオロギー保持者と対話が成立するとお考えなのでしょうか?一般に対話は妥協へと導きますが、司教様は軽々な対話でサタンと妥協してもよいとのお考えでしょうか?ソ連の共産主義に妥協することなく、外堀・内堀を埋めていってついにそれを崩壊させた先例とともに、私たちカトリック教徒はかつての殉教者のように、真理のために己を犠牲にする覚悟で悪魔の業(殊に無神論)に対抗すべきではないでしょうか。