告解の日
赦しの秘跡---重い思いで思い切る
わたしが通うカトリック玉里教会は、今日は、『告解』の日でした。
----------告解はコッカイと読みますが、パソコンの漢字変換では国会と黒海しか出てきません。面倒だから、単語・用例登録しました。でも今後使うかなあ?とも思っています。だって、教会でもこの言葉を使うのは古い人だけで、最近は『赦しの秘跡』と呼ぶのが普通ですから。----------
赦しの秘跡は、神様や人との傷ついた関係を修復するために、自分を見つめて神の代理人である司祭に自分の過ちを告白し、赦しを願う儀式というのが自分の理解。
結構、これが難しいんですよね。
一人静かに自分を見つめて、見えない神の前で反省することはそんなに難しいことではないのですが、これを言葉化して、生身の人の前で告白するというのはかなり抵抗があります。
今日の指導司祭は、レデンプトール修道会司祭・ムイベルガ神父(谷山教会主任司祭、ドイツ出身)。主日のミサの福音朗読後、説教を兼ねた黙想指導の講和が約30分。
信者の緊張をほぐすための計算なのか、時に笑いを取ったりしながら、あっという間の30分でした。
曰く「今日、皆さんは福音書のイエズス様のように白く輝いて帰ってください。」「わたしの話が皆さんに通じたかどうか、自信がありませんが、この話だけで十分だと思う人はもう赦されています。ミサの後、そのままお帰りください」「罪を犯したことがないと思う人はわたしにそう言ってください。◎◎を用意してあげます・・・・笑い・・・」「個人的に赦しの秘跡を受けたい人は、ミサの後行います。」
と言うわけで、今日はいつもより家に帰り着くのが遅い日曜日でした。
告解について、826村にはこんな貴重なページがありました。検索で分かりました。中野裕明神父の「喜びと希望」の中の信徒神学から。
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