良心の糾明
時々手足を休めて、自分をじっくりと見つめることは、心の充実に大変役立ちます。
いやしをもたらす『ゆるしの秘跡』(カトリック教会)の準備プログラムの一部を紹介します。これを を参考に、自分を振り返ってみてはいかがでしょう。カトリック信者でない方にもきっと役に立ちます。----カトリック教会の「祈りの友」から抜粋
反省の前の祈り
「神よ、深い淵からあなたに叫び、嘆き祈るわたしの声を聞いてください。あなたが悪に目を留められるなら、主よ、だれがあなたの前に立てよう。しかし、あなたのゆるしのために、人々はあなたをおそれ尊ぶ。神はわたしの希望、わたしの望み、わたしは、そのことばにより頼む。神は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。」(詩篇130)
良心の糾明---自分の生活を省みよう
Ⅰ.神のみ前でのわたし
わたしは神に生かされ、愛されている
- わたしは神である父に信頼していたか
- よろこび、苦しみ、すべてを神の賜物として受け入れていたか
- 神に祈っていたか、絶望したことはなかったか
- 主キリストの弟子として、キリストを愛していたか
- さまざまの苦しみを自分の十字架として担ったか
- 聖書を読み、また、主キリストの教えを学んだか
- 聖霊の導きを信じていたか
- 聖霊の働きに心を向けて祈ったか
- その他、わたしのキリスト者としての生き方はどうだったか
Ⅱ.わたしの身近な人々に対して
人はすべて神の子である。それゆえ、わたしたちは互いに兄弟なのである。それなのに、わたしは人に対してどうだったか
- 両親、祖父母に対して、子供・孫に対して
- 夫(妻)に対して、同居の人の対して
- 近隣の人々に対して。友人に対して。仕事で一緒に働く人に対して。学校の先生、学友、その他の人々に対して
- 通勤、通学、買い物の途中、そのほか、折々に出会った人々に対して
Ⅲ.社会の中で
わたしの生きているこの世界は、神である父の愛のわざである。そこに生きているにもかかわらず、無関心で自己本位ではなかったか
- 社会の正義、平和などについて、福音的な態度であったか
- 特権意識、差別思想などを持ったことはなかったか
- 不当な利益を得たり、不当な暴力や抑圧を行ったことはなかったか
- 富、名誉、才能、地位、学歴などを誇ったり、それに執着したことはなかったか
- 欲望のままに振る舞い、生活したことはなかったか
- 弱い人、病人、老人、孤独な人に対してどうだったか
Ⅳ.教会とわたし
わたしは召されて教会の一員となった。わたしと教会とのかかわりはどうだったろうか
- わたしは、イエス・キリストの建てられた教会を愛していたか
- 同じ信仰に生きている人々に対してどうであったか
- ミサをはじめ、秘跡に関しては
- 所属の教会での責任については
回心
罪のゆるしのためには回心が必要。『回心とは、罪を捨てて神に立ち返ること、自分の生きる方向を神に向け直すこと、自分の生きる姿勢、視点をイエス・キリストの姿勢、視点に転換すること』=カトリック教会の教え215ページ=とカトリック教会では教えています。