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カトリック鹿児島司教区司祭・Fr.YASUです。毎週、木曜夕方更新が目標。日曜日の聖書の言葉をもとにメッセージ(説教)を練っています。ツッコミ?やエールなどがありましたら、コメント欄にお願いします。
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待降節第2主日

2006年12月10日(待降節第2主日)-どちらの自分?-

by Fr.YASU posted at 2006-12-07 00:00 last modified 2007-01-18 11:21

 C年司祭

待降節第2主日=C年(ルカ3.1~6)

 師走になりますと、教会にはあらゆる施設から寄付金のお願いの便りと振り込み用紙が同封されてきます。施設に関与されている方は必死の思いをこめて送付されていると思います。それに反して、私は・・・。教会現場にいますと、どこか冷めている自分を感じます。

 ということは、自分が困っていないからでしょう。生活が安定し、贅沢ではないにしろ普通に生きていられる自分があるからです。毎年この時期になりますと、心が痛みます。

先週のこの時間に、徳田虎雄氏のことを書かせていただきました。難病に罹り、人間の真の豊かさがそこにあると分かり、自ら今の自分の状態を告白されたということでした。自分ではどうしようもできない状態になって、本来の姿を取り戻す人もいれば、不満、愚痴だけが出る人もいます。双方とも人間の現実の姿であると思います。

 私たちは、この待降節の期間を、どちらの「現実」に類する自分なのかを見極める時として、位置づけてもいいのではないでしょうか。双方に共通することは、どちらにころんでも、人間は「ゆるしを求め続ける」存在であるということでしょう。

 今日の福音では、バビロンに流され、祖国に帰ることができない状態に置かれたユダの人びとへの、よろこびの「叫び」が読まれます。祖国とバビロンの地の間には、荒涼とした土砂漠があり、簡単に帰ることはできませんでした。そこで彼らは、これまでの自分たちがしてきたことを心底悔いるのです。神がその歴史の中で自分たちにしてくれたことを思うに、裏切りばかりをしてきたと感じてきたのです。本来の自分たちを取り戻すことに成功したのです。それに対する神の答えが「主の道を整え、その歩む道をまっすぐにせよ。すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くされ、曲がりくねった道はまっすぐに、でこぼこ道は平らにされ、人は皆神の救いを見るであろう」というヨハネの叫びだったのです。

 わたしたちはどのような生き方をしていても、誰かに頼り、誰かにゆるしをいただき、励ましを受け続けています。かのユダの人々がそうであったように、自分と神の間柄を見据え、その関係を意識したいものです。

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