四旬節第1主日
2007年2月23日(C年)-聖霊によって-

四旬節第1主日(C年)ルカ4.1~13
初めてエルサレムを訪問したのは1977年8月のことでした。日本は夏の真っ盛り。エルサレムはもっと真っ盛りでした。現代ほどにそんなに高いビルはなく、聖書の世界を多少は感じさせる景色が残っていました。「山の上にある町は隠れることができない」丘の上に立つエルサレムの町でした。
そのエルサレムの町を南下していきますと、はるかかなたまで続く土砂漠が広がります。緑の木一本もない荒涼とした景色が続きます。ところどころに遊牧民のテントが見えます。目を和ませるものは何一つなく、真っ青な空が印象的でした。暑さも半端ではありません。エルサレムの街中には、道のわきに水が入ったタライのようなものが置いてあります。乾燥していますので脱水症状が容易に起こるからだそうです。その防止策だったのです。
このような自然環境の中で、人は何を感じるのでしょうか。人が生きるとはどのようなこと?自然界の前では人は小さい存在である?人間の支配が及ばないところ?いろいろなことを感じてしまいます。
生きている中で、「砂漠」に近い状況を体験することがあります。脱力感に襲われ、無気力、無感動、やる気なし、といった状況のとき、その多くの原因は自分自身の中にあることがわかります。
イエスさまの場合は、どうでしょう?「霊に導かれ」て荒れ野(砂漠)に行きます。明らかに原因は自分の中にありません。そして、人間が生きるために根本的な「食すること」「幸せでありたい」という願いに関して試みを受けます。誰でもが望むことであり、それが、さらに生きることへのエネルギーになるものです。
しかし、現実はそうはうまくいきません。体験済みのことです。「それでも」、生きることへの努力を目指します。どうして?それは、自己の中に意識があるかないかにかかわらず、生まれながらにして、わたしたちの中に備えられているものだからです。それを備えてくださった「大いなる方」を、最後のたのみ綱にすることこそ「幸せでありたい」願いが叶うし、人生に輝きが出てきます、とイエスさまはわたしたちにメッセージを送られます。
「神はあなたのために天使たちに命じてあなたを守らせる」(10節)。
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やじさんの結婚記念日の話題でああ、もう30年もたったのだ・・・と感慨にふけって
こちらを覗いたところそういえばFr.YASU がちょうどあの頃エルサレム巡礼にいかれた
ことが思いだされました。私もちょうど教会で聖書を勉強していたころでしたのでお土産などいただきましたね!そして洗礼・・となり、ドン・ボスコ社の分厚い聖書を記念に頂きました。今でも懐かしく思い出されます。やじさんは30回目の回心とか・・・、私もそうありたいと思いました。