復活の主日
2007年4月8日(C年)-復活の喜び!されど現実は・・・-
復活の主日(C年)ヨハネ20.1~9
イエス・キリストの復活おめでとうございます!
日常、何かあるとき「おめでとうございます」とあいさつします。誕生日、結婚、何かの記念日、今時ですと入学おめでとう、という言葉をかけます。その時の心情、心境はどんなものでしょうか。相手にとってもあいさつする「自分」にとっても嬉しい時です。自ずと顔はほころび、いい笑顔になります。また、元気をもらう人もいるでしょう。安堵する人もいることでしょう。その瞬間はすべての人がハッピーです。
今日の祝日を迎えて私たちは“ハッピー”でしょうか?!
通常、墓前に詣でるとき、そこには亡くなった人の思い出が「死」という現実によって閉ざされたそのときまでのままで残されているだけです。墓前で涙する人、お詫びする人、決意を新たにする人等、その時々で墓参りする人の様相が変わります。
「だれかが主を墓から取り去りました」(2節)「なぜ、あなたがたは、生きている方を死人の中に捜すのですか」(ルカ24章5節)。これらは、イエスさまの死が死ではないことを示しています。新たな啓示です。これが復活の信仰です。途方にくれ、失望感をいだきつつ「空の墓」を発見した婦人たちは、ただ驚いただけでした。「(主を)どこへ置いたのか、わたしたちにはわかりません」(2節)というだけです。
事実、死は希望と喜びを打ち砕く威力を持っています。「おめでとう」とはまったく逆の心情、心境になります。「それでも」主の復活がある限り、それだけでは終わりませんよ、という啓示なのです。希望をもてますよ、喜びはなくなりませんよ、というメッセージなのです。しかし、人生の苦しみ、心の闇の深さが現実にあることを否定するものではありません。わが身に起こるそうした否定的な体験を、それとして肯定しながら生きている中であらわれる希望が復活なのです。
「神がいるんだったら、こんな悲しみ、辛さをなくしてよ」という声が聞こえそうです。イエスさまの生き方はそうではありませんでした。幾多の人的、物的虐げを受け、そしてたどり着いたイエスさま的愛の表現でした。だからこそ、人の苦しみ、辛さ、悲しみを、誰よりも受け止めてくださるのがイエスさまなのです。だから、イエスさまにすがればいいのです。訴えるのです。ありのままの自分を、・・・。
信仰もありのままの自分をイエスさまに受け止めてもらう、そこから始まります。そして、祈りも同じです。イエスさまに語るのです。今の「自分」を、・・・。
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