復活節第2主日
2007年4月15日(C年)-身近なものの中に、・・・-
復活節第2主日(C年)ヨハネ20.19~31
私たちの身近にあるもの、起こる出来事の中に、あまり気づいていない、もしくは、関係ないこととして済ましているものがたくさんあるようです。例えば、非常口の標示板に2種類があることをご存知ですか。緑地のものと、白地のものがあります。どうしてなの?という疑問すらいだきません。指摘されて始めて「なるほど」と納得してしまいます。緑地のものは「ここが非常口です」という意味で、白地のものは「この先に非常口があります」ということを示しているのだそうです。意識したことがない方は確認してみてください。
もう一つ挙げますと、自販機の取り出し口にも工夫がなされています。タバコと飲料水の自販機が大半ですが、両者の取り出し口には違いがあります。タバコのそれは押して取り出し口を開けます。飲料水のそれは、手前に引いて開けます。飲料水のそれは、ゴミ、雨などが入らないようにするためで、衛生上の問題のようです。みなさん、お気づきでしたか?!
日常、何の違和感もなく利用している私たちにとりまして、身近すぎて「当たり前のこと」として見過ごしているように感じます。「当たり前でなくなったとき」うろたえてしまいます。体に異変を感じたとき、いるべき人がそこにいなかったときなど、困惑してしまいます。
12使徒の一人、トマスにとってそうでした。イエスさまがともにいてくださるのが当たり前で、いなくなったことで慌ててしまい、自分を見失います。「わたしたちも行って、ご一緒に死のう」(ヨハネ11章16節)と告白した同じトマスが、後に、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません」(ヨハネ14章5節)とイエスさまに質問します。挙句の果てに「わたしはその手に釘の後を見、自分の指をその釘の跡に入れてみなければ、・・・決して信じない」とまで断言します。
そして、イエスさまのあの優しいことばがトマスに向けられます。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。・・・見ないで信じる人たちは幸いである」(27節~29節)。
この言葉は、現代に生きるわたしたちにも今日向けられています。トマスの信仰の無さをイエスさまは責めたわけでもなく、むしろ祝福に満ちたやさしさでトマスを包み、トマスは自分を再発見したのです。「わたしの主、わたしの神」(28節)。
身近なことにもっと意識を向けましょう。きっとそこに再度立ち上がることのできる大きな力が秘められています。
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レオナルド・ダ・ヴィンチ 「受胎告知」 を観に行ってきました。初めてみる『本物』の
ダ・ヴィンチの絵画のその繊細な表現に新たな発見をした思いでした。トマスに向けられたことば『信じないものではなく、信じるものになりなさい。・・・』は、すでにマリアさまのなかでは先にクリアされたことばなのですね・・。