復活節第4主日
2007年4月29日(C年)-期待と現実-
復活節第4主日(C年)ヨハネ10.27~30
先日「友、遠方より来る」で、あるお店に食事に行きました。いくつか単品を注文しました。その中の一皿に盛られた料理を見て感激しました。その一皿とは、しめ鯖です。ものの見事に盛られているのです。見るだけで食欲をそそるような配列です。「お見事、きれいだ!」と声が出てしまいました。言うまでもなく、瞬く間にしめ鯖はなくなりました。
昔聞いた話ですが、欧米人はカロリーで、中国人は量で、日本人は見て食べるものである、といいます(間違っていたらごめんなさい。訂正します)。しかし、日本人は確かに料理の並べ方には気を使っているようです。しめ鯖の一切れひときれが合わさって、一匹の鯖の形になっているのです。驚きでした。一切れひときれは形は違うのに、ひとつになると見事な調和を見せてくれます。
できることなら、人間一人ひとりもそうあって欲しいなと思います。個人のこだわり、偏見、思い込み等が邪魔して、人としての本来のつながりが出来上がらないことが多々あります。
「わたしと天の父、すなわち、わたしたちは一つである」(30節)。この言葉はユダヤ人を躓かせます。イエスさまのことを「悪霊につかれている」とまで言い切ります。その理由は、自分たちが受け止めてきた信仰を混乱に陥れるかのように思ったのでしょう。彼らが受けた「信仰教育」の中で、「神」とはイエスさまが言われるイメージとはほど遠いものだったのです。民衆を力強く導き、敵に対しても勇敢に立ち向かう唯一の神は(出エジプトのできごと)、イエスさまが示す神とは違いすぎたのです。会衆のすべての人がそうだったかどうかはわかりませんが、「多くの弟子たちは」イエスさまのもとを離れていきます。
メシアが来ることは知っていました。ただそれを期待していました。しかも、自分たちがそのメシア像をつくり、その範疇に合わないこと、人は排斥されました。イエスさま流のメシアの仕事がありました。それは、父と子の関係の中に、人間を導こうとするものです。これが人間を牧する者(メシア)の重要な役割です。
現代に生きるわたしたちにとっても、自分が期待するものと現実のものとの間にズレがあると、素直にその現実を直視できない体験があります。一人ひとりがこの壁をクリアできたときに、この世を穏やかに過ごすことができます。そこから「わたし」の救いが始まります。
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