聖霊降臨
2007年5月27日(C年)-新たな旅立ち-
聖霊降臨(C年)ヨハネ14.15~16、23b~26
玄人(プロ)と素人(アマチュア)の感性の違いに驚かされることがあります。
わたしが特に感じるのは、陶芸家の方です。それこそたまにしか行かないのですが、窯元に行って作品を見ることがあります。こんなものがそんなに値打ちがあるの(?)と言いたくなるほどの作品が並べられています。
わたしは「見てくれ」で選んでしまいます。色といい、艶といい、形も他のものがいいように感じてしまいます。値段を見ますとはるかに見てくれの「悪い」方が高いのです。陶芸品の価値はわかりにくいですね。使っているうちにその良さがわかってくるのでしょうが、買うときは目先の心地よさで決めてしまいます。
かつて卒園記念に陶器に挑戦しようと、年長児と窯元に行ったことがあります。粘土状の土いじくりから始まり、その子の目的によって異なる作品が出来上がっていきます。形になっていくと子どもの意欲にも変化が出てきます。作品に魂を込めるように大事に、丁寧に関わります。そこにあるのは、もはや土ではなく、皿であったり、スプーンであったりコップなのです。子どもたちの手によって、そのものの存在理由と目的が明らかにされたのです。
わたしたちの地球も命も、その存在のために働かれる方がいます。それが今日の祝日「聖霊」です。秩序ある調和に満ちた平安な大地をつくり、わたしたちに「すべてのことを教えて」(26節)くださいます。わたしたちキリスト者に大きな力を持っています。その偉大さに心配りをしていないのが、わたしたちの現実ではないでしょうか。「あなたがいぶきを取り去られると、死が訪れてちりにもどる」(詩編104番29節)のです。地上を、人を生かすも殺すも、聖霊によるというわけです。
わたしたちが命を今日もいただいているのは、聖霊によるのです。このことを感じているでしょうか。感じなくても聖霊は働いてくれています。むなしいことはないのです。絶えず命を誕生させようと働きかけています。こうした働きの中で「教会」が誕生しました。
あの粘土状の土がちゃんとした形をもって存在価値を与えられたように、聖霊が働きやすいようにわたしたちも「粘土」になりましょう。聖霊の働きに気づき、砕かれた「土」になりましょう。そこから新たな旅立ちです。
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実は奇跡のような事が最近ありました。一見、どん底のような事の中にも神様の聖霊は働いているのでしょうか?ヤジロー村のこのホームを通じても、そして私たちの生活の中にも・・?
私の霊名の一部のベルナデッタはご存知のようにルルドのベルナデッタから頂きましたが聖霊とともにマリア様のお導きもあったのでしょうか?以前、偶然は必然であるとお聞きしましたが・・、本当に不思議な偶然?です。奇跡?としかいいようがありません。
でも、ここではそんな事がありました・・とだけお伝えしておきます。
良かったですね。
受洗の如何に関わらず、すべての人に、すべての場面で、聖霊は働いていると信じています。
ただ、自分としては「聖霊が働きやすい環境をいかにして作るか」が日々の課題だと思っています。
おめでとうございます!
実は、とんでもないほどびっくりした偶然の前には、どん底に陥る事もありまして、この偶然にビックリして嬉しい反面、どん底からその偶然が救ってくれたような複雑な気持ちでいます。例によって子どもにかかわる事なのですが、長年悩まされている事なのでどうしようもない現実を抱えております。ただ、教会に通っていたことのある私には嬉しい事でもほかの人にはたいして感激する事でもないのかもしれません。でも、私としては神様やマリア様がいつもみまもってくださっているのだなあと身近に感じた出来事でした。それに、すべての人に聖霊は働いているのがわかり少しほっとした思いです。ヤジロー村のこのホームももちろん聖霊の働く場だと思っていますし、実際、このホームを通じてその偶然を知ったので、ホントにビックリしました。ですから、このホームはヤジローさんのおっしゃる「聖霊が働きやすい環境」
なのではないでしょうか?
子供のことでは、私も、いろんな経験を持っています。
826村を始めたきっかけも、表向きはカッコつけて書いていますが、実のところ、末っ子の出奔と深く関係があるのですよ。
我が家では、最近、7年ぶりに修復が始まったような気がしています。
(永かったです。でもありえないと思っていたことが実現しつつある!!!)
個人的に過ぎる事を書いてしまいました。