三位一体
2007年6月3日(C年)-日々働く三位一体の神-
三位一体(C年)ヨハネ16.12~15
あるマスコミ関係の記者の話を紹介しましょう。
この方は、経済的に豊かになった日本社会で、宗教に引き寄せられていく人々が多いのは、なぜか、というテーマに取り組んで取材し、日刊紙に連載しておられました。ある日、どうしても納得がいかず、森一弘司教のところに「宗教とはなんですか」と訪ねてきたというのです。
その記者が曰く、「新興宗教の取材をしていきますと、その入信の動機をおおよそ三つに絞ることができます。貧、病、争です。経済的な貧しさ、病、そして人間関係のこじれです。そうしたことで追いつめられて、溺れるものが藁をもつかむ思いで、神仏に救いを求めます。新興宗教は、そうした庶民の具体的な苦しみと悩みに真正面から向き合います」と(「カトリック司教が見た日本社会の痛み」114~115ページ)。
かつて卒園記念に陶器に挑戦しようと、年長児と窯元に行ったことがあります。粘土状の土いじくりから始まり、その子の目的によって異なる作品が出来上がっていきます。形になっていくと子どもの意欲にも変化が出てきます。作品に魂を込めるように大事に、丁寧に関わります。そこにあるのは、もはや土ではなく、皿であったり、スプーンであったりコップなのです。子どもたちの手によって、そのものの存在理由と目的が明らかにされたのです。
わたしたちの地球も命も、その存在のために働かれる方がいます。それが今日の祝日「聖霊」です。秩序ある調和に満ちた平安な大地をつくり、わたしたちに「すべてのことを教えて」(26節)くださいます。わたしたちキリスト者に大きな力を持っています。その偉大さに心配りをしていないのが、わたしたちの現実ではないでしょうか。「あなたがいぶきを取り去られると、死が訪れてちりにもどる」(詩編104番29節)のです。地上を、人を生かすも殺すも、聖霊によるというわけです。
わたしたちが命を今日もいただいているのは、聖霊によるのです。このことを感じているでしょうか。感じなくても聖霊は働いてくれています。むなしいことはないのです。絶えず命を誕生させようと働きかけています。こうした働きの中で「教会」が誕生しました。
あの粘土状の土がちゃんとした形をもって存在価値を与えられたように、聖霊が働きやすいようにわたしたちも「粘土」になりましょう。聖霊の働きに気づき、砕かれた「土」になりましょう。そこから新たな旅立ちです。
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