キリストの聖体
2007年6月10日(C年)-いつもリフレッシュ-
キリストの聖体(C年)ルカ9.11b~17
言葉は他者と交わりを持つために必要です。
また、自分の意見を吐露するためにも必要です。同時に限界もあります。したがって誤解が生じます。また、人を傷つけ逆に励ましたりもできます。人間性を高め広めるためにも大事なものです。言葉は便利なようで厄介なものです。物事には両面があるということでしょうか。
先日テレビ番組の中で、次の表現内容を同じ意味の他の表現に言い換えなさい、というものがありました。「過失を厳しくとがめること」「不運が重なること」を別の表現で言うとどうなるでしょうか。
今日は主の聖体の祝日です。聖体の秘跡はわたしたちの信仰生活の源であり中心にあります。聖体の制定は「主イエスが渡される夜」でした。それまで生きてこられたイエスさまのすべてが、この秘跡の中に凝縮されています。恵まれない人には励ましを与え、元気のない人には勇気を与え、よく生きている人にはさらによりよく生きるように諭し、いつもわたしたちとともにおられました。聖体の秘跡は十字架上で亡くなられても、そうあり続けたいというわたしたちへの優しさと愛の結晶であるといえます。
聖体の秘跡は、ユダヤ社会に生きる人々の醜さと冷たさ、弟子たちの裏切りと不従順が動機となって噴出したイエスさまのわたしたちへの遺産です。「これはわたしの体である」「これはわたしの血である」という言葉をそのまま受け入れていくとき、この言葉の力が発揮されます。そしてわたしたちにとっても生きる大きな糧となっていきます。知識をたくさん持っていることより、少ない知識でも大事なものはしっかりと身につけて「生きている」ことが問われています。
知識をたくさん持っていることに越したことはありません。持たなくてもいいと言っているのではありません。生きるために必要なことは何でしょうか、という視点で自らをながめてみたいですね。
冒頭の問いの答えは「油をしぼる」と「よわり目に、たたり目」でした。こんなことを知らなくても、生きておられます。そういうわたしもすぐに回答は出てきませんでした。聖体の主日に信仰のリフレッシュを図りましょう。
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