年間第18主日
2007年8月5日(C年) -愚か者-
年間第18主日(C年)ルカ12.13~21
いつごろ設定されたのかわかりませんが、「犯罪被害者週間」(11月25日~12月1日)があります。その目的は、“犯罪による被害者も加害者も出さない地域社会の実現を目指す”、ということになっています。この度、鹿児島の犯罪被害者支援センターが、県内の小・中・高校生を対象にメッセージを募集するそうです。テーマは「命の大切さ」です。同センターは、「かけがえのない家族や友人が安心して安全に過ごせるような思いを寄せて欲しい」と言っています。
世の中には「~週間」と称するものがたくさんあります。そのことを重点的に意識しましょう、という趣旨でしょうが、その週間が過ぎるとおのずと脳裏から消し去られていきはしないでしょうか。自分にとって、生きるためにそんなに重い比重を占めていないからでしょう。
しかし、お金(資産)とか地位となるとそうもいかないようです。遺産をめぐって骨肉の争いが絶えません。お金があると気持ちも楽になります。思うことが叶いやすくなります。友人もできます。お金があるところにはみなが集まってくるからです。「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉もあります。
よく考えれば、お金というものはいつの時代も「消耗」するものです。資産をうまく運用してさらに蓄積しようとしても、そうなるとき、そうならないときがあります。そうならないときが続きますと、途端に生活が困窮し始めます。それまでの生活レベルを落としたくないからです。どうにかして面子も保ちたいと考えてしまいます。
一方、人間の老い、病、そして死はどうしても避けることはできません。特に「死」は例外なく誰にでも訪れます。どんなに資産家でも金の力で死を回避することは無理です。また、死とともにその資産を携えることもできません。資産家であることが悪いわけではありません。何が「愚か」であるのか。
「財産を蓄え、現実の生活を楽しむことのみに走ること・人」を愚かであるとイエスさまは言われます。この世において「絶対」はあり得ません。「愚か者、今夜、おまえの命は取り上げられる」(20節)かもしれないからです。したがって、財産蓄積にのみ奔走することよりも、自分の命を含めて他者の命をも大切にすることに、神の意志を遂行する普段の生き方が、是非求められています。
命の大切さを求めていく先に、神の微笑んでくださる顔があります。神のことばは、すべての人に開かれています。
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