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カトリック鹿児島司教区司祭・Fr.YASUです。毎週、木曜夕方更新が目標。日曜日の聖書の言葉をもとにメッセージ(説教)を練っています。ツッコミ?やエールなどがありましたら、コメント欄にお願いします。
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復活節第5主日(A年)

2008年4月20日(A年)-子は親の鏡-

作成者 Fr.YASU投稿日 2008年04月19日 15時30分 最終変更日時 2008年04月19日 16時06分

C年司祭

復活節第5主日(A年)(ヨハネ14.1~12)

 自然界は一斉に花盛りとなりました。それとともに、新しい学期が始まりました。この時期の幼稚園は、とても賑やか(?)です。新しく入園したお子さまにとっては試練(?)のときでもあります。特に親御さんと離れ離れになることが初めてのお子さまにとって、不安な気持ちからくる悲しさと寂しさが増大するからです。それを「泣く」ことによって表現し、訴えるのです。

 我が子のそのような姿を見る親御さんは、走りよってその姿を見せ、語りかけ、抱きしめます。子どもは安心して泣き止み、笑顔さえも見せてくれます。親子関係はこうしたものです。子どもを自分のほうに引き寄せるのではなく、自らが子どもの世界に入っていくのです。普通の情景です。意識なしにそうします。「親である」という存在がそうさせるのです。なんとほほえましい姿です。

 子どもにとって「親」とは?ということがはっきりとわからなくても、その姿、声音、手をつなぎ、抱きしめられることを通して、我が親を認知する能力を身につけています。それもそのはず。子どもはその親御さんから生まれ出たからです。

 「子は親の鏡」といいます。子どもは親御さんを映し出しているのです。今日の福音はまさにこのことを強調しています。「わたしを見た者は、父を見たのである」(9節)。人の親子関係でも、親が子の世界に入り込んできます。神(父)も同じです。わたしたち子の世界にイエス・キリストを見せることによって「安心感」を提供してくれます。わたしたちが安心を抱くために言われることは「わたしが言うのを信じなさい」(11節)です。つまり、子どもが親の懐に飛び込んでいくように、イエス・キリストの懐に飛び込んでいくことです。

 当時のイエスさまの弟子たちにとって、初めて耳にすること、目にすることがたくさんありました。にもかかわらず、でも、だからこそ、わが身をイエスさまにゆだねていきました。すべてが確実にわからなくても、優しさ、強さ、賢明さを持つイエスさまに、「賭け」ました。これが「信じること、飛び込んでいく」ことです。そうしているうちに、不信仰な弟子たちも本物になっていきました。

 親が子のイニシアティブを取るように、神も人のイニシアティブをとるのです。これを「神の恵み」といいます。それによらない限り、真の「安心感」を得ることができないのです。神の栄光につながるとき、わたしたちの願いは聞き届けられます。

復活節第5主日 復活節第5主日
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作成者 Fr.YASU最終変更日時 2008年04月19日 16時06分
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