復活節第6主日(A年)
2008年4月27日(A年)-光(イエスさま)と闇(人)-
復活節第6主日(A年)(ヨハネ14.15~21)
高齢者の方、体を思うがままに動かせない人、薬に頼らないといけない方、とさまざまな境遇を抱えている人たちがひとつになった今回の巡礼でした。平均年齢が70歳台前半の巡礼団でした。しかし終わってみると、そんなことを感じさせないほど元気な、さわやかな姿、笑顔がありました。なんといいましても、自分の限界を知り、今の自分の気持ち、心に純粋な方々の巡礼でした。
「恵み多い巡礼でした」と口々に語ってくださいました。喜びを感じました。
必ずしも楽な(?)巡礼ではありませんでした。日常をちょっと離れるという感じではなく、大いに離れていました。昼と夜が逆転したり、足元がふらふらになったりで、何人かの人がちょっとした段差でこけたりしましたが、怪我も無く、これまた恵みでした。十字架の道行きの途中で、スリの被害に遭いそうになったりもしました。抜かれた財布をしっかりと取り戻したのです。相手に「罪を犯させずに(?)済んだ」といえます(!?)。
巡礼中、“ホーリー”な気持ちになれたことはすべての方が感じていたのではないでしょうか。これまた、日常ではない(?)ことかもしれません。しかし、神の恵みは「ホーリー」な人にのみそそがれるのではありません。人間の弱さ、罪がイエスさまとの間における障害にはなりえないのです。今日の福音がそれを示しています。
弟子たちに聖霊が注がれるのは、弟子たち以上にイエスさま自身が彼らの弱さ惨めさをご存知であったことにあります。「あなたたちを孤児にはしておかない」(18節)ということばに、イエスさまの思いがにじみ出ています。光として来られたイエスさまにとって、闇をかかえ、惨めさを露呈する人間であればそれだけ、光としての特質が発揮されるというものです。
この度の巡礼に参加された方々は、自分の闇の部分、弱い部分にはっきり気づき、それをしっかりと受け止める時=恵みを感じ取っていたのでしょう。そういうわたし自身はどうだったのか?素直に自分の限界を知り、闇の部分を認めきれているのだろうか。それがない限り、聖霊降臨はありえないでしょう。
新鮮な心を維持し、発展させるために巡礼の恵みをじっくりと味わってみることにします。光(イエスさま)に向かって開かれた自分であること、謙虚であることを通して、自分の闇が一層見えるようになりますように。
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