主の昇天(A年)
2008年5月4日(A年)-悲しみの後に-
主の昇天(A年)(マタイ28.16~20)
いきなり訪れた事件・事故・病で倒れる人の遺族の方の悲しみ、痛みはいかほどか、その大きさ、深さについては、経験した人でないとわからないでしょう。それでもまったく同じ経験とはいいがたものがあります。個々人により感性の違いがあるからです。大事な人が急に目の前から消え去るわけですから、一瞬ことばを失います。その人との関わりの深さにより、悲しみ、痛みの内容に違いが生じます。そして、その人がいなくなって初めて、その存在の偉大さ、大きさに気づかされるのです。
今日は主の昇天の祝日です。いわば、イエスさまと弟子たちとの最後の別れのときです。主の復活後の数週間、イエスさまは「訣別の訓示」を弟子たちに与えます。それでも、弟子たちにはイエスさまの真意が伝わりません。「豚に真珠」なのです。イエスさまにとっては、それでも、「かけがえのない」弟子たちです。甘えさせることはあっても、甘やかすことはなさいません。「わたしが去ることは、あなたがたの益になる」(ヨハネ16章7節)、「わたしのいくところに、いまはついてこられない」(ヨハネ13章36節)と、弟子たちを引き離します。
弟子たちはその命綱を無くす今、どうしたらよいのか途方にくれたことでしょう。人間としての拠り所を失う、というより、イエスさまのほうから断ち切ろうとされているのです。これが無いと聖霊によりすがる生き方への転換ができなかったといえます。聖霊の支えをいただきながら、自立への道を歩まざるを得なかったのです。イエスさまはいなくなるのですから。
人間、逆境に立たされたときにどの道を選択するかによって、真価が問われます。弟子たちもその体験をしたのです。このとき、イエスさまが関わってきた弟子たちの行動が、イエスさまの宣教活動が成功であったことを物語ります。弟子たちはイエスさま亡き後、イエスさまの本当の姿に気づかされていきます。イエスさまとの関わりの深さが功を奏します。つまり、ふつふつとイエスさまご自身の真の姿がよみがえってきたのです。それはイエスさまが示された無償の愛とゆるしと恵みにほかなりません。だからこそ「あなたたちは行って、すべての国の人々を弟子にしなさい」(19節)という使命が、弟子たちにふさわしい任務となります。
親しく、影響力の強い方との別れは、人をだめにする力をも秘めています。幸いに弟子たちはそうなりませんでした。今のわたしたちも同じことができます。イエスさま亡き後に、
弟子たちの信仰の質が変わったように、わたしたちもそうありますように、・・・・・。
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