キリストの聖体(A年)
2008年5月25日(A年)-黙して語らぬイエスさまの愛-
キリストの聖体(A年)(ヨハネ3.16~18)
その昔、円卓を囲んで食事をするのが普通であったと思います。畳の上に正座をし、黙々と食べていたのを思い出します。一家団欒というより、儀式ばっていたのかな、という気さえします。いまだに覚えているのは、ご飯粒を落としたとき、「拾って食べなさい」という父親の怖い声です。「農家の人が汗水流して作ってくれた米だ」というのです。確かにそうです。米に対する尊敬はなくとも、農家の方々への尊敬の心を大事にするようにという諭しだったのでしょう。
「もの」を作る人は、その製作に精一杯の愛情を込めて取り掛かります。だからこそ、皆から大事に扱ってもらいたいと念じます。その「もの」によって、誰かが生きる力を得たり、元気付けられたりすると、製作者も我がことのように喜ぶものです。
今日は聖体の主日です。わたしたちのいのちが成長するのは、イエスさまの肉であり血であると強調します。日常的にわかっていることですが、自らのいのちは自分ひとりだけで伸ばすことはできません。誰かのお世話になっています。その誕生から現在に至るまで、生かされ続けてきたものです。食べ物にして然り、精神的な支えにして然りです。
一番身近な人は親であり、兄弟姉妹です。特にいのちの始まりにおいては、親御さんの、中でもお母さんの自己犠牲と自己否定の上に、大きくなってきた現実があります。その時代を子どもである「わたしたち」には記憶がありません。とかいって、親がおんきせがましく、わたしたち子どもに語るわけでもありません。ひたすら、親はその血肉を削り、わが子に愛情のすべてを注いで、子どもの育ちに備えます。
その心が新たな生き方を生み出します。聖体の秘跡はイエスさまの、人間への愛情から生まれた新たな生き方を見せてくれています。愛は自分のいのちの滅びを惜しみません。その代わり、それによって、人が生きることを望みます。親がわが子にそうするように。
わたしたちは、毎日ないしは毎日曜日にご聖体をいただきます。その中に、イエスさまの愛が、わたしたちを受け入れ、ゆるし、派遣していることを感じたいものです。そうです!そして、私たち自身の存在が、他者に喜ばれるようになれれば、聖体の秘跡の大きな実りと意義を伝えられる「伝達者」になります。
それは日常生活のひとこま、ひとこまの中にたくさん横たわっています。冒頭の米粒の話も、お世話になっていることへの感謝のしるしでもあります。病人さんにとって大事なことは、口から食べることだそうです。食材の安全性と農家の方々への信頼と感謝の心が安定した毎日の生き方につながります。
聖体の秘跡の大切さは、毎日の生き様に関係してきます。黙して語らぬイエスさまの愛を感じる感性の育成を期待したいものです。
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