年間第9主日(A年)
2008年6月1日(A年)-役作り-
年間第9主日(A年)(マタイ7.21~27)
公務員、病院関係の不祥事、相撲界の殴打事件等、まあ次から次へと新たな現実が出てきます。「たくさんの前例があるにもかかわらず、そのことが活かされていない」というのは、何も評論家のみならず、庶民であるわたしたちも言いたくなります。
人間、既成のあり方を変えるとなると、大いなる勇気と決断力が必要になります。長年慣れ親しんできた習慣を即変えるのは、愛着心があるだけに難しさも伴います。公務員の着服問題、病院の時間外手当改ざん事件、大相撲界の竹刀による殴打事件、その根底に潜んでいるものは何か?何か共通するものを感じますが、曖昧としています。目の前に敷設されたレールに乗っかったばかりに問題にされる、という安易なものではなさそうです。長年かかって培われてきた習慣であれば、長年かかって変革していけばよいと思うのですが、・・・・・。
「わたしに向かって、『主よ、主よ』というものが皆、天の国に入るのではない。天におられるわたしの父のみ旨を行う者だけが入るのである」(21節)。といきなり言われても、「父のみ旨」とは何だろう、と考え込んでしまいます。弟子たちにとって、これまでにないまったく新しいイエスさまからの言葉だったのです。
律法を守り、教えを文字通りに唱えておけばよかったのです。そうです!信仰は成長するのです。イエスさまがおっしゃったことは、日に日に「父のみ旨」を知り、「行う者」になれるようにしなさい、と招かれます。
現に、ペトロは若い頃はイエスさまの「無理解者」でした。「あなたは生ける神の子、キリストです」(マタイ16章16節)と信仰宣言しても、「足が地に付いて」はいなかったのです。ペトロの生き方として変えられていなかったのです。いわゆる、「口先だけの信仰」と非難されても仕方なかったのです。そのときの自分が置かれている状況に応じて、自分に都合のよい「弁解」を無意識のうちに準備しています。長年このような生き方をしていると、それがその人の「習慣」となっていきます。
信仰も「生きている」限り、「成長」していきます。成長は変化です。いつも、それまでの状態からの脱皮です。そのために必要なことは“チャレンジ”することです。イエスさまは絶えず、その機会を与えてくれます。ペトロに対してそうであったように。そして、イエスさまの後継者としてのペトロに変えられていきます。最後は、純粋に、心をつくし、精神をつくし、思いをつくして(マタイ22章37節)、主を愛する使徒に成長しました。
ペトロにとって毎日が挑戦の連続でした。知識の積み重ねではなく、生き方の積み重ねの上に、ペトロの「役作り」が完成されていったのでした。
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