年間第10主日(A年)
2008年6月8日(A年)-本当の自分-
年間第10主日(A年)(マタイ9.9~13)
政治の世界では、その長にしても、議員にしても、任期満了になりますと国民の「審判」を仰ぐべく、選挙戦を経て投票結果を待ちます。長いこと政治家のすること、してきたことを見ますと、彼らは、やはり「特殊な」人間なんだと思えてきます。
何も選挙戦中だけでなく、むしろ、議員になってからの生き様を拝見すると、あくまでもテレビ、ラジオ、新聞等による報道に限りますが、彼らの中に悪い人はほとんどいません。悪いのはその取り巻きの人びとです。真実のほどはまったくわかりませんが、したたかな根性を持たないと、政治家としての生き方ができないような感じがします。
誰かがどこかで静かに犠牲者となっていきます。マスコミも突っ込めない分野があるのでしょう。いつしかその問題も風化していきます。否、一つの問題を最後まで追っかけていくだけの時間と暇がないほどに、事件が通り過ぎていきます。
人間完璧を求めても実現できる人は誰もいません。しかし、「これこれしかじかの良いことは、わたしがやってのけました」と堂々と自己アピールをしながら選挙に挑みます。そして自分にとって、気まずい報道がなされると「知りません」と必ず(?)一度は否定する人が多いようです。子どもたちに及ぼす影響はどうでしょうか。
イエスさまの時代に自分は偉いんだと自画自賛する人たちがいました。その人たちは、徴税人たち(マタイ)とともに食事をするイエスさまがけむたい存在でした。むしろ反感心を大いにいだいていました。イエスさまが貧困者、社会から無視されてその日陰に生きることを余儀なくされている人たちに近づくからでした。イエスさまに直接聞くことができずに弟子たちに聞きます。
また、弟子たちにも、「イスラエルの滅びた羊」のところへ行くように命じます。当時のファリザイ派の人びと、律法学者たちには理解に苦しむイエスさまの態度でした。
神さまの前に出るのに条件が必要なのでしょうか。つまり、非の打ちどころのない人間であることが必要であると彼らは言います。そのような人はいません。彼らの中にでさえ、・・・。神の前ではみなが小さな存在でしかありません。
また、神は心に痛みを感じ、今を精一杯生き抜いている人に目を留められます。すべての人はご自分に「似せて」創られたからです。ファリザイ派の人びとも含めて。イエスさまは威張ることをなさいません。自画自賛するわけでもありません。ひたすら、人びと(わたしたち)と同じく生きようとされます。
自分の力で何事もできると思っている人は、いつの日か泣きを見ます。正直に今の自分を知り、謙虚になれたときが、本当の自分に出会える始まりかもしれませんね。
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