年間第16主日(A年)
2008年7月20日(A年)-育つに任せる-
年間第16主日(A年)(マタイ13.24~43)
「14歳バスジャック」「幼い動機なぜ暴発」などと新聞紙上を飾りました。その動機はと聞けば、「親へ嫌がらせ」だといいます。前日親に叱られ、家出した少年は、「親をめちゃめちゃにしたかった。世間を騒がせたかった」などと供述しているということです。詳細はわかりませんが、またもや悲しい事件となりました。
親と子、この関係は死ぬまで続くのでしょうか。形はそうかもしれませんが、関わりの内容は年とともに変化していくのではないでしょうか。つまり、親はいつまでも子どもを「所有」できないということです。別の言い方をしますと、子どもの人格を認めることです。親子愛とは、いわば、親の「所有権」みたいなもので、いつも親が子どもの上位にいます。親子愛が人間愛に変化していくとき、親の子離れが発生します。
同じ「家庭」という畑に植わっている親子。子どもの成長には目を見張るものがあります。子どもが「幼い頃は」、その子が良いか悪いかなどわかるはずもありません。14歳の子どもが急に凶暴になるわけもありません。子育てはこつこつと積み上げられていくものです。そのために肥やしをやり、育つ機会を提供することです。
野菜、穀類と違って、「人間」という種は、育つ過程においてよくもなるし、悪くもなります。無駄な肥料と時間と思われても、やり続けると、必ずや報いてくれます。子どもの中にある自助成長力と親の支援が適合したときに、親が「希望した子ども」になります。子どもの成長は子育ての目的ではなく、実りです。
今日のたとえ話は毒麦についてです。毒麦についても神は育つチャンスを与えられるのです。見た目ではよい麦との区別がつかないからです。要するに、見せかけだけでは、植物・穀物でも見分けがつきません。「実りのとき」にわかります。無駄な労力はないということになります。毒麦は初めから「悪い」ものなので、その実りもはっきりとしています。しかし、人は違います。肥やしをやる時と量を間違わなければ、結果はおのずと「吉」と出ます。
大人、親は「自分のはかり」で判断しないことです。ここが子どもとのかかわりできついところです。また、「乱暴な子」と「元気な子」の違いはどこにあるのでしょう。それこそ10年後(?)に真偽の結果が出ます。神にチャンスをいただいていることに感謝したいです。
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