年間第19主日(A年)
2008年8月10日(A年)-それでも、弱い「わたし」-
年間第19主日(A年)(マタイ14.22~33)
「最近たくましくなってきたね」「顔が引き締まってきたな」「礼儀正しくなったね」といいながら、子どもの成長を見守る親、大人がいます。さらに、「だんだんお父さん、お母さんに似てきたな」といわれると、親御さんは嬉しくもあり、どこか複雑な心境になるときもあるようです。どうしてもここだけは似て欲しくない部分を感じるからでしょうか。
人の成長は、命ある限り永遠とつづきます。体は衰えても人としての歩みにストップはないからです。順風満帆のときには気づかないことも、逆境に立たされると、今までに気づかなかったことに目覚めることがあります。
体験はたくさんするほうがいいです。しかし、その体験が自分のものになっているかどうかの真価が問われるときが必ず来るものです。何をどう工夫してもうまくいかないとき、つまり、逆境に立たされるとき、人は本性を現します。積み重ねてきた体験がものになっていないのです。それでも、積み重ねるしかないのです。こうして、自己を意識できるようになっていきます。子どもが成長していくとき、その積み重ねは何かといえば、親御さんの後姿を見続けることです。親御さんが意識していない後姿であるがゆえに自分には見えないのです。だからこそ、本当の姿があるのかもしれません。
まっとうな生き方、すばらしい人生体験をしたから、その人が強くなるのかといえば、必ずしもそうとはいえません。やはり、人間として考えれば弱さはそれとしていつも残ります。そのままの姿で、神の力を感じ、見続けていくことしかわたしたちにはできません。この生き方を、挫折感を感じながらも実践していくことの中に、信仰の成長を確実にしていく秘訣があります。
今日の福音はまさにこうした内容がこめられています。たくさんの、確実なイエスさまの力強さを見聞してきたぺトロが登場します。逆境に立たされる(強い風に気づく)と「恐れ、沈みかけ」(30節)てしまうのです。今までの体験はなんだったのか。「信仰薄い者よ」というイエスさまの声が飛んできます。
このような、いわば同じような「弱い自分」の体験を繰り返しながら、確かにペトロの信仰は強められ、高められていったのです。同じような行動に見えても、一回目より二回目の失敗は確実により強い自分への道のりを歩んでいることになります。
これを日常の生活の中で味わうことです。そうして「弱いときこそ一番強い」自分に出会えるときが来ることを期待しつつ。そのとき、そこには「自分」ではなく「イエスさま」が確かに生きてくださっています。自分の面子、身分などへのこだわりがなくなります。「奉仕」できていることの嬉しさ、楽しさが重きをなします。そうなれたらなあ~。
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