年間第20主日(A年)
2008年8月17日(A年)-わかっている。だから言う、・・・-
年間第20主日(A年)(マタイ15.21~28)
福音書のところどころに、イエスさまの「冷たさ」を感じさせる情景が登場します。わたしたち人間が、人との関わりの中で冷たくなるときっていつでしょうか。体調不良のとき、失敗の連続で気持ちが落ち込んでいるとき、親、子どもに不幸があったとき等々、マイナス要素がいつも作用しています。
ずいぶんと昔のことになりますが、教壇に立っていたときの話です。一時限目にいやなことがありました。生徒に責任はないと思っていますが、ある教師の一言が生徒を傷つけてしまいました。わたしの担当授業のとき、その「一言」についての質問がありました。詳細を述べることができませんが、彼らを癒して上げられなかったのです。わたしも未だ若かったし、適切な励ましの言葉がありませんでした。大いに悩みました。その思いを二時限目に持ち越してしまいました。あってはいけないことなのに、クラスの子たちに逆にいやな思いをさせてしまったのです。幸いなことに、わたしの思いを察してくれる生徒たちがいたのです。隣のクラスだったので、話の内容を知っていたのです。救われた思いでした。
イエスさまも今日の福音では、どうやら同じような思いの中にいらっしゃったのではないかという気がします。カナンの女に出会う前に、「ファリサイ派の人々が腹を立てる」ほどの話をしているのです。弟子たちにも「あなたたちまでが、まだ悟らないのか」(16節)と怒りに満ちたことばを言われます。
その状態の中で、カナンの女に出会います。ファリザイ派と弟子たちへの不満に満ちていました。その思いを引きずってしまった、といえば言い過ぎでしょうか。
同時に、異邦の女性の中に本当の「信仰」を見いだしたかったのかもしれません。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」(28節)とイエスさまはその女性に言われます。彼女に会うまでは、表面的な信仰表現で満足して、それを民衆に強要しているファリサイ派の人々と議論していたイエスさまにしてみれば、彼女との問答の中に安堵と安らぎと希望を見出したのでしょう。
イエスさまがご自分の思いのとりこになっていれば、カナンの女へのことばはなかったでしょう。いつももっと先を見つめてイエスさまは人々と付き合います。カナンの女の惨めなかわいそうな状態をよくわかった上での対話でした。「あなたの心はわかっているよ。それを意思表示してください」といっているかのようです。
わたしたちも、自分の心のうちをイエスさまに吐露しましょう。わかっているなら言わなくとも叶えてくださいよ、といいたくなるところですが、言うことが大事なんですね。叫ぶこと、言い続けることを通常大事にしていきましょう。
- カテゴリ
- 後半の年間主日
- 固定リンク
- ¦
- コメント (0)
- ¦
- トラックバック (0)
- トラックバック用URL:
- http://mr826.net/yz/seisyo_message/message/080817/tbping
年間第20主日