年間第23主日(A年)
2008年9月7日(A年)-指摘する勇気-
年間第23主日(A年)(マタイ18.15~20)
いつの時代も、戦争の現場を見て悲惨な姿にことばもない、という体験をされた方も多いと思います。実際に「戦争を知らない」世代として生きているわたしたちでありますが、その現場で当時を知る人から話を聞きますと、昔のままの現場は残されていませんが、その悲惨さ、凄さ、痛みの大きさをイメージすることはできます。
日本、韓国、アメリカの戦没者に対する慰霊碑が残されているサイパンは、今ではおだやかな島です。島を代表する火炎樹の花が眼にまぶしい。慰霊碑が立つ場所には必ずこの木があります。この花の満開時はとっくに過ぎているのに、遅咲き花が残っていました。敵味方で戦った同じ戦没者の苦労をねぎらっているかのように見えます。同時に、わたしには、戦争を繰り返してはいけないよ、と訴え、指摘しているかのようにも見えました。火炎樹はその字のごとく、鮮やかな、印象の強い花です。花は語りません。しかし、人間たちが犯した不始末をしっかりと指摘し続けているような気がします。
植物は音を発しないのでその横を通っても感じない人は何も感じません。人は音を発することができます。したがって、結果によっては他者を傷つけることもあり得ます。大事なことは、どのような意図を持って語っているかです。誤解も生じえます。しかし、誤解を払拭するための説明を加えることもできます。誠実で、平和な心で、何よりもお互いの安寧と救いのために差し伸べる「手、ことば」であるべきでしょう。
今日の福音では、まさにこのこと、相手の罪を指摘する勇気を持て、とイエスさまはおっしゃいます。相手を叱責するためではなく、懲らしめるためでもなく、もっぱらその人の救いを願ってであります。イエスさまの生き方の中心にあったのがそれだからです。きつそうなことばに聞こえても、愛情たっぷりの語り掛けであったのです。イエスさまの一生はこのことに向けられていました。罪を見逃すことは、イエスさまの愛情にノーと言うことですし、あいまいにすることは裏切り行為になります。他方で、罪に妥協することですし、だんだんと罪そのものに鈍感になっていきます。
わたしたちの信仰に敏感になりましょう。今気になっている信仰をしっかりと黙想し、深めてみましょう。一点でいいのです。そのことを追いかけてみましょう。すべて霧が晴れていきます。皆がこのような作業ができたら、罪を指摘する必要もなくなるのでは、・・・・・。そのような共同体は「夢」でしょうか。
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