十字架称賛(A年)
2008年9月14日(A年)-正面突破-
十字架称賛(A年)(ヨハネ3.13~17)
人は生き残りをかけてさまざまな仕掛けを考えます。世界は現在、物価上昇の中にあって、その対策に追われ、会社のトップはいろいろな施策を考え、実施しているようです。新たな策というより、「抜け道的」な、「刹那的」な方法といわざるを得ないようなものばかり。
さらに、経営者側ばかりに立った事件報道が多く、消費者側にたった視点が抜けているような気がします。「三笠フーズ」の事件も、「事故米」を給食として食した保育園児、施設の入居者の場合はどうなるのでしょう。「毒いり米」を食べさせられた形になっています。問われなくてもいいのでしょうか。ある種「刑事事件」ではないかとさえ感じます。お互いに持ちつ持たれつの関係が、信頼の上に成り立っていることに思いをはせたいですね。裏切り行為は「人であること」をやめることです。消費者は弱い立場(受身側)にあります。
健全な生活のためには、心身の元気さが大切です。それ故に、食の安全は欠かせません。そして、それによって心の安全、平安も大きな影響を受けます。「強い立場」にある人は、「弱い立場」にある人の先を歩み、安心感を与えてくれるぐらいのゆとりが欲しいですね。
その心意気を見せてくれているのが、今日のイエスさまであろうと思います。「永遠の命を得るため」(15節)「世が救われるようになるため」(17節)にイエスさまは十字架の上にあげられるのです。弱い立場にあるわたしたちのことをよくご存知です。仮にわたしたちに条件が整っていなくても、その行為に変化はないのです。つまり、わたしたちが裏切るようなことがあっても、イエスさまの人への信頼は揺らぎません。ここに、今までにない「新しさ」があります。
こうして「十字架」はイエスさまの、わたしたちへの救いと信頼のシンボルとなりました。十字架は「独り子を信じるものが一人も滅びることなく、永遠の命を得るため」のしるしとなりました。「十字架刑」といわれるほどに、当時の刑罰の中でも極刑に値した道具が、イエスさまによって高められたといえます。ここにも「新しさ」があります。
「商売はそんなに甘くはない」といわれそうですが、多くの「姑息な?」策を講じるよりも、正面突破が一番ではないかと感じております。イエスさまの生き方がそうだったからです。
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