年間第26主日(A年)
2008年9月28日(A年)-原点-
年間第26主日(A年)(マタイ21.28~32)
「やり残しなし」「引き際がだいじ」といって、小泉純一郎氏が政界を引退する旨を発表されました。「劇場政治」と、マスコミ界では評されましたが、それも終焉をむかえたのでしょうか。「国会活動はしないが、政治活動は続ける」とも言っています。惜しまれつつ現役を退くのが格好いいに決まっています。これまた小泉流の美学かもしれません。「聖域なき構造改革」を旗印に、いろんなところにメスを入れました。感謝する人もおれば、怒り、不満をもらす人も多数でました。万人を満足させる政治は難しいでしょうが、納得できる内容の結果であれば、仮に「負」の部分が出てきたとしても、おおかたの国民は了承したでしょう。特にタクシーの運転手さんは不満と怒りが多いようです。「生活が不安定になった」と。
やはり安心して生きられることの大切さが優先されることは、いつの時代も求められることです。安定した日常生活は「農業」を大事にすることにあるのではないかと感じます。工業化を推し進めてきた日本は、「先進国」の仲間入りを果たしたかもしれませんが、その陰で犠牲になっていった人も多数いたことでしょう。「食」の安全が叫ばれている現代、自給率を上げる政策も考えなくてはいけないような気がします。
イエスさまの時代も、農業は大事な分野でした。食材は豊かなイスラエルです。先般、巡礼で訪問したときに感じたことですが、イスラエルの独自性がなくなってきたかな(?)と思いました。その国の原点に戻ることが今求められることかな、とも。
今日の福音は、人としての原点を見つめることの大事さが述べられているようです。久しく耳と口にしなくなった(?)「良心」の問題です。どこの国に生きていても、いつの時代に生きていても、人であれば誰でもが備え持っているのが「良心」です。
良心の存在、働きを感じるときがあります。罪悪感、うしろめたさ、何かの虚無感などを感じるとき、それは良心が働いているときです。中でも「虚無感」は、その人を追い詰めてしまう力があります。
今日、福音に登場する兄と弟を見るとき、双方とも自分の自由を満喫したい思いが優先されることを望んだのでしょう。兄は瞬間的に、弟は結果として。兄は良心の「声」を聞いて、父の要請にこたえます。父によく思われるために従ったわけではないと思います。何の打算もなかったというべきでしょう。事実、はじめは“No!”と言っています。この返事を悔いたのです。こうして兄の悔い改め(人としての原点)が実現したのです。葛藤があったでしょう。良心の声を受け入れる勇気が湧いてきたのです。無視することもできたでしょうが、そうすることによって、良心はその力を失っていきます。成長しないのです。善を善と受け止める力も弱まるし、悪を悪として感じる力も萎えていきます。
安心感、安定感を得るためには、「人本来の姿」に気づくことです。これは無理しなくても、普通に生きることの中にあります。人との関わりの中で発見しましょう。
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