年間第30主日(A年)
2008年10月26日(A年)-自分史-
年間第30主日(A年)(マタイ22.34~40)
とある中学校に行ったときに、生徒の8割から9割は塾に通っています、という話を聞いたことがります。そうでもしないと、目指す高等学校に入学できないというのです。では、塾に行った子が全部、希望の学校に入学しているかと聞けば、「ノー」です。ある教師は「親の気休めです」という。はたしてそれだけでしょうか。
親であれば、わが子の状態をご存知のはず。その子が他のわが子と比べて「劣っている」(?)と分かれば、何かをしてあげたいと思うのが親心です。そこで問題なのが「何を」してあげられるかです。
誰でもその子にとって今、一番必要なこと、好ましいことを探します。それでも、その時、頭をもたげてくるのが、親が「したいこと」です。もっと悪いことに、「これだけ親ががんばっているのに、あなたは!」と恩をきせたくなることです。親としての純粋な愛から出たことなのに、往々にして結果が良くありません。愛は強要するものでもなく、されるものでもありません。
とはいうものの、今日の福音では「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛せよ」(37節)とあります。「これがいちばん重要な、第一のおきてである」(37節)とイエスさまは言われます。掟にしてしまうということは、守らなければいけない優先事項になります。イエスさまは神への愛を強要しているのでしょうか。
その根拠はイスラエルの民の「エジプトからの脱出」事件に関係があります。つまり、「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい」(申命記6章12節)という事実に由来しています。「我々をエジプトから導き出し、われわれの先祖に誓われたこの土地に導きいれ、それを我々に与えられた」(申命記6章23節)からです。
神は正義の方、約束を守られる方です。約束をするからには相手がいます。それがイスラエルの民だったのです。しかも小さな民族を選ばれたのです。約束の内容は「聞け、イスラエルよ。われらの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、・・・」という今日のイエスさまの答えになります。
わたしたちは、大なり小なりいつも自分以外の誰かに支えられて、今の自分があります。自分が知っている人、知らない人。すべてが恩人です。イスラエルの民にとって、神の存在は抜きにできないのです。だから、語り継がれてきた「救いの歴史」があるのです。今のわたしたちも今の「自分史」を振り返るのは必要かもしれませんね。
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