死者の日(A年)
2008年11月2日(A年)-そうあらしめる「方」を感じる-
死者の日(A年)(ヨハネ6.37~40)
最近読んだ本の中に「頭のいい子が育つパパの習慣」(PHP文庫・清水克彦著)があります。その「まえがき」の箇所に、次のようなくだりがあります。「伸びる子どもを育てる家庭の六つの共通点」という小見出しの中に出てきます。
- 才能ある子どもは一家の特別な子どもである
- 知的刺激に富む家庭である
- 子ども中心の家庭である
- 意欲的な親である
- 子どもの後押しに熱心であるばかりでなく、自主性も尊重する家庭である
- 高い期待をかけるだけでなく、子どもを慈しみ精神的な支えとなる家庭である
家庭は、どの家庭をとっても縦社会です。今では少なくなったのでしょうが、むかしは、祖父母が同居しているのが普通でした。知識のみならず、「生きる術」の生体験をしていたのではないかと思います。互いに教わり、学びあっていた社会(家庭)がそこにありました。上述した1と6は特に子どもの感性が育つ大きな要因でした。親の心とそれに呼応する接しかたひとつで、子どもは変わるということでしょう。
つまり、すでに子どもの中には周囲の人が気づかない生来備えられた力が内在しているのです。そうあらしめた「方」がいるのです。「その方」は上の六つの共通点以上の言動をなさいます。子どもはその言動を見て、信じていけばいいのです。その方は決して追い返しはなさいません(37節)。
そもそも人間には、「子どもは天からの預かり者」という強い心と考えがあります。したがって、命の尊さも、ここにその根拠があります。「預かりもの」である以上、いつかは返さなくてはいけません。その「時」が、今日なのです。すなはち、一人ひとりの「死」です。誰でもがいつかはこのときを迎えます。
「死ぬのは何も難しくない。日常のことだ」というのは臨済宗相国派・有馬頼底管長です。心のわだかまりをなくすと、実にさわやかになる、といわれます。これが「無の道を生きる」ことであるそうです。こんな心境になれば「無=何でもある」となる、といいます。いたって日常のことです。生き様がもっと豊かになります、といわれます。死は特別のことではなく、日常の延長線上にあります。
すべてが、そうあらしめた「方」によって導かれています。人の始まりも終わりも。このことをしっかりと自分に言い聞かせる日として、あらためて意識してみたいです。
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