聖家族(B年)
2008年12月28日(B年)-子どもは、・・・・?-
聖家族(B年)(ルカ2.22~40)
今年最後の日曜日になりました。節目を大事にするわたしたち日本人にとって、一年の締めくくりに当たり、どのような思いでしょうか。今年の世相を漢字一文字にするとどうなる?先日の報道では「変」という漢字でした。ここ数年、それこそ「変」なことばかりです。過ぎてみてはじめてわかることですが、世相がおかしいのは、それを構成している人間自身が「変」になっているからではないでしょうか。
教育現場、家族関係、近所付き合い等、必ず人と人との絡みがその発端になっています。今こそ、日本人は宗教、信仰に目覚めるべきではないかと痛感します。「親が仏教だからなんとなく自分も仏教ですね」とか「若いうちは宗教なんて、・・・・・」といって、宗教を語ることを避けている人が多いのではないでしょうか。宗教を強制するつもりはまったくありません。しかし、ある宗教を「信じている人」を「受け入れる」ことは大事でしょう。そこに、よき人間関係樹立のキーワードがあるように思います。
特に、幼少の頃にどのような人間観を体験したかは、その後の人間同士のお付き合いに生きてきます。宗教は「人間」を見つめます。生きるための振舞い方、物事の価値観、行動の判断基準等を提供してくれます。それらが、世間の生き方と合わないところがあるから、敬遠されるとすれば、悲しいことです。ここ数年言われてきた「改革」も、ここに基準をおく勇気のある方がいれば、と内心思っている人もいるのではないか、と感じてきました。
今日の祝日の福音は、イエスさまの奉献の様子を語っています。その根拠は、「子どもは神のものである」ということです。これからは、自分の子どもながら、神の子どもとして育つように援助します、という宣言でもありました。往々にして、真の価値は自分の外にあります。自分の内にあることだけにこだわると、えてして過ちを犯します。
とは言うものの、親として子に期待するものはあります。マリアもヨゼフも同じだったでしょう。しかし、親の意に反して子どもが行動するとき、マリアは母親として「ことごとく心に留め」て生きられたのです(ルカ2章51節)。ここに信仰の働きを感じます。つまり、こうして親としての成長も実現していくのです。子どもは親が「育てなくても」「育ちます」。親が「育てている」と考えるからいらいらもするのでしょう。子育ての主役はあくまでも子ども自身であり、その中で働かれる神なのです。
今日の祝日は、家族の中で大事にしているはずの「家族の絆」の要にあるものに気づきましょう、と呼びかけています。この一年、どのように絆が深まり、堅固なものになってきたか、さらには目指すべき何かに気づきたいですね。
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