主の洗礼(B年)
2009年1月11日(B年)-今の神のみ旨-
主の洗礼(B年)(マルコ1.7~11)
大きな自然災害が起きると、その被災地で問題になるのが「ライフライン」の確保です。水、電気、ガス等を通常に戻すための復旧作業が急務となります。現代は本当に便利な時代です。それだけに、通常考えることもない事態に立ちいたると、大きなショックを受けてしまいます。
かつて、マニラの放送局にいた頃、半日あまり停電になったことがあります。仕事中でしたので、はじめからやり直し。ジェネレーターを使って通電。それは未だいいのですが、あまりにも長く停電してしまうと、放送番組を作成していたので、原稿がないまま次の仕事に取り掛からなければなりませんでした(録音テープ作成のため)。すべてアドリブでやるのは骨が折れる仕事です。といっても、生きるためには大きな支障はありません。
それにひきかえ、水がないのは困ります。他の食物がなくても水だけは確保したいものです。人間は水を必要としているからです。脱水症状をきたすと、意識も朦朧となります。言うまでもなく、それほどに水は大事です。
その大事な水は、魂の救いのためにも必要であり、大事なのです。「洗礼」になくてはならないものです。その根拠は、イスラエルの民の歴史上の体験にあります。出エジプト記14章に記されています。そこには、イスラエルの民が紅海の「水を過ぎ越して」救われた、という彼らの深い信仰体験が述べられています。彼らは、その海(水)を通り越すことによって、奴隷の状態から自由の民へと変貌していったのです。このできごとは、神への信仰の始まりであったともいえます。同じ仲間になるためには同じく、水を通る必要があったのです。
ヨハネの洗礼も、来るべき救い主を真剣に待つグループの仲間になるための、意志の表れとしての「悔い改め」の洗礼でした。つまり、自分の欠点を素直に認め、回心したことの外的な現れがヨハネの洗礼を受けることでした。
「来るべきお方の洗礼」は、“聖霊と火とによって”(16節)といわれています。回心した人にイエスさまがお授けになるのです。「火」は神の愛のあたたかさと光、完全に浄められることのシンボルです。大事なことは、神がわたしたちのほうへ寄り添ってくれるということです。その主がヨハネから洗礼を受けられます。その理由をマタイは述べます。「今は止めないでください。このように、なすべきことをすべて果たすのは、わたしたちにとって正しいことです」(マタイ3章15節)とイエスさまは言われます。
主の受洗は、必要もなかったのに、自ら模範をお示しになったということができます。わたしたちも、今の「神のみ旨」に気づき、満足いたしましょう。
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