年間第3主日(B年)
2009年1月25日(B年)-ついて行く-
年間第3主日(B年)(マルコ1.14~20)
第44代アメリカ大統領にバラク・オバマ氏が就任しました。生中継を見ようと張り切っておりましたが、睡魔には勝てず、翌朝のニュースでその演説を聞きました。就任式を前に、教会に赴き、神の前で祈りを捧げ、本会場に向かう姿は、子どもたちをはじめすべての国民に、大きなことを前にして、やるべきことを示したといえます。イエスさまもそうしたのです。それは弟子たちにとって大きな模範となり、力となりました。(ルカ3章21節、6章12節)
アメリカの国民の多くがそうであったように、外国人である私自身も、元気をもらい、希望を強く感じることができました。彼は「変化」「約束」「希望」を掲げ、ヨーロッパ、アジアなど、幅広く人々を引きつけてここまで過ごしてきました。彼に期待しない人はいないのではないかと思わせるほどです。確実にやってくれる予感を感じさせます。いろいろな意味で暗さばかりが漂っている世界にあって、「オバマ大統領就任」は、世界の人々に大きな光を投じてくれたようです。彼に「賭けて」みようという気を起こさせます。
今日の福音は、まさに今の時期に沿っているかのようなメッセージです。
ヨハネの捕縛は、当時の民にとって暗闇の中に追い込まれるような大事件でした。彼は、長年待ち続けた「メシア」への期待を持たせる存在だったからです。当時の権力に対抗し、不正との妥協をゆるさない姿勢は、人々に希望を与えていたに違いないからです。その本人が捕縛され、後に殺されてしまいます。
絶望のドン底にあった彼らに向かって、「救いの時がみちた」といってはばからないイエスさまのことばと姿がありました。ヨハネの亡き後、一条の光を、イエスさまの中に見た弟子たちは、「網を捨てて従った」のです。「従った」ということばの裏に隠されている彼らの意志をみることはできないでしょうか。つまり「この人(イエスさま)一人に賭けてみよう」という前向きな決意です。
イエスさまは弟子たちに呼びかけるとき、従ってくるための条件を別に出しません。「わたしについて来なさい」(17節)というだけです。「わたしの弟子にふさわしいから来なさい」とも言われません。まずは「ついていくこと」が大事なのです。ついていって、そこから悔い改めが始まり、「ふさわしい」弟子にされていきます。「わたし」の努力で回心が始まるのではなく、イエスさまの側から始まるのです。したがって、「ついていくこと」で十分なのです。まずは「賭ける心」をわたしたちが持ち合わせているかどうかです。問題は「決心」すれば済むことです。しかし、それが大変なのです。わたしたちはどうしてもイエスさまに向かうより、自分自身に向かうことが多いからです。
オバマ大統領の一連の言動に鼓舞されたわたしたちが、どれだけ「賭けられるか」、その原点はイエスさまにどれだけ賭けているかにあります。あの弟子たちと同じように、・・・・・。
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