年間第5主日(B年)
2009年2月8日(B年)-病を引き受ける-
年間第5主日(B年)(マルコ1.29~39)
連日、いやな、そして悲しいできごとが報道されます。ほのぼのとした、癒しを感じるできごとを探すのが難しいほどです。その中で、小さなコラム記事を発見しました。「ピンクかれん『伊豆の踊り子』」の見出しになっています。写真の掲載とともに、「早咲き桜」に関する記事でした。「指宿市のフラワーパークかごしまで、早咲きの桜『伊豆の踊り子』が咲き始めた。ピンクのかれんな花には、蜜を求めてメジロが集まっている。この桜は1965年に静岡県熱海市の造園士が伊豆半島の山中で見つけ、川端康成の小説『伊豆の踊り子』にちなんで名付けられた。色が濃く花の時期が長いのが特徴という」説明がなされています(讀賣新聞・西部版2009年2月5日朝刊)。
人には無害、逆に人を楽しませてくれる花、自然の景色等は、現代の「砂漠時代」にあってオアシスの役割を演じてくれます。一人ひとりが穏やかになると、全体(社会)にもそれに比例して平和で安心した生活の営みが出現します。
何も悲しい、苦しい現実から逃避しようというわけではありません。現実を直視することは大事です。どんなに技術が進んで便利な世の中になっても、どんなに医術が優れていったとしても、完璧はありえません。いつまでも苦しみ、不便さ、病気の発症は絶えることはないでしょう。反作用、副作用が残ります。新たな苦しみ、辛さを引き受けていかなくてはいけません。これが人生でしょう。
今日の福音では、次から次へと病気の人々が登場します。ことごとにイエスさまは癒されます。イエスさまがガリラヤ中を回り、宣教されるということは、病からの癒しとつながっているようです。癒された人々は、他の人に奉仕するのです(31節)。イエスさまの宣教は、イエスさまと同じように、「奉仕する」仲間を増やすことといえないでしょうか。「奉仕する」という行動が、周りの人々へのメッセージになっていくのです。そのような人々が増えるということは、メッセージの数が増えるということです。イエスさまはその地に行かずとも宣教ができます。数を増すことだけが目的ではありませんが、「同志」が増えることは結果として心強いものです。
なぜならば、わたしたち一人ひとりはいつまでも弱いからです。イエスさまの時代よりも、医学が進んでいるにもかかわらず、病に苦しむ人々は絶えることがありません。この現実は、どんなにしても覆い隠すことができません。現実を直視しながらもどこかで癒しを期待するのも人間です。だからこそ、ほっとする場と時を持ちたいのです。そうすることで、病も人によっては他者へのメッセージになります。そこに祈りが伴うとさらに、・・・・・。
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