年間第7主日(B年)
2009年2月22日(B年)-わたしたちの信仰-
年間第7主日(B年)(マルコ2.1~12)
世に言う「有名人」とは誰をさすのでしょうか。知識人、芸能人、スポーツ人、政治家、はたまた個性派な人?いずれにせよ、初めから有名な方はいないでしょう。それなりに何かの実績がある人、他者から「さすがにこの人は!」と認められることが必要になります。もっとも、他者に認めてもらうべく自己ピーアールなさる方々もいらっしゃいます。
この度、アメリカのゴルフ界にデビュ-した石川遼選手がいます。報道によりますと、日本のマスコミ界だけではなく、アメリカのメディアも彼の動きにつれて大移動が始まるそうです。「タイガー・ウッズ以来の人気」だそうです。彼の若さと、日本における戦いぶりが浸透しているといえそうです。本人はさることながら、わたしたち日本人も「悪い気」がしません。むしろ嬉しさをも感じてしまいます。こうした気持ちになる背景には、彼の持つキャラクターとゴルフに対する姿勢に期待するところが大きいかなと感じます。
イエスさまもたくさんの「ギャラリー(?)」を引き連れて動きます。その中にはいろいろな日常を抱えた人々がいます。しかし、イエスさまに期待することはみな共通のものを持っていたといえます。それは「現状からの脱出」でした。長い間病を抱え、日常生活では他の人々にお世話にならないと生きていけない人、食べ物に飢えている人、精神的に追い詰められている人等、さまざまでした。
イエスさまのうわさが広まればそれだけ、多くの人がその後を追ってきます。「有名人」となっていったのです。今日の中風の人は、どこの誰なのかはわかりません。彼自身の癒していただきたいという強い欲求と、彼を支えてきた4人の男性、彼らも病人と同じ強い気持ちを持ってイエスさまの前に登場します。
イエスさまは「彼らの信仰を見て」(5節)、中風の人に「子よ、あなたの罪は今ゆるされた」といわれます。そうです。イエスさまが見た信仰は、病人のものだけでなく、一緒に病人を支えてきた「その人たち」のものです。彼らは、単に体の癒しを望んできたのかもしれません。それを、イエスさまは「信仰」のレベルまで引き上げてご覧になっているのです。ここに、信仰とは、人間自らが持ち始めるのではなく、イエスさまに持たせていただく「恵み」なのです。
同時に、信仰は「わたし」一人のものではなく、みなの支えがあって保ち、成長させていけるものなのです。仲間と一緒になって発揮されるものなのです。本人も気づいていない内面の奥にある醜さ、行き詰まりからも解放されていきます。だから、あきらめることなく、他者に自分を開いていけます。このかかわりを大事にしたいですね。
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