四旬節第3主日(B年)
2009年3月15日(B年)-外がよく見える-
四旬節第3主日(B年)(ヨハネ2.13~25)
「希望を持ちなさいよ。きっとお母さんは生きていますよ」。去る3月11日、韓国・釜山市内で、田口八重子さんから日本語教育を受けた金賢姫元死刑囚と、八重子さんの長男耕一郎さんとの面会の席での、彼女のことばです。感動するシーンでした。彼女も47歳になったんですね。歴史を感じます。いまだに解決しない拉致問題。人間性の回復は、暴力、武力によってなされるものではなく、お互いの心の琴線に触れ、助け合い、励ましあうことを通して実現するものではないでしょうか。どこかに「ほっとする」状況が存在することが、人を変えていきますし、前進させてくれます。それも利己的な「ほっと」ではなく、周囲にいるすべての人も安心するものです。
人は、「渦中の人物」になりますと、その外が見えなくなる傾向があります。朝鮮労働党の工作機関「対外情報調査部」に属していた金さんにしましても、いろんな条件が重なり合っていたとはいえ、自分の所属する命題がすべてであったのでしょう。その行為をよしとするわけではありませんが、人間誰でもその可能性があるということでしょう。
そのことは国、民族、時代を問いません。人間である以上、いつの時代に、どこに生きても同じような繰り返しがなされています。その人が、国民の、民族の指導者層に属していれば、その影響力は強烈です。
イエスさまの時代において、祈りをささげる場として、その中心になっていたのは神殿でした。そこに体を運ぶことの大切さは今でも変わりません。信仰の祭儀が行われるときになると、多くの方が出入りします。自ずと、商売をして稼ごうとする人々も出入りします。祭りと出店は今でもセットになっています。鹿児島の「六月灯」は賑やかです。神殿の守り人であった祭司たちも、私腹を肥やすために商売人とつながっていき、その商売振りは徐々にエスカレートしていきます。いつの間にか、そのことが当たり前となって「市民権」を得ていくのです。
このことに挑戦するイエスさまは「あなたの家を思う熱心」(17節)のあまり、彼らを神殿から追い出すのです。宗教の世界が堕落していく致命的な落とし穴がここにあります。それへの勧告としての「怒り」でした。
現代はさらに、この種の誘惑(?)がまわりに蔓延しています。肝心なのは、その虜になることへの危険性を意識しているかどうかでしょう。意識している限り、可能性は低いということができます。外がよく見えているということです。
神への純粋さ、畏敬の念を失っている現代こそ、卑近な日常生活の中に、それらを回復したいものです。現代社会の「悪の根源(?)」は宗教性の希薄さにあるのではないでしょうか。四旬節のこの期間に、「汚れ」の洗い落としを目指してみましょう。
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