パーソナルツール
現在の場所: ホーム 聖書&説教 司祭の説教 受難の主日(B年)
このBlogについて
カトリック鹿児島司教区司祭・Fr.YASUです。毎週、木曜夕方更新が目標。日曜日の聖書の言葉をもとにメッセージ(説教)を練っています。ツッコミ?やエールなどがありましたら、コメント欄にお願いします。
最近のエントリ
年間第22主日(C年) Fr.YASU 2010年08月28日
年間第21主日(C年) Fr.YASU 2010年08月19日
聖母の被昇天(C年) Fr.YASU 2010年08月14日
年間第19主日(C年) Fr.YASU 2010年08月07日
年間第18主日(C年) Fr.YASU 2010年07月31日
最近のコメント
Re:聖霊降臨 Anonymous User 2010年08月28日
Re:聖霊降臨(A年) Anonymous User 2010年08月28日
Re:聖霊降臨(A年) Anonymous User 2010年08月25日
Re:復活節第4主日(C年) Marco 2010年04月25日
Re:年間第28主日(B年) めぐみ  2009年10月17日
 
編集操作

受難の主日(B年)

2009年4月5日(B年)-同じ目線で-

作成者 Fr.YASU投稿日 2009年04月03日 21時05分 最終変更日時 2009年04月03日 21時15分

B年司祭

受難の主日(B年)(マルコ14.1~15.47)

 自然界は色とりどりの花が咲き誇っているこの時期に、受難節に入ります。イエスさまの受難を黙想し、それが今のわたしたちのためでもあったことを、だからこそ今の「わたし」の存在理由もそこにあることを、しっかりと感じたいと思います。その先には、「復活」という晴れ晴れとした事実が待っていることを思いつつ。

 新学期が始まりますが、ある幼稚園に奉職していたとき、入園式での出来事です。園長あいさつで、子どもたちの前に出たわたしは、とっさに何を思っ たか(今でもどうしてそうしたのか、その理由に思い当たりません)、いきなり正座の姿勢をとり、話し始めたのです。子どもたちは椅子に座り、泣いている子 どもたちもいます。入園式の終了後、ある保護者の方がお出でになり、「何をなさるのかと思っていましたが、今日の園長先生の姿勢に感動しました」と、話し てくれました。「子どもたちと同じ目線になられたのですね」と。わたし個人は、その姿勢で落ち着けたのは確かです。それからというもの、幼稚園の入園式に は座るようにしました。

 イエスさまご自身の生涯は、弱くて、ちっぽけな人間の目線に立たれた一生だったのではないでしょうか。その際立ったしるしが十字架上での死でし た。その姿をみても、どこがすばらしいしるしなのか誰にもわかりません。ファリサイ派の人々、司祭長、長老たちにとっては、イエスさまの死は勝利のしるし であったでしょう。百人隊長が言うように「まことにこの人は神の子であった」というしるしはどこにも見当たりません。
しかし、イエスさまにはご自分をあざける彼らをも抱きこんでいく「愛の心」があったのです。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは自分らが何をしているのか、わからないのです」(ルカ23章34節)と祈られるのです。

 受難物語は、かつての力強いイエスさまの姿をまったく覆い隠します。病から人々を解放し、人々に生きる力を与えていた業そのものは陰を潜め、ご自 身の生き様そのものは惨めな結果に終わってしまうかのようです。そうした惨めさの中にこそ、何にも屈しない「力強さ」が秘められていることにマルコは注目 します。

 あくまでも「人間の目線」にこだわり続けられたイエスさまの「頑固さ(?)」がある、と。そして、わたしたちは同じ目線でイエスさまに振り向くことができます。背伸びすることなく、・・・・・。


トラックバック用URL:
http://mr826.net/yz/seisyo_message/message/090405/tbping
コメントを追加

下のフォームに記入してコメントを追加できます。平文テキスト形式。

(必須)
(必須)
(必須)
(必須)
(Required)
Enter the word










   
| ホーム | 新着情報 | ブログ | 今週の聖書 | 教会 | 教会とIT | 結婚式 | 絵手紙 |村役場 | 遊び場 | サイトマップ |

   Powered by Vine Linux / Zope / Plone / (財)日本聖書協会/
ご意見、ご感想などは連絡フォームからお願いします。