復活節第3主日(B年)
2009年4月26日(B年)-宣教、それは・・・-
復活節第3主日(B年)(ルカ24.35~48)
近年医師不足による事件、幼児虐待事件等が目につきます。物事の発生には必ずその原因があります。「医師不足の最大要因は、2004年に始まった臨床研修制度」であるといいます。この制度は、医師免許取得後の新人医師に、2004年度から義務付けられた2年間の研修制度のことです。医師が研修先を選べるようになりました。当然条件のいい都会に集中するようになっていきました。その結果、地方に医師不足が起こりました。
さらに、地方への医師派遣元である大学病院でも医師不足が生じ、派遣医師引き揚げが相次ぐようになりました。地方はますます医師不足の影響をまともに受けてしまっています。命の尊さが叫ばれている今、「植物を育てましょう。動物を大事にしましょう」といっても、肝心の人の命が「粗末に」されているのでは、順序が逆ではないかと感じてしまいます。命のすり替えが行われているのではないでしょうか。信じられないことのような気がします。人が人として生きる振舞い方を会得してきた共同体の崩壊がもたらした結果でしょうか?その共同体とは家族であったり、地域社会であったりします。長年の日本人社会の歴史の変化がもたらした当然の帰結かもしれません。その分岐点は戦後の1955年ごろにあるようです。
教会では復活節を過ごしています。イエスさま復活後の弟子たち、人々の様子が描かれています。特に目に付くのは、弟子たちのおきな変化です。あれだけ弱い、卑怯者であった弟子たちが、受難を受けられていたイエスさまを後にして逃げ去った彼らが、臆することなく大胆にも「イエスさま」を宣言してはばからない人間に変えられたことです。何かがあったのです。「信じられない」ことですが、主の復活を契機に変貌したのです。イエスさまと過ごしたあの歴史が、明らかに生き様の中に土着したのです。イエスさまと一緒にいたときにはまだ「混沌としていた」状態に霊が「おおった」(創世記1章2節)そのとき、新たに生まれ変わったのです。イエスさま亡き後の使徒団(教会)の誕生でもありました。
その後の弟子たちの動きを見ますと、明らかに態度が違います。人から何といわれようと、ひたすら信じたことを「宣言」しています。つまり、事実をそれとして言明しています。宣教とは解釈を並べるのではなく、信じている事実を「宣言する」ことにあります。
医師不足の理由は単に制度の問題だけではないでしょう。医師本人のあり方にも影響しているように思います。打算が入ったり、解釈が入ったり、それはあくまでも個人的(利己的?)な都合によることが多いのでは、・・・。自分の家庭は大事です。人として当然のことです。ここが医者としての悩みどころなのでしょう。
弟子たちは自己を顧みることなく、前進します。それは、師であり、主であるイエスさまがそう生きてこられたからであり、「イエスの名によって」動くことに意義とよろこびを見出していたからでしょう。
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