年間第12主日(B年)
2009年6月21日(B年)-日常の中で-
年間第12主日(B年)(マルコ4.35~41)
この地球上にいくつの国が存在するのかわかりませんが、それぞれに固有の習慣、しきたりも存在します。ある時はその習慣に縛られたり、ある時は励まされたりします。どんなに不況で困っていても、「あのお祭り、この式典」をやれば元気が出る、ということはあり得ることです。逆に、「このことをやらなければいけない」ということで、財政を圧迫したり、人手不足による苦労が重なることもあります。
それらの行事の起こりもさまざまでしょう。日本では、何かにつけて「神事」に関わるお祭りが多いように感じます。お祭りは日常を離れるところに意味があるようにも感じます。お祭りを通して元気をいただいても、日常に戻ると、・・・・・。兎にも角にも、わたしたちは日常の中でのみ鍛えられ、試され、変化していきます。そして自分のものにしていけるのです。そうでないときに、予測もしない事態に対応できないことになります。
イエスさまは弟子たちに対してそのように相対してきました。しかし、「なぜ恐れるのか。まだ信仰がないのか」ということばを、弟子たちに発しなければいけないほどに、成長がなかったことになります。弟子たちは、多くの群衆とともにイエスさまの教えに耳を傾け、感動しています。さらに、弟子たちには「人のいないときにすべてのことを説明された」のです。いわば、他の民衆よりも特別に「かわいがられていた」ということができます。
したがって、今日のエピソードは、イエスさまによって「試された」といえないでしょうか。漁師として長年勤めてきたペトロたちをしても、恐れおののくほどの強風だったのでしょう。それまでに体験したことのない出来事でした。確かに、現在でも湖のある場所にさしかかると、突然の強風に襲われます。大きな船がかなりの横揺れをします。弟子たちはそのようなポイントもわかっていながらも、「先生、わたしたちが溺れ死んでもかまわないのですか」(38節)というほどに、とんでもない突風だったのです。
それに比べてイエスさまは、「とものほうで、まくらをして眠っておられた」(38節)のです。平静さを失くしません。イエスさまご自身、身をもっておん父への信頼の中にある自分を見なさい、と諭しているかのように、風に向かいます。神とともにあることの平穏さ、冷静さ、そこから来るゆとりはこのようなものである、と弟子たちを新たに励まし、教育なさいます。
失敗を繰り返しながらも、少しずつ変えられていく弟子たち。自分へのこだわりがある限り、また同じ失敗をしでかすかもしれません。しかし、最後はひとり立ちできるのです。弟子たちがそうだったからです。わたしたちも、日常の中で「安定した」信仰の樹立を願い、叫びましょう。
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