ある高校の四旬節ミサの思い出から

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ある高校の四旬節ミサの思い出から

カテゴリー 折々の想い 公開 [2009/03/10/ 00:00]

キリストの聖顔

キリストの聖顔

カトリック教会はさる2月25日の灰の水曜日から今年の四旬節に入った。そう言えば、56年前の1953年の早春、わたしはモントリオール市内のある高校の四旬節ミサに通っていた。司祭叙階後も大神学院に留まって修士課程に取り組んでいたわたしは、市内の教会や修道院でミサをささげるために時々呼ばれていた。このときもその一つで、四旬節の間、日曜日を除いて毎日通っていたこの高校は、フランス語が中心のモントリオールでも珍しく英語の学校であった。その頃はまだ第2バチカン公会議の前で、ミサはすべてラテン語であったから、英語が苦手のわたしにも問題はなかった。

ダーシーミギーというこの学校は、全校生徒がカトリックで、男女共学といっても校舎は男女別々に分かれており、その中央というか真中に講堂があって、ミサのときにはここに一緒に集まり、男女が左右の席に分かれてミサにあずかるのである。北国のカナダはこの時期まだ雪の中、石炭ストーブなどの煤煙で真っ黒に固まった根雪の道を、オーバーシューズを付け、分厚いコートに身を包んでバスで通った。わたしが長崎原爆の被爆者だということで、広報部の生徒たちのインタビューを受けたことを覚えている。

ミサ後は少量のパンとコーヒーの軽い朝食をいただくのであるが、当時のカナダの教会では、四旬節中は日曜日を除いて毎日、大斎(朝はごく少量、昼は普通に、夕食はいつもの半分を超えない程度の断食)を守っていた。人類の罪の償いのために断食などの節制に励む四旬節の意義は今日も変わらないが、当時は今と違って非常に厳しい戒律があったのである。わたしの経験では、四旬節の間中大斎を守っても不思議に体重は落ちなかった。健康な大人にとって四旬節の断食に健康上に害はなく、ただ、自らの欲望を抑えるという禁欲と節制の意味があることは確かだ。

第2バチカン公会議の後、償いなどの犠牲と節制のオキテはずいぶんと緩和され、大斎は灰の水曜日と聖金曜日だけとなっている。しかし、だからと言って四旬節の償いの重要性は変わらないわけで、信者各自の自発的かつ積極的な四旬節参加が期待されてのことである。

周知の通り、四旬節は主の復活祭をふさわしく準備するための典礼季節で、従って、主の復活に先立つ十字架の秘義を記念してこれにあずかることが目的である。では十字架の秘義とは何か。それは、人となった神の御子が、受難の苦しみと十字架上の死によって人類の「罪のゆるし」と「罪の償い」を成し遂げ、復活のいのちへの道を開いたという、神の「愛の秘義」に他ならない。従って、十字架の秘義にあずかる手段は次の二つ、すなわち回心とゆるしの秘跡である洗礼の記念と、キリスト苦しみの秘義にあずかる償いの業である。第2バチカン公会議は、四旬節について次のように述べる。

「四旬節は次の二つの性格を、もっと明らかにしなければならない。すなわち、特に洗礼の記念または準備と、償いとの二つをもって、復活秘義を祝う準備をさせるのである(典礼憲章109)。

まず、生涯に一度しか受けられない洗礼の記念は、信者個人として、また教会共同体として、聖体の秘跡、すなわちミサ参加への意識を新たにすることであろう。諸秘跡の頂点であり総括である聖体(ミサ)は、何よりも洗礼の秘跡の記念であり、洗礼の恵みを固め豊かにする秘跡だからである。

一方、償いの業は、犠牲と愛の業をもってキリストの贖罪的苦しみにあずかることであるが、そのあり方について公会議の次の勧告に注目する必要があろう。いわく、「四旬節の償いは、ただ内的、個人的なものであるばかりでなく、また、外的、社会的なものでなければならない」(典礼憲章110)。これは、大斎や小斎、あるいは四旬節愛の献金など個人で行う償いの行為ばかりでなく、グループや小教区共同体などの組織的な犠牲や愛の行動を、世間に見える形で行うことを求めるものであろう。同時にそれは、十字架の秘義を記念する四旬節そのものが、単に信者個人や教会共同体のためばかりでなく、人類全体の購いのためであることを世に示せという意味ではあるまいか。