戦艦武蔵に見る戦争の愚かさ

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戦艦武蔵に見る戦争の愚かさ

カテゴリー カトリック時評 公開 [2015/05/10/ 00:00]

去る3月初め、フィリピンはレイテ島沖に無残な姿で沈んでいる大型戦艦武蔵ガ発見されたというテレビニュースを見て、当時の長崎やそこで体験した戦争の記憶がよみがえってきた。戦艦武蔵は三菱長崎造船所で建造されたからである。

武蔵は、大日本帝国海軍が1934年のロンドン海軍軍縮条約に反発してこれを脱退し、帝国海軍の威信をかけて建造した大型戦艦で、大和に続く第二号艦である。わたしが長崎・東山手の中学校に入学したのは1941年(昭和16年)4月であったが、その時には、武蔵は対岸の水の浦岸壁に係留されて艤装中であった。全艦、棕櫚の皮で編まれたすだれに覆われ、厳重な警戒のうちにあって、その姿を見ることは出来なくされていた。そのうえ、周辺の丘から三菱造船所に向けて写真をとるなどは厳しく禁じられ、監視されてもいた。

そして1942年(昭和17年)、艤装を終え、すだれが取り払われて、長崎港の真ん中に係留された巨大な武蔵を見てみなが驚いた。今では写真でしか見ることのできない戦艦武蔵の巨大で美しい姿はいまもわたしの眼の奥に焼き付いている。全長263mの巨体は山のごとく聳え立ち、対岸の三菱造船所を覆い隠すほどであった。聞くところによると、浸水のときには勢い余って対岸の小菅の浜にまで達したという。

最新の装備をもち、46センチ砲9門を搭載したあの武蔵が、2年後の1944年、敵艦船と堂々と戦うこともなく、米軍機の一方的な爆撃を受けてあっけなく撃沈されたという報に接した時、わたしたちは唖然として発する言葉もなかった。巨費を投じ、当時の技術の粋を尽くして建造された武蔵が、千数百名の乗組員と共に南海の藻屑と消えたことに軍国少年の夢を砕かれたことは言うまでもない。

昭和19年、中学4年生のとき、わたしたちは武蔵ゆかりの三菱長崎造船所に学徒動員され、鋳物工場で真っ黒になって働かされた。当時三菱造船所では、郵船から航空母艦への改装や、戦時標準型貨物船、小型潜水艇などが建造されており、戦時色一色であった。わたしは神学生でもあったが、「国難に準ずるのは国民の務め」と教えられて、「尽忠報国」の腕章をつけて懸命に頑張っていた。

しかし、昭和20年(1945年)ともなれば、米軍機による造船所の爆撃や機銃掃射が繰り返され、まさに戦場そのものだった。そして遂に8月9日、原子爆弾が長崎・浦上の町に投下され、町の半分が焼き焦土と化した。わたしは爆心地から4,3キロ離れた大浦天主堂の側の神学校にいたが、校舎は爆風で窓は破れ、机はひっくり返り、床はめくれた。隣の大浦天主堂も天井が落ち、祭壇横の小聖堂は屋根が轟音と共に落ちた。午後になり、爆心地近くで学徒動員されていた一級下の神学生は熱風にじかに焼かれ、真っ黒焦げになって担ぎ込まれた。わたしは彼らの中の一人と防空壕の中で看病しながら数日を過ごした後、14日の朝、息絶えた彼らの墓をこの手で掘り、埋葬し終えたのは8月14日であった。そして、郊外の大山修道院に緊急避難したが、翌15日、戦争終結の詔勅が下った。

今にして思えば、戦争って、何と空しく、また、何と愚かなことだろうと思う。英知を集め、巨費を投じて建造したあの戦艦武蔵のように、明治維新以来、営々と築いてきた大日本帝国は、拡張したすべての領土を失い、全国焼け野が原となり、侵略した近隣諸国や戦争相手国に与えた損害や苦痛ばかりでなく、日本国民自体に及ぼした犠牲や苦痛は計り知れないものがあった。おまけに、時代遅れの戦備にうつつを抜かし、勝ち目のない戦争に国民を巻き込んだ為政者たちの戦争責任はまさに「犯罪的」ではなかったか。

戦後70年という節目の年を迎え、戦艦武蔵の残骸が見つかるなどの出来事に鑑み、満州事変から太平洋戦争の無残な敗戦までのいわゆる「昭和戦争」を振り返るとき、あらためて大義なき戦争や無責任な戦争への真摯な反省と共に、世界の恒久平和への決意と方策をあらためて、根本から、考え抜く必要があるのではないか。その意味でも、教皇ヨハネ23世の不朽の回勅『地上の平和』の冒頭の一文を想起しておきたい。曰く、

「あらゆる時代の人々が切望してやまない地上の平和は、神の定めた秩序を全面的に尊重してはじめて、これを築き、固めることができる」。

平和を造るのは軍事力ではないのだ。そして、第2バチカン公会議の有名な一文も想起しておこう。

「平和は単なる戦争の不在でもなければ、敵対する力の均衡を保持することだけではなく、独裁的な支配から生ずるものでもない。平和は正義の業であり、愛の実りである」(『現代世界憲章』76)。

 



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