聖霊の働きを知る

聖霊の働きを知る

カテゴリー 折々の想い 公開 [2015/06/15/ 00:00]

天におられる父なる神は、人類を救うために独り子と聖霊を世に遣わされた。独り子、つまり人となられた神の御子イエス・キリストについてはよく知られていると思うが、聖霊については余り知られていないのではないか。そこで、少々長くなるが、教皇ヨハネ・パウロ2世の解説を以下に引用してみよう。

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――霊はいつでも、どこにおいても存在し働いている

28 聖霊は特別な方法で、教会とそれに属する人々に自らを現します。しかし聖霊の現存と活動は普遍的で、決して空間や時間によって限定されるものではありません。第二バチカン公会議は、人間の創意(宗教的なものも含めて)の中に、そして真理や善、神ご自身を獲得しようとする人間の努力の中に見られる「みことばの種」を通して、聖霊があらゆる人の心の中で働いていることを思い起こしています。

聖霊は人間に「その最高の召命にこたえることができるよう光と力を」与え、聖霊によって「信仰のうちに、人間は神の計画の秘義を観想し鑑賞するようになります」。実際、「聖霊は神のみが知りたもう方法によって、すべての人に復活秘義にあずかる可能性を提供されることをわたしたちは信じなければならないのです」(現代世界憲章10,15,22)。教会は、「神の霊が人間に絶えず勧めているので、人間が宗教問題について全く無関心ではありえないことを知っており」、そして「人間は常に自分の生命と活動と死の意味を知ろうと望むはずである」(同41)ことをも知っています。ですから聖霊は、人間の存在と宗教についての問いかけ、すなわち偶然の状況によって引き起こされた問いかけではなく、人間の存在そのものから起こってくる問いかけの源泉そのものなのです。

聖霊の現存と働きは単に個人に影響を与えるばかりでなく、社会と歴史、民族、文化と宗教にも影響を与えます。実際、歴史を通して歩み続ける人類に役立つ崇高な理想や計画の起源には、聖霊が存在しています。「神の霊は、くしき摂理をもって時の動きを導き、地の面を新しくする」(現代世界憲章26)のです。復活したキリストは「その霊の力をもって人々の心の中にすでに働いておられます。キリストは来るべき世に対する希望を起こさせ、それによって、心をこめた願い――生活をいっそう人間らしいものにし、地上全体をこの目的に従わせようと努力する人類家族の願い――を力づけ、清め、強める」(同38)のです。また、いろいろな習慣や文化の中に「みことばの種」を蒔き、キリストにおいて完全に成熟するよう準備するのも、聖霊の働きです(教会の宣教活動に関する教令3,15参照)。

29 こうして、「思いのままに吹く」(ヨハネ3,8)聖霊、「キリストが栄光を受けられる前から、すでにこの世に働きかけておられた」(宣教教令4)聖霊、そして「全地に満ち、すべてを司り、あらゆる言葉を知っておられる」(知恵1,7)聖霊は、わたしたちがいつでも、どこでも霊の働きについて熟考するために、わたしたちの視野を広げようと導きます。わたしはこのことを繰り返し思い起こしてきました。そして、多くの人と出会うとき、このことがわたしを導いてきたのです。教会が他の諸宗教と関係する場合、二種類の尊敬をもつよう命じられています。それは、自分の人生についてのもっとも深い疑問に対する回答を求めている人への尊敬と、人の中で働いている霊の働きへの尊敬です。アシジで開かれた諸宗教間の集会は、あいまいな解釈を取り除いて、わたしに次のような確信を与えました。それは「どのような祈りであれ、本物の祈りであれば、それはすべての人の心の中に神秘的に現存しておられる聖霊に促されたものである」ということです。

イエスの受肉とその生涯、死と復活について働いていた霊と、今、教会の中で働いている霊は同じ霊です。それゆえ霊は、キリストに代わるものではなく、ときおりキリストとみことばとの間に存在するとみなされる一種の欠如を満たすようなものでもありません。霊が人間の心、人々の歴史、諸文化と諸宗教にもたらすものは何であっても、それは福音への準備として奉仕するのであり、「完全な人間として、すべての人間を救い、万物をまとめるため」(現代世界憲章45)、霊の力によって肉となられたみことばであるキリストとの関係においてのみ、理解されうるのです。

さらにまた聖霊の普遍的な働きは、キリストのからだである教会における聖霊の特別な働きと切り離すベきではありません。実際、働いているのは常に聖霊です。聖霊は教会にいのちを与え、キリストを告げ知らせるように教会を促します。また聖霊はすべての人々にご自分のたまものを植えつけ、それを発展させます。そして、これらのたまものを発見し、養い、対話を通してそれらを受け取るよう教会を導きます。聖霊の現存は、どのようなものであれ尊敬と感謝をもって歓迎されるベきです。しかし、聖霊の現存を識別することは、教会の責任です。キリストは教会をすべての真理に導くために、教会にご自分の霊をお与えになったからです(ヨハネ16,13参照)。   (以上、回勅『救い主の使命』28-29)

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キリストの霊である聖霊は、キリストの力でもある(フィリッピ3,21)が、この力ないし働きは、ギリシャ原語ではエネルギーと呼ばれている。キリストのエネルギーである聖霊を電力にたとえた人がいたが、それに従えば、この世界にはすでに聖霊のスイッチが入っており、すべての人が何らかの形で聖霊の促しを受け、知らずして神を探し求めていると言える。彼らが聖霊によってキリストに結ばれ、この神を「アッバ父よ」(ローマ8,15)と呼べる日が来るよう、アレオパゴスの聖パウロがしたように(使徒言行録17,23)、父なる神を証しするのは、「聖霊の道具」であるわたしたちキリスト者の務めでなければならない。