四旬節における悔い改めとは

糸永真一司教のカトリック時評 > 折々の想い > 四旬節における悔い改めとは

四旬節における悔い改めとは

カテゴリー 折々の想い 公開 [2015/03/01/ 00:00]

去る2月18日の灰の水曜日をもって今年の四旬節が始まった。四旬節は、潜伏キリシタンたちは「悲しみの季節」と呼んだが、現在は「悔い改め(回心)の季節」とも呼んでいる。では、四旬節とは具体的に何を意味するのか、考えてみたい。

一言でいえば、四旬節は信者が悔い改めて神に立ち返る季節である。求道者は洗礼を受けて神とその教会に結ばれ、すでに洗礼を受けている信者は、洗礼の約束を更新して神とその教会に立ち返っていく。ここで注意すべきは、四旬節が目指す悔い改めは、個人的な営みであると同時に、共同体の業でもあるということである。周知のとおり、洗礼の秘跡は受洗者を神の子として再生すると同時に、教会の一員としてキリストの共同体に結ぶ。そして、ゆるしの秘跡は、罪人が赦しを通して神に立ち返ると同時に、教会の交わりに復帰する。神に立ち返ることと教会に結ばれることは同一なのである。

それでは、信者を天の御父に一致させ、信者をお互いに一つに結ぶ「一致の原理」は何であろうか。それはキリストの霊である聖霊である。信者はキリストとその霊によって一つに結ばれ、聖霊のたまものとして「信・望・愛」をはじめ、倫理徳という超自然的な力をいただいて共同体を生きる。中でも「愛徳」(ラテン語ではカリタス、ギリシャ語ではアガペ)はその決め手である。

こうして、キリスト者として生きる基本は、信仰と希望において愛徳を実践することであり、四旬節の悔い改め(回心)が目指すのは、キリストの愛をもって愛し合う教会共同体の刷新であることは明らかである。

ところで、愛の重要性については旧約時代から命じられていた。申命記は記している。「イスラエルよ、聞け。わたしたちの神、主こそ、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたたちの神、主を愛しなさい」(申命記6,5)。そしてレビ記では隣人愛が命じられる。「お前の隣人をお前自身のように愛さなければならない」(レビ記19,18)。主キリストは、神の愛と隣人愛を「最も重要な掟」として確認された(マタイ22,37-38)。そのうえ、キリストは弟子たち、すなわち新約の神の民に対して新しい掟を与えて言われた。「わたしは新しい掟をあなた方に与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13,14)。そして付け加えられた。「互いに愛し合うなら、それによって人はみな、あなた方がわたしの弟子であることを、認めるようになる」(同上13,15)。

要するに、相互愛の実践は教会に結ばれたキリストの仲間の生きる基本であると同時に、教会を識別するしるしであり、教会の魅力のもとである。事実、聖霊降臨後の最初の信者共同体について使徒言行録は述べる。「彼らは、ひたすら使徒たちの教えを守り、兄弟的交わり、パンを裂くこと、祈りに専念していた。…彼らは民全体から好意を得ていた。こうして、主は日々、救われる人々を仲間に加えてくださった」(使徒言行録3,42-46)。

それ故、四旬節における悔い改めの業は、単なるい個人的な回心ではなく、互いに愛し合う共同体の確立こそがその目的なければならない。しかし、四旬節のこの目的を達成するためには、共同体に属する全員の責任ある協力が必要である。そのうえ、小さい仲間を見殺しにしない行き届いた相互愛の実践が必要である。弱者優先(Option for the poor)は常に教会の優先事項である。

このような、悔い改めによる共同体の刷新運動には、それなりの具体的な方策が必要である。掛け声だけでは実を結ぶことができない。一部の少数の信者が集まって説教を聞き、共同回心式をするだけでは、共同体全体の悔い改めの効果など期待できないのである。そこで、わたしが主任司祭の頃、心がけていたことを参考までに紹介しよう。

一つは小教区を50人程度の班に分け、相互愛を実践し、特に小さな兄弟たちを優先して大事にする仕組みを作った。集団の規模が大き過ぎると、一部のものが仲良しクラブを作り、小さい仲間を忘れる恐れがあるからである。イエスはパンを増やして数千人を養ったとき、50人ずつのグループに分けてパンを分配されたことがあった(ルカ9,14)。小グループは恵みを行き渡らせるための手段として重要なのである。

もう一つは、レジオ・マリエというボランチアの使徒的グループを活用したことである。時として班活動だけではカバーし切れない事態もありうる。そこで、行政の谷間を埋めるボランチアの例に倣い、病人たちをはじめ、地方から出てきて一人で就職している若者たちに対する奉仕などに努めた。これは大変有効であった。

日本の教会はいま、内外共に厳しい状況下にある。したがって、いつもにまして信者全員の相互愛に実践が必要である。自分の都合を犠牲にしてまで隣人のために尽くす愛が必要なのである。祈りばかりでなく、助言や行動をもって互いに励まし合い、誘い合わせてキリストのもとに一つに集まり、歓喜して賑やかに復活祭を祝いたいものである。