教育基本法改正案をめぐって

糸永真一司教のカトリック時評 > カトリック時評 > 教育基本法改正案をめぐって

教育基本法改正案をめぐって

カテゴリー カトリック時評 公開 [2006/11/15/ 00:00]

教育基本法の改正をめぐって、教育本来の意味や担い手、公教育の使命や限界について、検証する。

教育基本法の改正がいよいよ現実の問題になってきた。安倍内閣が優先事項として教育改革を政治日程に入れ、私的諮問機関「教育再生会議」を設置して作業のスピード化を図ろうとしているからである。そこで、私自身は教育基本法自体やその改正の是非について何れの政治的立場にも与しないが、この機会に教育本来の意味や担い手、公教育の使命や限界など基本理念について考えてみたい。

教育問題見直しのとき

本論に入る前に、わが国の教育事情は大きな岐路に立っており、教育問題を根底から見直すべきときはすでに来ていることを指摘しておこう。青少年を取り巻く環境が大きく変わり、教育のひずみがいたるところに噴出しているからである。この変化の最大のものは、家庭教育の崩壊とメディアの影響の増大であろう。

教育基本法改正案について

そこで、さきに自民党が公表した「教育基本法改正案」なるものを読んでみた。そこには教育に関連するあらゆる事項が立派な言葉で指摘されており、一見、大変結構なものに見える。しかしその実、基本法というにはあまりにも基本的な教育理念が欠けているように思えた。何よりも、法案は冒頭から「日本国民」が強調されて、日本人である前に人間であるという万人共通の普遍的な観点が出てこないのは、日本の法案であるとはいえ、問題ではないかと思う。

教育とは何か

では、教育とは何か。それは人間が「人間になる」ために不可欠な営みである。人間が人格としての「高貴な召命と使命」に目覚め(人格の形成)、それを生きて自己を実現(人格の完成)するには、相応の教育を必要とするからである。

たとえば、精神的な存在である人格の形成には宗教教育を基本にすえた全人教育が重要であるが、そのような教育は、特定の宗教教育を行うことのできない公立学校に期待することはできない。改正案にはこのあたりの明確な指摘がなく、公教育を充実させればそれができるかのような印象を与える。

本来の人格教育は、両親の宗教的信念のもとにまず家庭において行われなければならない。子供に教育を授けるという第一の権利と義務は、誰よりも子どもにいのちを授けた両親に、究極のいのちの原理である神から与えられているからである。従って、家庭の再生なくして教育の再生はありえない。その上、両親はその責任を果たすために、必要な学校を選ぶ自由(権利)を持っている(註1)。親たちが自身で必要な教育を施すには明らかに限界があるからである。

公教育の使命と限界

そこで国は、親の権利を擁護して家庭教育を支援するとともに、現代人が必要としている学校など、教育機関を充実して親の使命を補完しなければならい。国の教育権はもともと「補完的な任務」なのである(註2)。教育基本法改正案を見る限り、国本来の教育的使命とその限界が明確でないから、政治家たちが教育の国家統制に走る恐れはないか心配である。

ーーーーーーーー

(註1)両親の学校選択の自由について

「子どもの教育に関する第一の、他に譲ることのできない義務と権利を持つ両親は、学校を選択する上の真の自由を持たなければならない。従って、国民の自由をかばい守るべき公権は「分配的正義」によって、両親が自分の子どものために、自分の良心に従って真に自由に学校を選びうるため、公の補助金が与えられるよう配慮しなければならない」(第2バチカン公会議『キリスト教的教育に関する宣言』n.6)。

「親が自分の信仰に従って教育を選ぶ権利は、絶対に保証されなければなりません」(ヨハネ・パウロ2世使徒的勧告『家庭―愛といのちのきずな』n.40)。

「親は、自分たちの確信に従って子どもを教育するために必要な学校やその他の手段を自由に選ぶ権利がある。公的権力は、親が不公正な負担を被ることなく、この権利を真に自由に行使できるように、公的な助成金の給付を保証しなければならない」(1983年10月22日ローマ聖座『家庭の権利に関する憲章』第5章b)。

(註2)国家の教育的使命は「補完性の原理」に従って

「国家は、すべての国民がふさわしく文化の恵みに浴し、市民としての義務と権利を果たすために充分準備されるよう配慮しなければならない。そのため国家は、ふさわしい学校教育に関する子どもの権利を守り、教師の能力と研究水準を配慮し、生徒の健康に心を配り、学校活動を全般を推進しなければならない。その際、国家は補完性の原理を念頭に置き、国家によるあらゆる種類の学校の独占を排さなければならない」(『キリスト教的教育に関する宣言』n.6)。

「両親は子どもの第一の主たる教育者であり、また同時にこの分野で基本的な権威を持っています。彼らは親だから教育者なのです。両親はその使命を他の人々や、教会や国家のような他の教育機関と分け合います。ただし、それはいつも補完性の原理の正しい適用に従って行わなければなりません。この原理の効力によって、両親の権利の優位性とその具体的能力によってしるしづけられた内在的で不可侵の限界を尊重しつつ、両親を援助することが正当であり、また同時に義務でもあります。従って、補完性の原理は、家庭の善に集中する両親の愛を助けるためです」(ヨハネ・パウロ2世『家庭への手紙』n.16)。

【次回は「家庭の教育的役割」について】