キリスト教の神と神道の神々(2)

糸永真一司教のカトリック時評 > カトリック時評 > キリスト教の神と神道の神々(2)

キリスト教の神と神道の神々(2)

カテゴリー カトリック時評 公開 [2010/03/15/ 00:00]

前回述べたように、キリスト教の神と神道の神々とは根本的に異質の神であり、互いに交わることがない。その神と神々が出会ったとき何が起きたか、いまその歴史を振り返り、そして今後を展望してみることにしよう。

周知の通り、キリスト教の神は天地万物を創造してこれを主宰する唯一絶対の神である。従って、この世界を超越すると同時にこれに内在する摂理の神である。これに対して、神道の神々は「多神」であり、「自然神」である(國學院大學教授上田賢治氏)。「西谷啓治博士によれば、あらゆる種類の存在者が「神」となり得るし、また事実「神」とされたのである」(伊勢神宮司庁文教部長蕃掛正浩氏)。ザビエルは造られた神々の国に造られざる神を持ち込んだ。持ち込んだというより、もともと日本におられた「知られざる神」を知らせたにすぎなかったが(使徒行録17,23参照)。

では、両者の出合いはどのように行われたのか。今評判の『日本辺境論』の著者は「日本では宗派間の対立で殺し合いを演じたという事例はほとんど存在しません」(159㌻)と書いたが、とんでもない。確かに仏教の仏たちは日本の神々と同等の資格を持つ「客人神」(まれびとがみ)として迎えられたが、キリスト教の神は「国を滅ぼすもの」として官民挙げての徹底した排斥と弾圧に出遭う。初めのころこそそれほどでもなかったが、1597年の26聖人をもって殉教の時代が始まり、さらに7代250年にわたってキリシタンの潜伏と厳しい詮索の時代が続いたのである。このキリシタン抑圧の始まりはキリシタン奪国論などの誤解によるとも言われるが、それだけでは世界にもまれなこの迫害の歴史は説明できない。遠藤周作氏の「日本泥沼論」や、山本七平氏の日本教」の指摘もさることながら、和魂漢才から和魂洋才への流れが今も日本人の底流にあるのではないか。その証拠に、1873(明治6)年、列強の抗議によりキリシタン禁制の高札が撤去された後も、国家神道をバックにした政治体制のもと、神社参拝や戦争協力が強制されるなど、教会の受難は絶えなかった。

1945年の敗戦により、連合国から持ち込まれた民主主義によって完全な信教の自由を勝ち得た後も、経済復興とともに、西洋に端を発する近代合理主義と結んだ神道的現世ご利益主義が広がり、執拗に一神教批判を繰り返す著名人は後を絶たない。こうした中で、はたしてキリスト教の神はこの地に根付くことができるのであろうか。あるいはキリスト教は日本人に合わないのではなかろうか。そんなことはない。26聖人を始め、歴史家によっては二万とも四万ともいわれる日本人殉教者たちは、立派にキリスト教の神を受容し、迫害する者を赦しながら、嬉々としてその信仰を開花させた証人たちである。このほか、殉教することなしに信仰を全うした日本人キリスト者は無数にいる。

そればかりではない。日本人の心には、自然を大切にしてその恵みに感謝し、授かった子供のいのちの与え主の存在を内心深く感じてこれを崇め尊ぶ純粋な宗教心が今も息づいている。創造の初め、神が人間本性に刻んだあの「神に向かう心」である。そして今、科学の発達により迷信の闇が払われ、日本人の心は限りなく創造の神に近付いているのではなかろうか。キリスト教の神概念がすでに広く日本人の中に認められているという識者の声がそれを物語っていよう。だから、もしもキリスト教と日本人との宗教的対話が専門家の間においてばかりでなく、民間においても真剣に続けられるならば、「やさしく、そして強く心にしみ込む真理そのものの力によって」(第2バチカン公会議『信教の自由に関する宣言』1)、早晩、互いに分かり合える日が訪れることを信じて疑わない。

日本宣教の初め、ザビエルは鹿児島で書いた。「彼らは喜んで神のことを聞きます。とくにそれを理解した時には大変な喜びようです」(書簡第90)。キリスト教の神を信じることの「合理性」を日本人は理解できるのである。さらに書く。「この島、日本は、聖なる信仰を大きく広めるためにきわめてよく整えられた国です。そして私たちが日本語を話すことができれば、多くの人びとが信者になることは疑いありません」(同上)。道理を推して真理を求める理性的な日本人への賛辞である。