もしや“キリスト教ブーム”の再来か

糸永真一司教のカトリック時評 > カトリック時評 > もしや“キリスト教ブーム”の再来か

もしや“キリスト教ブーム”の再来か

カテゴリー カトリック時評 公開 [2011/04/01/ 00:00]

またしても一つの新聞記事が今回のテーマである。さる2月21日の朝日新聞文化欄の記事のタイトルは、“読まれるキリスト教”。「出版界で、キリスト教が静かなブームになっている。昨春以降、キリスト教や聖書を特集した雑誌や書籍が続々と発売され、おおむね売れ行き好調だ」という。

たとえば男性誌「Pen」(阪急コミュニケーションズ)の昨年3月号の特集「完全保存版 キリスト教とは何か」は、初版11万部を2週間でほぼ完売し、特集を増補して同年5月に発売された別冊も初版の13万部を完売した、という。その他、種々の雑誌や書籍が紹介されているが、なぜ、今、キリスト教なのか。記事の言い分を要約すると、一つには、西洋美術などに接してキリスト教をもっと知りたいという「知識欲」を刺激されたのではないかという。もう一つは、「時代の閉塞感」の中で迷いを消してくれる確かなものが聖書にあるのではないかといった期待感からの現象だという意見がある。いずれも的を射ていよう。ただ、こうした知識欲から「キリスト教が静かなブームになっている」という見解には何と言えばよいのだろう。

「キリスト教ブーム」と言えば、戦後の20年間を思い出す。その残酷さや期間の長さなど、世界に類を見ないと言われるほどキリスト教迫害が行われた日本は、あり意味で、キリスト教を拒絶し続けてきた国である。その日本で、初めて本格的な「キリスト教ブーム」が到来したのである。ブームの背景には、信教の自由が完全に保障されたことと同時に、史上初めて味わった敗戦により茫然自失した日本人の多くが、その心の空白を埋めるためにキリスト教を求めたのである。全国の教会に求道者が押し寄せ、各地で集団洗礼が行われた。しかし、キリスト教ブームは長くは続かなかった。いち早く経済復興を遂げ、生活が安定してくるにしたがい、人々の関心は現世的な生活に向い、しだいにキリスト教への関心は薄らいでいった。東京オリンピック辺りが節目ではなかったか。

そして今、「キリスト教が静かなブームになっている」と言われる。果たしそれは本当なのか。わたしもいくつかのキリスト教を特集した例の雑誌に目を通したが、人々のキリスト教への関心は、単なる趣味や教養のレベルに留まっていて、必ずしも信仰を求めているのではないようだ。ただ、今日の世相を見ると、本格的なキリスト教ブームに発展する希望はある。日本人はすでに長い間経済大国として飽食の時代を享受してきたが、今や物質主義文明の矛盾がいろいろの病的な社会現象となって噴出しており、そろそろ心の渇きに目覚めたとしても不思議ではないからである。人間の心は物質的な豊かさで満たされるものではない。聖アウグスチノは言った。「主よ、あなたはわたしをあなたに向けてお造りになりました。ですから、あなたのうちに憩うまで、わたしの心は安らぐことがありません」(告白録)。

思えば、戦後のキリスト教ブームが去ってからも、キリスト教本来の魅力が失われたわけではなく、キリスト教信仰の中に自分と世界の究極の意味と目的を求める人々が途絶えたことはなかった。数は多くはないけれど、毎年、カトリック教会の洗礼を受ける人々の数は、成人、幼児を合せると数千人を数える。たとえば、2009年の統計でみると、幼児洗礼は3320、成人洗礼は3594を数える。この数は決して小さいものではない。毎年、約7千人の日本人が、新たにキリストのいのちに結ばれ、教会に合流しているのである。

そこで、キリスト教に関心を持つ人々に伝えたい。聖書は「神の言葉」である。神が聖書記者たちに霊感を与えて、人類に対する神の言葉を書かせたのが聖書なのである。しかも、聖書の言葉は死んだ文字にではなく、「肉(人)となった神の言葉」(ヨハネ第一章参照)・イエス・キリストを指し示している。そのキリストは復活して、今、教会の中に生きて働いて、人類に対する神のご計画(言葉)を実現しておられる。従って、人間は教会において神の生きた言葉・キリストに出会い、キリストにおいて神のいのちを生きることができる。キリスト教とは絵画や建築ではなく、教会においてキリストを信じて生きることにほかならない。

キリストは言われた。「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出るすべての言葉によって生きる」(マタイ4,4)。さらに言われた。「わたしは道であり、真理であり、いのちである」(ヨハネ14,6)。聖書の中に、キリスト教の中に、そして教会の中にキリストを求めるとき、人々は、そこに真のいのちと、いのちへの唯一の道を見出すだろう。人間はすべて、キリストを必要としており、また、キリストに呼ばれているのである。

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