人類に語りかける教会(現代世界憲章序文)
カテゴリー カトリック時評 公開 [2012/02/15/ 00:00]
第2バチカン公会議(1962-65)が公布した16の公文書のうち、『現代世界の中の教会に関する司牧憲章 Constitutio pastoralis de Ecclesia in mundo hujus temporis』(略して『現代世界憲章』)は、全人類に語りかけた異例の文書である。
教会は当初から全人類に派遣されている。キリストは使徒たちに「全世界に行き、すべての者に福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16,15)と命じたのである。そして主の命令通り、使徒たちとその後継者は全世界に福音を宣べ伝え、その足跡はいまや地の果てに及んでいる。しかし、カトリック教会を代表する公会議教父たちが、公式に世界に語りかけたのは史上初めてのことである。「今はためらわずに、教会の子らとキリストの名を呼ぶすべての人たちばかりでなく、人類全体に話しかけて、現代世界における教会の現存と活動とについて教会自らがどのように考えているかを、説明したいと望む」(現代世界憲章2)。そういうわけで、現代世界憲章は「教義憲章」ではなく「司牧憲章」と呼ばれる。
人類に対する公会議のメッセージは、いわゆる「上からの目線」ではなく、同じ人間性を共有するものとして語りかけている。憲章冒頭の次の言葉がそれを表している。いわく。「現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、とりわけ、貧しい人々とすべて苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。真に人間的な事がらで、キリストの弟子たちの心の中に反響を呼び起さないようなものは一つもない。それは、かれらの共同体(教会)が人間によって構成されているからである」(現代世界憲章1)。
ここで言われた、「真に人間的な事がら」とは、一人ひとりの人間に生起するさまざまな出来事よりも、すべての人間に共通の根源的な人生苦を意味すると言われる。その人間性を共有する教会が人々に語りかけるのである。教会は、「人類とその歴史に、実際に深く結ばれていることを自覚している」(同上)と憲章は言っている。
そのうえ、序文は言う。「かれら(教会)はキリストにおいて集まり、父の国への旅において聖霊に導かれ、すべての人に伝えなければならないメッセージを受けている」(現代世界憲章2)。このメッセージとは主が世界に伝えよと命じたあの福音であり、キリストのメッセージである。
こう述べた後、公会議は、救いを必要とする世界の現状を指摘するとともに、実際的な協力を約束している。「今日人類は、自らの力に感動している。しかし、世界の発展の現状について、全宇宙における人間の位置と役割について、個人および集団の努力の意義について、さらに事物と人間の究極目的について、しばしば疑問に悩まされる」と指摘し、公会議は、「これら種々の問題について人類と話し合い、福音の光に照らしてそれを解明し、聖霊に導かれる教会がその創立者から授けられた救いの力を人類のために提供することは、教会も属している人類全家族に対する連帯感と尊敬と愛とをもっとも雄弁に証明することになる」(現代世界憲章3)との信念を披露している。
そして、公会議は人類への協力を約束して言う。「この公会議は人間の崇高な召命を宣言し、人間の中に神的な種子が置かれていることを肯定し、人間のこの召命に相応するすべての人の兄弟的一致を確立するために、教会の誠意に満ちた協力を人類にささげる」(同上)。ここには、人間が神の似姿に造られ、神の養子に召されていること、そして、人間の本性には神を知り、神を愛する力が隠されていることが言われている。
序文の最後に、人類に対する教会の基本的な姿勢が「支配」ではなく「奉仕」であると、次のように吐露される。「教会は決して地上的野心によって動かされているのではない。教会の望むことはただ一つ、すなわち、真理を証明するために、裁くためではなく救うために、仕えられるためではなく仕えるために世に来られたキリストの仕事を、慰め主なる聖霊の導きのもとに続けることである」(同上)。
第2バチカン公会議の「人類に対する責任感」とこれに仕える「教会の姿勢」は半世紀を経た今日も変わらない。ただ、公会議のこの荘厳な約束がどのように実践に移され、その熱意を持ち続けているかが問題である。こうした反省や自覚のためにも、第2バチカン公会議を緻密に振り返ることは重要であろう。