さらば2006年

さらば2006年

カテゴリー 折々の想い 公開 [2006/12/28/ 00:00]

2006年もあとわずか。この2006年はわたしの人生にとって忘れることのできない年になった。ここに若干書き留めておきたい。

1)教区司教を定年退職

1月29日、鹿児島教区司教(教区長)を後任の郡山健次郎司教に譲った。彼は、わたしが鹿児島教区司教になって叙階した二人目の司祭である。教皇の指名(Nomination)を受けた彼に、私のこの手で「按手」して司教に叙階できたことは人間的にも大きな喜びであり満足であったが、それ以上に、初代教皇の聖ペトロを頭とする使徒団より二千年、連綿として引き継がれてきた「使徒継承」のバトンをこの手で無事に引き継ぐことができたことが最高にうれしかった。神に感謝!

2)郷里で故松永司教の追悼ミサ

6月2日、福岡教区の松永久次郎司教が亡くなった。彼は、小学生のころの「侍者」仲間から司教団の仲間に至るまで常にいっしょだった。それに、彼はわたしより二つ若かったから、ショックも大きかった。彼はこの12月に司祭叙階50周年を迎えるはずであったので、毎年恒例としている郷里出身司祭の会合を郷里で開催し、少し早いが松永司教の司祭金祝を祝う予定であった。それを待たず、神様は彼をお召しになった。

そこでわたしたちは7月2日、金祝のお祝いに代えて、追悼ミサを故郷の紐差教会で挙げることとし、郷土出身の司祭たち13人が集まった。福岡教区の山頭原太郎、長崎教区の橋本勲、大山繁、平本義和、前田達也、大分教区の吉田繁、高松教区の松永洋司、コンベンツアル会の橋口佐五衛門、萩原栄三郎、藤沢幾義、山浦義春 、サレジオ会の松永国治の諸師とわたしである。(もう一人の郷土出身司祭、大分教区の大山悟師はローマ留学中のため出席できなかった)。

この日、郷里の教会の信者たちを初め、近隣の司祭たちも駆けつけてくれて、思いで出深い追悼ミサとなった。そして、同じ紐差の教会で「信仰のいのちと召命」の恵みをいただいたこを改めて感謝し、その信仰をさらに豊かに生きて伝えようという使命感を分かち合った。

3)長崎教会管区司教の集い

10月13日、長崎教会管区の「司教の集い」が福岡市郊外の二日市温泉であった。この集いは数年前から恒例になったもので、今年はわたしの引退慰労と郡山健次郎司教の歓迎を合わせた宴となった。集まったのは8人、すなわち現役の高見三明長崎大司教、押川寿夫那覇司教、宮原良治大分司教、郡山健次郎鹿児島司教の4人、引退の石神忠真郎司教、平山高明司教、深堀敏司教とわたしの4人であった。また、出身教区別に見てみると、長崎教区出身が5人、鹿児島教区(奄美大島)出身が3人であった。

翌14日の朝、一同は福岡司教館を訪れ、故松永司教ゆかりのチャペルで追悼ミサを捧げ、次期福岡司教の任命の一日も早いことを祈願した。

ちなみに、現代の教会は「教区」の重要性と共に「教会管区」を次のように強調している。「近隣の部分教会(筆者注・教区)は、人的及び地域的事情に応じ近隣の教区共通の司牧活動を促進し、かつ教区司教相互の関係を円滑にするため、一定領域に区分された教会管区を構成しなければならない」(教会法第431条)。

皆さん、良いお年を!



トラックバックURL

http://mr826.net/psi/blog/061228/trackback

コメント欄を活用して、対話の機会にすることができればと願っています。 ただし、記事や本サイトの趣旨と関係のないコメントはご遠慮下さい。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です