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現役を退いて暇になると、何かにつけて過ぎし日を思い出し、また、いろいろと考えごとをしてしまう。こうした折々の想いをインターネットに公開して、多くの方々と分かち合おうというのがこのサイト。
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日本の闇は深いか

by P.Itonaga posted at 2007-01-05 00:00 last modified 2007-02-24 16:40
2007年初日の出

 「日本の闇は深すぎるのでしょうか」という嘆きとも問いかけとも取れる言葉が先月のプログの書き込みにあった。これを年の初めの話題にしたいと思う。

1)    日本には明るい光が輝いている

何よりも人間の心にはその本性の中に刻み込まれた「良心」という光がある。ザビエルが日本に来られたとき、日本人の自然徳の高さに驚かれた。第2バチカン公会議において教会は、人間の本性に生まれながらに備わっていて、人の行いを導く良心の声を「み言葉の種」と呼んでいる。

次に、日本にはすでに神の言葉そのものの「光」が輝いている。現行憲法によってキリスト教は完全に自由を享受しており、そのおかげで福音の光は日本中を照らしている。加えて、日本国憲法の公布に際して署名した閣僚の一人、田中耕太郎さんは、熱心なカトリック信者で当時の文部大臣であるが、人権の尊重や平和主義など、この憲法の基本理念はキリスト教的であると書いていた。日本の教会の働きぬきで、欧米のキリスト教の影響がそうさせたのであり、多くの日本人がこの半世紀、この憲法を認め、大事にしてきたのである。

このほか、日本の上に輝く光の特徴的な一例として、ボランチア活動の発展を指摘したい。かつてカンボチャでポルポトの大量虐殺が始まったころ、わたしは、タイ領内に作られたカンボチャ難民キャンプを訪問したことがある。そこには大勢の欧米のボランチアがいたが、日本人は一人もいなかった。今、日本人ボランチアは全世界で活躍している。日本国内でも、一旦災害が起これば、多くのボランチアが協力している。底辺には小さな親切運動がある。

2)    日本人の心には闇もある

とはいえ、日本人の心には闇があり、矛盾があることを正直に告白せざるを得ない。なぜなら、それは我々の日常の体験だから。日本人の自然徳を称えたザビエルは、日本人の不道徳も指摘している。時代が変わっても弱点は治らない。おまけに、世俗主義と個人主義は、カトリック時評の当初に述べたとおり、多くの日本人の堕落や野蛮化の原因にもなっていると思う。その特徴は、一方においては経済第一主義であり、もう一方では個人主義の蔓延であろう。先月17日の毎日新聞「余禄」によれば、日本の家庭の購買力は米国や英国を大幅に上回って世界最高だというが、それでも日本人はお金、お金、景気、景気と騒いでいる。驚くべきことに、わが国には貧困層が広がっており、その貧困すら金儲けの道具にされているという。いじめや暴力など、多くの野蛮化現象が多発していることも忘れてはならない。

聖書によれば、このような人間の心の矛盾と悪への傾きは原罪の結果であると教えている。そしてこれを癒すのは人類の唯一の救い主きりストであると告げている。

3)    「悔い改めて福音を信じなさい」

イエス・キリストは、宣教のはじめに、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1,15)と言われた。これはキリスト教のメッセージの中心であり、教会の宣教使命の本質である。このメッセージは二つのことを述べている。一つは、回心の勧めである。教会がいう闇とは罪であり、罪とは「神から離れて被造物に着くこと」(古来の罪の定義)であって、回心とは、この世のもの、特にマンモン(富)と自我への執着から神へと生き方を変えることを意味する。もう一つは、福音、すなわちキリストを信じてこれに従うようにという招きである。キリストこそ真の光であり、そのうちに「ゆるし」と「いのち」があるからである。

 ここで注意しなければならないことは、人間の自己矛盾と無軌道な欲望のほかに、人間を惑わす悪魔の存在があることである。聖書は悪魔の存在をはっきりと認めており、キリストの唯一の戦いは悪魔(サタン)との戦いであった。ヨハネ福音書は「悪魔は『うそつき』の父である」(8,44)と記している。つまり、悪を善と偽るのである。これが人を迷わす。原罪もサタンの騙しに始まった。だから教会は、人々が悪魔に騙されないように、はっきりと闇、すなわち悪を指摘し、悪魔の悪巧みを暴くことを使命とする。このことをもって直ちに闇が深いとは言えない。闇を暴き、闇を払うことが光の役割だからである。

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